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天気の話題をすっ飛ばして、初対面の人に「生と死」について問いかけてしまう発達障害者


先日Twitter(X)にて、発達障害関連で興味深い内容のつぶやきを見つけました。

一つ目のポストはこちらです。

夜職やってるADHDの子、天気の話とかの雑談すっ飛ばして「ところで人ってどうして生きてると思います?」ってぶっ込んだ話を初対面でしたり、複数人の会話が苦手で大人しいのに2人になるとすごい勢いで話し出したりするから「自分にだけ素出してくれてるんだ...」と、みんなに思わせて無双してた。

でも薬飲み始めてから頭がスッキリしすぎて何も思い浮かばなくなっちゃったらしい。そういうこともあるんだな。。。


このポストを読んで、このADHDの方の発達凹凸バランスはどうなのかは分かりませんが、


個人的に提唱してる仮説、
発達障害者は社会適応力より先に、抽象思考・哲学思考から成長する

発達障害者の中には、視座が高すぎて浮世離れする人もいる」説に見事に当てはまっていて興味深いなと感じました。

もしくは、発達障害者は多数派と興味関心の話題を共有しにくい経験から、「生と死」という(誰もが関与する)普遍的すぎる話題に飛躍してしまうこともあるのかなと…色々考えられそうです。




もう一つのポストはこちら。

発達障害でも、普通の人よりゆっくりとだけど、成長すると思う。私は社会人5〜6年目で、やっと雑談で天気の話ができるようになった。それまでは初対面でいきなり生と死について話すなどしていた。

こちらのポストでも、「初対面で天気の話など雑談をすっ飛ばして、いきなり生と死について話す」発達障害者の習性について言及されています。

確かに、私自身も昔は似たような癖がありました。

興味深いと感じるとともに、それだけ深いことを考えられるってことは、発達障害者は定型発達と比べて「成長がゆっくり」というよりも、「成長順序や方向が違うだけ」なんだなと改めて感じます。

やはり、発達民は現実への適応力より先に、抽象思考から発達するのでは?とそう思わずにはいられません。


もしくは、発達障害者は社会問題や生死に関する話など、「本質的な話題」に目が向きがちな特性なのもあるけど、常にそれを意識せざるを得ない程生きづらいから、持ちネタがそういう話題になりがちなのかなとも考えさせられます。

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