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華の女子大生時代の話 ②

さてさて、前回からの続きです。

誰が興味あるかは分かりませんが、体育科の大学という私の、かなり特殊な女子大生時代のお話です。前記事は主に授業編でした。
とんでもなく多忙で体力オバケだった大学生活の実態に加え、今回は番外編として実習や部活のお話です。



①臨海実習編(2時間遠泳)

私の通う大学では「臨海実習」として、実際の海で2時間の遠泳を行う、というものがありました。これも取得すべき単位のひとつです。

2泊だったか3泊だったか忘れたけど、通常の海開き(7月20日ごろ)より前の、まだ海水浴客が誰もいない、7月初旬の肌寒い日程の中で行われました。

兵庫県の北部。日本海側。
海の水はまあまあキレイな海水浴場。

体育学科の生徒は100人超。
誰かが溺れたり沈んだりすればすぐ分かるように、帽子に番号がつけられ、3人ずつ列を作り泳ぐのです。

  ←③⑥⑨・・・・
  ←②⑤⑧・・・・
  ←①④⑦・・・・

上記の隊列のまま、進行方向は左へ。

教授たちはボートに乗り、少し離れた横に位置付けています。
もちろん、消波ブロックも越えてかなり沖まで出て泳ぐので、波も荒いし足などまったく着きません。
まだ寒い時期の海。ガタガタ震えながら、波もまあまあある中、酔うわ塩辛いわでホント大変だった。

浅瀬は波が少ないから海水浴場になってるんだけどね。
消波ブロック越えて沖に出りゃあ、波はザブンざぶん。

寒い海の中2時間も泳いでりゃ、途中でオシッコだってしたくなる。
でもきっちり隊列を組んでいるから、泳ぎながらすると後ろの人に迷惑もオシッコもかかっちゃう。
なので尿意を感じたら教授に「トイレです!」と手を挙げて知らせ、隊列を離れボートまで泳いでボートの端につかまり、海の中で放尿してからまた隊列に戻る。
※実際「トイレ」じゃないんよ。ただ海の中でするだけだから(笑)

30分に一度くらい「休憩!」と声がかかれば、1分ぐらい仰向けにプカプカ浮かんで休み、塩辛くなった舌や口の中を癒すため、帽子の中に突っ込んでおいたアメちゃんを出して舐める。
「休憩終わり!」でまた隊列に戻り、遠泳再開。
マジで2時間、足などまったく着かない・波の高い沖での遠泳をするのです。

なかなか凄いっしょ?
2時間の遠泳なんて、経験ある人のほうが少ないと思います。
体力消費を抑えるためにはできるだけ波に乗らないといけないんだけど、そうすると、めちゃくちゃ酔うんですよ。
ただでさえ波酔いで気分が悪いのに、浮力に身を任せていたところから、泳ぎ終わって砂浜に上がり急激にG(重力)を感じると、一気に内臓から何かがせりあがって逆流してきて、私も含め何人も嘔吐してました。。。

宿はうちの大学貸し切りなので、水着のまま寒さで
ガチガチ歯を鳴らしながら、みんな青白い顔と紫色の唇で
お風呂に直行する。人数が多いから芋の子洗い状態。

そんな過酷な遠泳に加え、臨海実習では「3分間の立ち泳ぎ」なんてのもありました。
立ち泳ぎといっても、両手は挙げて脚だけで水をかいて浮き続けるのです。
テトラポットに座っている教授がストップウォッチを持っていて、その先生に顔と両手の平を見せながら、3分間沈まないように耐えるんですよ。
今思い出しても、なんじゃそりゃ⁈なテストだったな~。


②教育実習編(母校の高校へ)

