見出し画像

【noteの効用】イジメから人を信じられなくなった16歳の転換点~「書く」ことで意味づけができたこと♯067

私の中で、ずっと記憶の奥底に押しこめていた出来事がある。
それが中学、高校時代。
イジメをきっかけに、ありのままの自分を周囲に出すことが怖くなってしまった経験だ。
また、小6で、中学受験の過酷な競争システムに耐えられず、途中で受験を諦めた経験は、大学に合格するまで挫折感としてずっと引きずりながら過ごしていた。

今年の1月、中学受験から大学受験までを回顧するnoteを書いたが、これをきっかけに、私の中で記憶から葬っていた思い出が、途切れ途切れに蘇るように。20年間、思い出すことを避けていたけれど、それらと向き合うことができるようになった。

マジで"書く"ってすごい。

けれども、そもそもこれらの思い出と向き合うまでに20年以上も月日がかかったとは・・・

今日は、この回顧録の続編。

中学に入学して早々、仲良かったグループに突然無視をされるようになった。前の日まで普通に「おはよう」って言ってくれたのに、ある日突然「おはよう」と言ってもらえなくなった。無視をされることになった理由は恐らく当時は知っていたのだけど、今は思い出せない。ただ、彼女たちの冷たい視線、への字になった口元は昨日のことのように思い出される。

気づけばクラスの大半の人が私に冷たくなっていた。

何が辛かったのかと言えば、お弁当の時間。
お昼休みが始まると、蜘蛛の子を散らすように皆が分散し、お弁当を食べだす。グループに入れない私は、独りぼっちになり、今まで経験したことのないような惨めさを味わった。

しばらく学校に行きづらくなったが、担任の先生に働きかけのおかげで表面的には問題解決。ただ、この経験によってありのままの自分を晒すことが怖くなってしまった。
私自身、もともとは活発な性格で友達も沢山いたのだけど、いつのまにか口数が少なく、ごく一部の友達としか関われなくなってしまった。

当時流行っていたガングロ、ルーズソックス、短いスカートを身にまとったら自分も堂々とできるのかもしれないと思ったが、当時の流行りの女子高生のスタイルに嫌悪感を示す親に反抗する勇気もなく、外見のコンプレックスも増幅していった。

一方で学校の勉強は苦手ではなかった。それが不幸の始まりだった。成績は良かったので、真面目そうな外見や口数の少なさも相まって、周りから「優等生」と言われるように。だから、毎年学級委員長を決める際、面倒な委員長の役職は「優等生」の私に擦り付けられた。おかげで中学3年間、委員長を務めることに。

色々なリーダーシップの形があると思うが、常に周りにどう思われるかを気にして、周囲と関わることが恐怖だった私に務まるはずがないことは明確だった。自分の意見を言えないからだ。学校の成績がいいから務まる職ではない。今なら無理なことは「無理」と断れるけど、当時は断ることでクラスの雰囲気を害することも怖く、その勇気すらなかった。

とにかく当時の私は「委員長」であることが辛かった。
あいにく当時のクラスは学級崩壊に近い状態になることもよくあり、授業中、大声で私語をしたり、歌いだしたりするクラスメイトもいた。

「委員長だから注意しないと」と思う一方で
「注意したら恨まれそう」という思いとの間で葛藤した。
その葛藤が苦しくて、教室にいると吐き気を催すような気分になった。

学校に行きたくなくって、遅刻したり、保健室に行ったり、なんとか教室に居なくていい方法を考えていた。

これほど嫌なら、高校で環境を変える手段もあったのだが、当時は中学受験の挫折感で挑戦できるようなメンタル状態ではなかった。だからズルズルと中高一貫の高校にそのまま進学することに。

私の中学・高校では年に2回、クラスで円座になり、それぞれの悩み、困りごとを打ち明け、分かち合うことを目的にした学校行事があった。

何がきっかけだったのかすっかり忘れてしまったが、この会で、なんと私は自分がこれまでに抱えていた悩みを勇気をもって打ち明けたのだ。

「ずっと、周りにどう思われるのかが怖くて、自分を出せなかった」
と涙ながらにクラスメイトに告白した。

すると、彼女たちは
「そんなに悩んでたんや?!」
「もっと自分を出していいんやで!」

と口々と声をかけてくれた。
中1のときのイジメがトラウマでずっと心から信じられなかった人たちが口々に笑顔で温かい言葉をかけてくれるではないか。

みんな、自分が思っているほど私のことを悪く思っていなかった。

思い返せば、高校時代の後半は比較的学校を楽しんでいた記憶はある。ただ、その後、東京に上京、自由な環境での大学の思い出の印象が強すぎて私の人生が好転したのは、「大学受験」がきっかけだったと思いこんでいた。だからこそ、子供にはいい大学に進学して、いい仲間をつくってほしいと願っていた。(今は、そうは思わないので「過去形」。その背景はこちらに綴っています)

日々が楽しいと思えるようになった転換期は、自分の本音を言えた学校行事だった。

しんどかった、辛かった中高時代の思い出の中にひっくるめられて、
自分の記憶の奥底に塞ぎこんでいたけれど、
傷ついて、人を心から信じられなかった16歳が
人を信じてみようと勇気を持って、自分の本音を伝えたことって
けっこう大きな、私の人生にとって意味のある体験だったのではないだろうか。

それを思い出し、それに気づくきっかけを与えてくれたのは、noteに「書く」行為。

書くことってすごいですね。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?