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時間に余裕がないと心の余裕は生まれない

 妊娠による体調不良を機に何ヶ月か仕事を休むことにした。
 絶対安静の指示がなくなったあとは、仕事の復帰を視野に入れていたこともあり、落ちた体力を取り戻そうと思考錯誤しながら過ごしていた。

 10週前後は、つわりも落ち着き、いくらが気分よく過ごせる日が増えてきた。ずっと良かったわけではなくて、午前中元気だったのに、午後からぐったり…。その逆の日もあって、終日外出をするのは難しかった。外出はしたいけれど、急に体調が変わるのが怖くて、1日中家で過ごす日もあったけれど、外に出ないと気持ちがふさぎ込んでしまうことも多かった。だから、食料品は買いだめせずに、予算を決めて毎日買い出しをするようにした。毎日違うスーパーに行くことになるから、気分転換にもなるし、「この商品は、あのお店の方が安いんだな」「この店にはあの野菜は置いてないんだな」と、新しい気づきもあった。

 13週頃になると買い出しをして、夜ご飯をつくるくらいの体力は戻ってきた。あともう少し体力を取り戻せないかと、近所の公園を散歩してみたり、商業施設に行き(何も買わないけど)中をうろうろと歩きまわったりした。
歩き過ぎた日は帰宅した後すぐにダウンした。こんな私の様子を見かねた旦那さんから
「安定期に入るまでは、無理に運動しなくていいんじゃない?」
と言われてしまった。

 確かに、「今修行のように頑張ってもなぁ」と思い、無理のない範囲で体を動かすことにした。

 運動以外に、食事に気をつけるようになった。
悪阻以降、食べられなくなった食材もあるけれど、お腹の赤ちゃんのためにもなるべく野菜、タンパク質をバランスよく摂るように意識するようになった。
(つわりから解放されつつある今でも、鶏肉と魚全般は受け付けない。視界に入るだけでも気持ち悪くなる。)

 炭水化物については、仕事をしていた時ほど活動量がないので、多く摂り過ぎないように気をつけている。(仕事をした日は、なぜか1日8000~13000歩職場の中で歩いていた。教室の移動や基本立ち仕事だからだろう。)
 以前よりバランスよく食べているおかげか、特別甘いものが欲しいとか、ジャンクなものを無性に食べたいとかはなくなってきた。そういういったものが食べたい時には我慢をせず食べて、1日の中でバランスをとるようにしている。
 外食もすっかりなくなり、食卓に並ぶ料理は基本的に一汁三菜。
旦那さんは何を食卓に出しても「おいしい」と残さず食べてくれる。そんな旦那さんは、お酒はあまり飲まないのに、ここ数年健康診断の肝臓の数値が悪い。甘いものとお米の食べ過ぎを私に指摘されているから、お米のお替りは我慢したり、私に一言許可を得てから少量おわんに盛るようにしている。(たまにかわいそうになる時がある)
 キッチンに毎日立てるようになってから、料理をすることが日々の楽しみになっていった。
 若い頃は、多少雑な食生活でも、そんなに体調に響くことはなかったのだけど、食事の内容を気にするようになってから、体調だけでなく精神的にも過ごしやすくなったような気がしている。

 朝欠食スタイルは続いているものの、ブランチとして自分のために旬の野菜をふんだんに使ったパスタをつくる瞬間は、気持ちが温かくなる。毎日朝から夜遅くまで働いていた時には感じることができなかった充実感が湧く。

