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やると決めたらやる。それしかないから。①

介護士のはずの私が、元々は保育士資格をもち、保育関連の事務局長をする事になる経緯は、幼少期に遡る。


小学校低学年の頃。両親が離婚する寸前には、父も母もお互いが家庭を顧みない猛毒親になっていたため、夜になっても独りぼっちで過ごす事が多かった。妹は、母の友人宅に預けられていたが、私は母に折檻されるくらいに嫌われていたので、基本独りぼっち。

借金取りの関西弁の、ミナミの何たらの千原ジュニアみたいなお兄ちゃんが家に取り立てに来ても、いつも私が1人で、卵しか入っていない焼き飯を作ったりしていたものだから、

『何や、すごいやん!自分、一人暮らしみたいやん!じゃりン子チエみたいやな!』とジュニアに言われ、褒めちぎられた。気の毒に思ったのか、ジュースを買ってきてくれたり、『これで何か好きなもん食べ』と1,000円をくれたりした。

ジュニアは、しばらくの間毎日のように様子を見る為に来てくれた。いつもいつも、優しかった。しばらく話し相手になってくれた。たこ焼きや焼き鳥を買って来てくれた事もあった。

この人、多分、借金取りなんて向いてないんだろな。何でそんな事生業にしたんだろな、とか余計な事を子どもながらに思いつつ。

私はありがたく、そのお金で駄菓子屋でお菓子を買ったり、スーパーで3袋58円の何処のメーカーかわからないような、激安ラーメンを買ったりしてしのいでいた。

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