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安全が求められるのは、リスクをとらなくてはいけないから

心理的安全性が、最近流行りなように思う。
私自身もっとそれについて知りたいし勉強したいと思っているし、変化が激しい時代を生き抜くためには必要なことのように感じてきた。
だけどそれがわざわざ必要だと言われるのは、そうすることでバランスとっていかないととれないようなリスクをとることが求められているから、だ。

最近、Googleのre:Workというページを読んでいる。

まだ読めていないところも多いのだけど、Googleでは心理的安全性を高めるためにかなり大がかりな取り組みを行っているような印象を受けた。
評価制度だとか、頻繁な擦り合わせ機会の設定とか、目標を大切にしてモチベーション高く頑張り続けられる人は幸せになれるけれど、なんとなく生きていると頻繁にこれを求められるのはきついんじゃないかなと思うような、そんな施策や制度だった。

上のリンクの中原淳研究室で述べられている視点がはじめ私にはなく、安全性が高くなればその先の少しInnovativeなことを言いやすくなって組織の発展に繋がると思っていた。
だけど現実は、そんなに簡単に動くわけではない。
Innovativeなことは必要で面白いかもしれないけれど、実際はとても大変で頑張ったことが形にならない可能性もきっと高い。
それでも上手くいく可能性にかけてリスクをとる、もしくは否決される可能性が高いことをわざわざ口にしようとする。
そうすることは不確かで打ちのめされる可能性が高くストレスフルだ。
だからこそ、ここでチームの心理的安全性が必要とされるのだろう。

リスクをとっても潰れないために、心理的安全性は必要だ。
それは裏を返せばリスクをとることが求められているから、組織がわざわざ今そこに投資しようとしている、ということになる。
新時代を生き抜く中で必要とされる存在になるには、リスクをとることは必要だけど、そこまでのリスクを求められるのは、全社員なわけではない。

心理的安全性を高める必要があるのは、リスクをとらなければいけないような状況に置かれている人たちだ。
そうなると、時代の最先端をいくような、新規事業とか方針転換の部分に携わる人たちに必要性が高い概念だろうか。
不確かな未来に投資するために必要なリスクをとるという行動が、誰かの立場を危うくしたり責められる状態にならないために、心理的安全性が有効になってくるのだろう。

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