教員免許を取得するために必要な教育実習。
私は母校の高校へ行きました。3週間+1週間の実質1か月間は、実家に戻って母校へ通学。

保健体育科というのはここでも特殊で、他の英語や数学の実習生たちとはまったくの別世界におりました。

他の子たちは職員室近くに「実習生室」というひとつの部屋(教室)が与えられ、そこで指導案や実習記録を書いたりするのだけれど、私は1人だけ「体育教官室」に缶ヅメ監禁状態。同年代の他の実習生たちと話す機会などほとんどなし。

体育教官室にはまず暗黙のルールというか、伝統のしきたりがあるようで、初日から臨時講師の若い先生に
「朝は一番に入って、先生たちに珈琲を用意しておくこと。ハイ、これ鍵ね。今までずっと私がやっていることよ。」
と言われ、鍵と一緒にメモを渡される。

「◯◯先生→ブラック、◯先生→砂糖なしミルク2杯、◯◇先生→砂糖1・ミルク1 」。。。

要するに、毎日先生たちが出勤するまでに教官室の鍵を開け、ポットでお湯を沸かし、マグカップに指定の珈琲の粉と砂糖やミルクを入れておくのです。

先生が出勤してきたら、すぐさまお湯を入れ
「おはようございます!今日も一日ご指導よろしくお願いします!」
と珈琲を渡して挨拶するのだ。マジ昭和。。。
今じゃパワハラなどと言われるだろうし、考えられないでしょ?
私が現在働いているこども園にも保育実習生はいっぱい来るけれど、この時代の体育と比べりゃ、めちゃくちゃぬるぬる&甘々で優しいし、楽勝プー?な感じ。

あと、体育は普通の教科と違って「晴天用」と「雨天用」の2種類の指導案を用意しておかないといけません。毎日&毎時間。
晴れなら外で陸上、雨なら体育館でバスケ、のように。
プールもある時期だったから、この1か月間も、ほんとにフラフラになるほどきつかった。1日のうち3コマは授業を受け持っていたし。

しかも保健体育科だけは、他の実習生たちには課されることのない「部活指導」のオマケつき。
私は陸上部OGだったので、自分の専門だったハードルや短距離の部活指導も、毎日ボランティア?でやってました。日曜日の試合まで見に行ってたもんな〜。
とにかくハードな1か月間でした。


③部活編(サッカー部)

大学の4年間、私はサッカー部に所属していました。

関西リーグ優勝と、全日本インカレ3位に
なれるぐらい、強豪校ではありました。

サークルなんかとは違い、大学の看板を背負う、れっきとした体育会系部活動。
ここまでお読みいただいた方ならお察しもつくでしょうが、昔の根性論も根強く残っていて、上下関係が厳しく謎の「部則」というルールまでありました。つまり、四年生は神様仏様レベルです。

まず1年生は毎日、先輩たちが来るまでにグランドを整備してコートのラインを引き、ボールの空気入れをしてドリンクを作って用意する。
練習中、休憩の声がかかればダッシュでボトルを取りに走り、4年生から3→2年生の順にドリンクを手渡して飲んでもらい、自分は走りながら戻すついでに飲む。
練習試合などで別の場所に行くときの荷物持ちも、当然1年生。
合宿で、ユニフォームや練習着の洗濯をするのも・ごはんの用意をするのもやはり1年生。お風呂に入るのは4年生から順番。

自分はレギュラー入りしていても、控えの先輩のほうが位は上。これは実力主義のスポーツ界で、現在でも当たり前の考えなのかしら?

まあ、兎にも角にも、厳しい世界に身をおいていた大学時代でした。それでもやっぱり楽しかったし、いい思い出たちばかり。

もう20年以上前の話だけど、ツラかったことも・部活仲間とアホなことばっかやって笑ってたことも・嬉し涙も悔し涙も、ぜんぶ私の宝物。
夢中になって頑張ったことって、きっとずっと忘れない、一生ものの財産だと思ってます。
親に高い学費を払ってもらって、一人暮らしも許してもらって、怪我して手術&入院して心配もかけたけど、ほんとに感謝!

これが私の、華の女子大生時代・4年分のお話でした~。

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