 朝は食欲も時間もないから、そのまま職場に行き、なるべく元気な表情で同僚や上司に挨拶をかわし、朝の学活に出向く。その後、午前中の授業をこなし、空きコマがあれば事務作業の合間にお菓子をつまみ、お昼になったら給食をよく噛まずに胃に流し込む。(給食準備も食事の時も、食後も気をつけないとトラブルはつきものなのだ。)なるべく早く下膳し、机に戻って生徒全員の日記にコメントを書き込む。そのまま午後の授業の準備をして、授業をこなし、帰りの会をしてから急いで部活に駆けつける。部活が終わってやっと職員室の机に座る頃には、事務作業をする気力もないほど疲れている。渋々事務仕事をこなし、退勤しながら夜ご飯の支度のことを考える。作る気力がない日がほとんどで、安くなったお惣菜を買い占めて帰宅してからレンジで温めて食卓に出したり、帰宅のタイミングが旦那さんと同じくらいになりそうなら、近所のラーメン屋で食べたりすることがほとんどだった。
食べた後は2人して寝落ちて、早朝に急いでシャワーを浴びてそれぞれ出勤する。

 こんなルーティンなので家の中もぐちゃぐちゃだ。整理整頓って、何だったけ?というような有様だ。「丁寧な暮らし」がしばらく流行っていたけれど、私と旦那さんの毎日には「丁寧な暮らし」のかけらもなかった。
 ストレスでそんなに欲しくないものを勢いで購入することも年々増えていった。少し目にして気になったコスメに服。「自分だって働いているのだから」と自分に言い聞かせ購入するのだけど、スッキリするのはその瞬間だけだった。

 仕事を休ませてもらっている今、逆に時間ばかりがありすぎて何をすればいいのかわからなくなる時がある。何もできなかった日は自己嫌悪に陥ってしまう。だけど、最近やっと、散らかっていた家の中に気持ちが向くようになった。家具の位置や棚の中の整理整頓。本棚の収納。学生時代、一人暮らしの時は物の配置や置くものにかなり拘りを持っていたことを思い出した。
散歩から帰宅したある日の午後、久しぶりに絵を描こうと画材に手を取った。自分のものづくりのために画材を手に取ったのは、大学卒業以来だった。

 時間をかけて、じわじわと本来の自分らしさを取り戻しているような感覚がある。それを自覚した瞬間に涙が溢れそうになる。
「自分が思っていた以上に、心を病んでいたのかも知れない」と。
 私の実の兄には発達障害と精神疾患がある。多感な10代の頃から就労に苦労する様子を間近で見て育った。
 だから、なんとか定職に漕ぎつくことができた自分は恵まれているのだ、自分よりも大変な環境で仕事をしている人なんて星の数以上にいる、と自分に言い聞かせて毎朝布団から這い出ていた。
 今の職場に異動してその年の冬に円形脱毛になった。その次の年に、夕方になると蕁麻疹とメニエールの症状が毎日出るようになった。そして次の年に1人目を流産した。
いつも転職を考えるようになっていた。

 自宅療養中に休職の手続きをしている時、事務から「手続きの不手際があって今のままでは休職に入れない」と謝罪を受けた。寝耳に水だった。あなたの言う通りにしたのに何で?と事務の職員を責めた。
だけど、悪いのは事務の職員だけだったのか。
知らない・知ろうとしない自分にも落ち度があるんじゃないかと思い直した。
 これをきっかけに自分でもお金や世の中の制度の勉強をしようと思い立った。
 本屋に行って、ファイナンシャルプランナー(FP)3級の参考書と問題集を買った。
 参考書を開いて驚いた。リスクマネジメントに金融資産運用、タックスプランニング、不動産、相続など。人生の節目に必要となってくる内容ばかりだった。同時に自分がいかに世間知らずだったかを痛感した。

 仕事は早かれ遅かれ辞めるだろう、と思う。すぐ決断する必要はないし、今はお腹の子のことを一番大事にして過ごしたい。
 時間に余裕があるここ最近は、よく昔の楽しかったことや苦しかったことを思い出す。辛い過去は思い出すと気持ちは萎えるし、時間の無駄ではあるのだけど、それがなければ現在の自分は存在していないのだとも思う。
 出産までまだ時間はある。時間をかけて自分の心を癒していきたい。資格の勉強も、少しずつ進められたらと思う。


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