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面倒で輝いていた

 まぎれもなく好きだった。

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 最近、SNSで数十秒程度の短い日本料理動画を見る。おいしそうだと、これならふだん持っている調味料ですぐつくれそうだなと考えたり、めずらしい食材だから近所のスーパーで買えるかなと考えたりしてしまう。
 僕はベトナムに住んでいるので、日本の調味料も食材もすぐに買える状況ではない。家にあるのはインスタントラーメンと飲みものぐらいで、そもそも調味料を常備していない。
 そう、調理を夢想するとき、僕の意識は自然と日本に住んでいたころに立ちもどってしまうのだ。

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 日本に住んでいたころ、料理をつくるのが好きだった。味はともかく、ネットで見つけたおいしそうなレシピを気の向くままにつくっていた。
 不器用ながらも包丁で肉や野菜を切る時間は無心になれた。さじで指定の分量の調味料を量るとき、静かなわくわくがあった。ジップロックに材料を漬け込めば、次の日が来ることが楽しみになった。
 食べることが大好きなことは、肩の力を抜いて料理をすることも同じくらい大好きだった。大好きだったと、家で日本料理を調理することが手間になった異国の地で、あらためて思い知った。

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 調理動画を見ると、日本に帰りたいなとよく思う。使い慣れた調理器具を使って、スーパーで当然のようにならぶ食材と調味料を駆使して、この目の前の料理をつくりたいと強くこいねがう。
 海外の苦しみは、思わぬところにもひそんでいた。

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