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「好き度」ってありますね

いろいろな「好き」がありますが、自分が本当の本当にそれが好きで「好き度」が強い人は、自分がそれを好きな自覚が無い場合が多いですね。

その人の生活様式自体に、大好きなものが取り込まれてしまっているので、自覚が無いことが多い。

でも、どこかでやっぱり良くも悪くも、自分がそれを好きであることに自負があるものです。

だから、どこかで自分と同じぐらい「好き度」があるヤツや、自分に近いぐらいに「好き度」があるヤツや、まして自分よりも「好き度」が強いヤツと出会うと、ソイツに対して「不安になる」「嫌いになる」「イライラする」なんて反応が出たりしますし、一気に親友になれることもあるし、バトルしてから親友になることもあるし「同じ愛好家同士ということでは認めざるを得ないが、認めたく無い感も強い」なんて心情になったりします。

何にしても「それがスゴく好き」だから起こることなんですよね。

仕事なんかでも、若い時や、中年ぐらいまでは「いや、オレは別に自分の仕事好きじゃねえし」なんて言ったりしますし、実際、その仕事に対して資質と才能があるのにそれほど熱心に仕事をしない人もいます。

しかし実際に長年、特定の分野の仕事をして、社会から認められている人は、その仕事に対して資質や才能がある人達で、それがうまく行っている結果なわけですから「なんだかんだ言ってその仕事を好きになっている」ことが多いですね。

(例えば自分が苦痛を感じるような部署に配属されてしまって、精神的に辛い人は別の話ですが。。。)

人が、人に対しての「好き」の感情は、ストレートに好き!という場合もありますし「ちょっと歪んだ好き(でも超好き)」ということもありますし、その表れ方は実に様々になりますし、生々しくなります。

仕事や趣味への「好き」の感情は、人対人ほどではないにせよ、やっぱり同じようなものだと思います。

仕事の場合、自分の大好きなこと、やりたいことを仕事に出来た幸運な人は、ストレートにその仕事が好きだと表現する人が多いでしょう。

「あんまり好きでも無いことだったけども、それに対して資質と才能があったようで、時間をかけて、結局その沼にハマってしまっていた。それで好きになってしまっていた」

という場合はちょっと「好きだという表現をストレートにはしない」感じがあります。奥にある「好き感」に気づき、ヘンに照れてワザと自分の仕事を貶す発言をしてみたり。

その他その他、多種多様な「好き」があります。

何にせよ「好き度が強い人」は力を持っています。

私が老若男女問わず、人と話をしていて「うわ、この人、本当にそれが好きなんだなあ。。。」と感じた時は、心打たれます。

特に、老齢の人で、その仕事が大好きで、定年過ぎても関わっていたいと仕事を続けていて「オレ、この仕事大好きでさあ。。。こんなトシだけど、まだ上手くなりたいなんて思うんだよ。。。」なんて照れながら、しみじみ本気で言っているような人。

「スゴイなあ。。。」と軽い嫉妬心すら感じてしまいます。

また、人と話をしていて「あ、この人は本心ではガチでそれが好きなんだなあ」と感じた時は嬉しかったり、悔しかったり、羨ましかったりします。

私が若い頃に、創作系で、なりふり構わないぐらいに勢いのある同世代や、自分よりも若い人には嫉妬心を抱いたものです。

仮に、たいした資質や才能も無くても「対象に向かって完全に熱心になれている人」が羨ましかったのです。無心にそれに向かえている人に嫉妬したわけです。自分にはちょっと一歩引いたようなところがあったので。。。

私は、若い時は斜に構えたアホでしたので(笑)「いや、別に本気でやってねーし」的な「精神的な逃げ道」を残して生きていたものですが、いろいろな業界の職人生活を経験し、29歳で独立してからは、そんなヘンな格好をつけて生きていくことも出来ませんので好きだとか嫌いとかを超えて、生存のために制作し、販売し続ける毎日です。

その頃に私は自分が「いつも何か作っていないと死ぬ病(笑)」なのを自覚しました。

さらに中年を過ぎたあたりからは素直に「オレは創作の世界がスキスキ大好き」と思いますし、それを普通に「(創作)仕事が趣味です」と他人に言えるようになりました。

トシをとって、若い時のカッコつける体力気力が無くなって素直に好きと言えるようになったんですね。。。多分。

人の「好き」という感情は男女の問題だけに限らず、歪んでいたり、表にあったり、裏にあったり、出たり入ったりで面倒なものですが「好き」という感情は単純で力があるからこそ、表れ方は、人それぞれ、いろいろになるし、それが他人に影響を与えるのでしょう。

普段はあいまいにしか感じられないけども「好き度が強烈な人」が現れると、普段自覚の無い自分の「好き」をそこで認識して、いろいろ感じるというのも「好きの力」があるからなのでしょうね。

私自身は、自分の日常の創作仕事全般がスキスキ大好きですが、しかし欲しいものを実現するために必要な、実に煩雑で神経を使う作業そのものを好きかと言われれば「非常に面倒だ」と思います。しかし、その面倒は嫌いじゃない、いや失いたくないとすら思う、という感じです。

そして、自分自身が決して安くはない他人の作品を買うとして、もし同じレベルの作品だとしたら「その仕事が好きで仕方がない人」(好きと言わないにしても行動がそれに取り憑かれている人)から買いたいと思います。


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