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死にたいまま「母」になる

思春期ころから、ずっと、
生きづらさを感じながら生きてきた。

死にたい。
生きていたくない。

楽しいこと、幸せなことはたくさんあるけれど、
それよりも、
つらいこと、悲しいことがあるのなら、
それから逃げ出したい。

みんな、なぜ生きているのだろう?

その状態は、「異常」なのかもしれないが、
私にとっては日常で、決して特殊な状態ではない。

それなのに、子どもが生まれる。

自分が居続けたくないと思う世界に、
新しい命を送り込もうとしている。

今の夫と一緒に暮らすようになって、
子どもを育てたいと感じ始めた。
それは、とても動物的な感覚だった。

必ずしも実子である必要はないと思っていたし、
この人の遺伝子を後世に残す、
というほど壮大なものではないけれど、
「この人の何かを、ここで途絶えさせてはならない」という、
理屈のないものだった。

子どもを産むのか、産まないのか。

私にとって、それは、大きな葛藤だった。
私は、頭で考える以上に、動物だった。

子育ては、母ひとりで行うものではない。
子どもたちが、この世界に生まれてきたくないとは限らない。

この世界を愛する夫とは、
子育てをするほうが自然だった。
そして、お腹に宿った子どもたちにとっても、
生まれてくることが自然だったのだろう。

実際、私にとっても、
もはやこの世界は「悪いもの」ではないのだ。
生きづらいけれど。
淋しいけれど。

死にたいまま「母」になる。

もうすぐ、子どもたちが生まれてくる。

彼らが生まれてきてしまった以上、
私は、今まで以上に責任を持って我儘になって、
自分の生きやすさを追求しつつ、
子どもたち――自分の子どもはもちろん大事だけれど、
彼らがより良く生きていくためにも、
次の世代を生きる人たちみんなが少しでも生きやすくなるようにと、
生きていてよかったと思えることが増えるようにと、
願いを込めて動き続けるしかないのだ。

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