見出し画像

居酒屋さんの賄いに大根の葉の菜飯を作って大不評だった思ひ出

私が19歳の頃・・・39年も前の話ですが(2023年時)

当時、私は安いけどもそこそこちゃんとした料理を出している居酒屋さんで調理のアルバイトをしておりました。

バイトといってもフルタイムで働いており、調理場の半分のパートを任されていたので、時折賄いを担当する事がありました。

ある日、仕入れた大根に葉が沢山ついていたので、その葉を塩漬けにし白ごまを振り「大根の葉の菜飯」をつくりました。そこに味噌汁と、何かしらのオカズと・・・

そうしたら、その当時の30代半ばからそれ以上の人たちから「菜飯ぃ?こんな貧乏臭いもの食えるかよぉ・・・何でこんなもの作ったんだよ?オレには普通の白飯をくれよ!」などと文句が出て大不評。食べもしない。

当時19歳の少年の私としては、仕入れた食材を無駄にせず、美味しく賄いにしたのを褒めてもらえるかも、位に思っていたので、結構驚きました。え?一般の人で、そういう偏見があるのは分からなくもないけど、この人たち、料理人だよね?なのに、この反応はあまりにも幼稚だ・・・と思ったのです。そもそも彼らには「仕入れた食材を無駄にせず、美味しく賄いにする」という考えそのものがありませんでした。賄いでも何でも、とにかく少しでも多く会社の経費を使って得してやろうという態度の人が多かった。

どうもその居酒屋さんのオジサンたちにとっては・・・世代なのか育った地域の文化なのか「大根の葉の菜飯」は貧乏人の食い物の象徴で、理屈抜きで唾棄すべき存在だったようです。世代がもっと上の私の父親なんかは好きでしたけどね。たまたま菜飯ヘイトな人たちが集まっていただけなのかも知れません。

それが貧乏人の食い物かどうかは知らんがな、食って美味い不味いの判断をするのではなく、ただ貧乏くさいと根拠なく自分の体験と価値観だけで料理と作った人を罵倒するオッサンたち。こういう料理は魯山人なら喜ぶんじゃないの?アンタら、魯山人なんて知らんでしょ?などとフツフツと怒りが湧き「この味覚の原始人どもめ!そんな事言って食いもしないオマエらの方がよっぽど貧乏臭いわぁ!」と、血気盛んな青年の私は心の中で彼らを罵倒し返しました。心の中でね。

そして彼らからの私の評価は、その賄いで作った大根の菜飯によって著しく低下し「オレたちに大根の菜飯なんて食わせようとした酷いヤツ」という評価が定着しました。

私はそのような体験を沢山しました。ウンザリする程・・・そこで料理は、いや料理に限らず、何かを提供する際にはその場その場でふさわしいものを出さないと評価されないどころか、一生それを言われかねないぐらいに悪い印象を与えるもんなんだなあ、という学びを得ましたねえ・・・そういう経験は学びとしては良いもので自作や自分の理論の強化に役立ちました。

新しい場所や自分の事を知らない人の多い場所では一度で自分の行う事を理解してもらい成功させる事はなかなか出来ないので、失敗はしつつも大きな失敗にはせず都度リカバリーし行動を修正して行き、最終的に自分の要求を通す、そのための心身の技術を実体験を元に築き上げて行くわけです。時にはその場は逃げて勝負しない、という判断も必要ですし。

・・・どうでもいい話ですが、個人的には大根の葉よりも蕪の葉の方が好きです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?