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エッセイ #8|「春と、女子。」

ふと、甦った記憶がある。

それは、新卒で入社をした会社の内定式。4月上旬にしてはコートが不要なぐらい暖かかった。桜が綺麗に咲いていた。

その日の私は、環境が大きく変わることにひどく緊張をしていて、最寄りのバス停に到着した途端、バス停のベンチの最後尾にドカッと腰掛けた。(バス停には誰もいなかった)

緊張を鎮めるために、ベンチでボーッと座っていると、ガタイの良い、いわゆる”ガテン系のお兄ちゃん”が私に向かって、

「そんなとこに座らんといて。他の人に迷惑やろ。早く前に移動して。」と言った。

お兄さんが言っていることは、誰が聞いても至極真っ当な話で、確実に私が悪いのだが、「そんな言い方せんでもいいやん・・・」と、私は泣きそうになった。

この日から私は桜を見ると、必ず1回はこの光景を思い出して、何とも言えない気持ちになるのが恒例だった。

お兄さんから叱られたあの日から13年後の春。今度は、相手を夫に変えて、あの時と全く同じ感情を抱いていた。

その日は、一緒に会社を経営している夫が、私の仕事でのミスに対して、珍しくピシャッと苦言を呈してきたのだ。これもきっと誰が聞いても100%私が悪い。なのに、私は素直に反省をすることもなく、「そんな言い方せんでもいいやん・・・」と、しばらくの間いじけていた。

ここでふとまた古い記憶が甦った。

幼稚園の頃、友達と喧嘩をして、自分の思い通りにいかなかった時に、大好きな先生の気を引きたくて、先生を独り占めしたくて、わざわざ教室の外に出て、体育座りをして、下を向いて口を尖らせて、先生が慰めに来てくれるのを待っていた。

しばらくして、予定通り、先生は私の元に駆けつけてくれて、心配そうに「大丈夫?何があったのか先生に話してごらん?」と優しく微笑みかけてくれた。私は心の中でガッツポーズをした。こうして「機嫌」という超個人的なことまで、たっぷりと他人に甘えることが許されていた時期が私にもあった。

そんな時期を軽く30年も引きずっていることにようやく気付いた私は、自分の幼さに目眩がした。

でもそれと同時に、女が外に出る時、女が働く時、もしかしたら、こうやって、自分の心を守ってきたのかもしれないとも、思った。

なぜなら、ブーブー言って、散々いじけた後には、口には出さずとも、「だって、私、女の子だもん!」という言葉がつづくからだ。

この言葉でなんだか許されたような、解放されたような気分になり、自分との絆が深まるのだ。これは女友だちとの関係性でも同じ。団結力がより強固なものになる。

女性はきっと、「女である」自分が好きなのだ。

それに、こうした気付きは、なぜか春に生まれることが多い。春って不思議で、「春だし、いいじゃん♪」と、自分にたくさん許可をしてあげたくなる季節でもあるのだ。

だからこれからも、きっと私は、春に桜を見ながら、女友だちとぺちゃくちゃ話す時、最後に必ず決めゼリフのように「だって、私たちは女子だもんね!」「春だし、いいじゃん♪」と、目を輝かせながら言っているだろう。

ただ、一つ確かなことは、ランチにしてもお茶にしても、自分の機嫌を自分で取れる女友だちと行った方が、絶対に美味しく、楽しいということ。そんな友だちなら尚更「春だし♪」というシンプルな理由で、新しい一歩へ踏み出す時も、背中も押しやすい。

4月も姿勢を正して、まっすぐ前を向いて生きよう。女性である自分に誇りを持って、凛としていよう。

春は、桜は、今日も、女子の味方だ!

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