見出し画像

「バズる」という言葉がニガテな理由

「バズる」という言葉には、何とも言えない違和感があった。

ライティング講座の講師が「昔の生徒の記事がバズって……」と話していた時や、ライターの知り合いが「俺もバズらせたいなぁ……」とつぶやいた時、わたしはうなずいて聞いていたけど、心の中では「なんか違うな」と思っていた。

もちろん「バズる」のを否定するのではない。むしろ逆だ。自分が発した文章が、短期間で爆発的に拡散されて、たくさんの反響を呼べるなんて憧れでしかない。普段ユーザーとしてSNSやニュースを見ていても、何が「バズる」かはタイミングによって全然違うし、「バズる」と「炎上」の境目は本当にあいまいだ。一歩間違えれば痛い目にあう可能性もある。そんな不安定な現状で、共感や賞賛を多く集める「バズる」現象を起こした人を心から尊敬している。

それでも、「バズる」という言葉につっかかる。ニュースキャスターがJKの流行語を真面目に解説するのを見て、「やめなよ」と言いたくなるような気持だった。でもなぜ「バズる」にそこまで拒否反応が出るのだろうか??今日までずっと、その理由がわからなかった。

「バズる」への違和感の正体。それは…

電車で移動していた時、今日このnoteを書きたくて「バズる」を調べていた。いくつかサイトを見ていた中で、コピーライター糸井重里さんのあるツイートが見つかった。

2年前のこのつぶやきを見て、「バズる」に違和感があった理由が少しずつ分かってきた。

わたしが「バズる」のがすごいと思っていた一番の理由は、PV数やUU数が増加するからではない。今まで全然興味を持ってなかった人、接点がなかった人に自分のことばを届けられるからだ。人から人へものすごい勢いで拡散されて行くことで、接点のなかった本当に届けたい相手とつながれる可能性が高まっていく。超忙しい医者がTV番組に出演するのも、病を抱える患者の命を1人でも多く救いたいからだと思う(金儲け目的の人もいるかもだけど)。それと同じで、コンテンツを作る人も本当に必要としている人に届けるための1本の道として、「バズる」現象があるのではないか。

もちろん1度もバズった経験のないわたしが、偉そうに言う話ではない。「当然分かってるに決まってる」と思う人もいる、いや大半かもしれない。むしろ全員そう思っていてほしい。ただ色々な人と話していると、「バズれば最高!」「バズりたい!!」「どうすればバズれるの?」みたいに、バズった後まで話が及んでいないケースを時々見かける。その道半ばの状態でゴールと勘違いしているような姿が、わたしの違和感につながっていたのだろう。

「バズる」が目的になったとしても……

WEBコンテンツを作る人にとって、PVやUUは売り上げに直結する超重要な数値だ。その数値を上げるためにも「バズる」ものを生み出す必要がある。世の中きれいごとばかり言えないから、「バズる」が目的になっていても決して悪いことだとは思わない。

ただこの先自分も「バズる」を目的に仕事をするようになったとしても、心の奥にはバズの道の先にあるものを描いているようにしたい。就活時代に話した夢や志望動機は、意識しないといつの間にか消え去ってしまう。今私が書いている文章も、仕事が忙しくなれば「世間知らずだな」と感じてしまうかもしれない。

いつか、もしいつか自分の文章がバズった時に、PV数やリツイート数などの件数をみるのではなく、コメントなどの生の声を一番気にかけられるようになれるといいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?