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めんどくさくなることを否定しない


めんどくさくなること。

仕事、家事、交流関係、子育て、趣味、家族、過去、今、未来…

すっごい「あー、めんど」と思うことがある。

だけどそれを「めんどくさいと思わない」「めんどうなところをふんばる」
みたいな風潮が未だある。 

未だ、と付けたのは20年前に比べて声を大にして(それこそこのように日記で晒して)言っても大丈夫になってきたように思う。

だけどそれはとてもパーソナルでプライベートな場面であって、まだオフィシャルでは「めんどくせぇ」と言いにくい場面は残る。
Twitter、Xにおいても様々な意見に批判、非難轟々の嵐が世の常である。
しかし、それがXであって、自由意見であって。だがそれ故「めんどくさい」のだ。


たとえば子育てを面倒だ、と呟きだすと「子育てにそういう気持ちを持つな」「休む暇などない」「毎日が子育て」とかいう人がいるかもしれないが「うっせぇ」と一蹴したくなる。

仕事に関してもお金を稼がせてもらえてることをありがたく思え、とか求めてもいない説教とか、「自分は頑張ってる勢」がうるさい。

というか頑張ってない人なんているのか?
誰だって頑張ってる。生きてるだけで素晴らしい。
更にこちらは相手の否定なんかしてない。自由意見だろ?だかしかし他人に迷惑はかけているのは自負しています(・_・;

相手に意見するのは「フォロー」とセットだと思う。存分に凹ませといてそのままって、サイレントパワハラでないか?と思う。

「めんどくさい」に内包されている「しんどい」「やりたくない」を否定しないでおこう

これに尽きる。

仕事休んだって、育児に疲れて動けなくなったって、病気で動くことすらめんどくさくなることある。

それを否定しない。
むしろなんでそうなるのか。そっちを考えた方がいい。

仕事のモチベーションが下がったり
仕事行くのめんどくさくなったり
(今の私)


めんどくさい時。
なんでそうなるのかを、考える時間なのだ。

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