「カウンセラーはね、親の悪口を言う場所じゃないからね」

「カウンセラーはね、親の悪口を言う場所じゃないからね」―苦しみ続けていた18歳の時に母親から言われた言葉が、いまだに胸の中で痛む。

毒親。いまでこそ、そうした言葉が広まっていて、「毒親からは逃げればいい」という考えも増えてきている。でも、当時はそんな言葉がまだなくて、私にとっては親がすべてだった。

涙を流した時に「しょーもないことで泣くな」と言われたとき、自分の涙には価値なんてないんだと思った。一生懸命、親の意見に反抗しても「お前は馬鹿か」「後で泣くのはお前やからな」と言われるたび、自分の意志なんてどこにも出してはいけないように感じた。

「大人になったら、親が正しかったことが分かる」「お母さんの見る目は間違いないから」という言葉を押し付けられるたび、私の感情や期待はどこかに消えていくような気がした。

そんな日々を繰り返していたら、自分の意見が誰にも言えなくなった。笑えなくなって、能面のように生きていくようになった。

それでもなんとか感情を、心を取り戻そうとして友達にすがった。けれど、「誰と電話してるの?」と携帯を取り上げられて、友達に「うちの子、なんか変なこといってなかった?」と聞く親を見て、希望は消えた。

「身近な人に話す」という手段を失った後は、カウンセリングに頼った。決して相性が合ったカウンセラーだとは言えなかったけれど、自分の弱音や愚痴を言える存在がいることが単純に嬉しかった。でもカウンセリング後に親から「カウンセラーはね、親の悪口を言う場所じゃないからね」と言われた時、ここも逃げ場にはできないと思った。

会話を奪われた。どうしたら、いいのか。そうだ、私にはまだ文字がある。そうひらめいて、今度は日記にただただ自分の感情を殴り書きするようになった。ルーズリーフいっぱいに並んだのは心の声であり、私の涙だった。

けれど、ある日気づいた。親が私の日記を見ている…。

もうどこにも、逃げられなかった。話すことも、書くことも出来なくなって、ただただ屍のように生きていた。生きていたかどうかも怪しい19歳だった。

睡眠薬に溺れた。リストカットを何度もした。夜遊びに繰り出した。もう、すべてどうてもよかったし、逆にすべて、なんとかなってほしかった。

そんな中で見つけたのが、パソコンの中という居場所。ここに綴れば、デジタル機器が苦手な親は入ってこれない。やっと見つけた居場所。弱音を吐ける場所。私の声が紡げるところ。「助けて」が言える相手がいる。それが単純に嬉しかった。泣けるほど、嬉しかった。

ネットは毒にもなりえる。でも、私にとっては蜜であり、薬だった。今ここで、こうしてひとり文字を紡いでいるのも、あの頃の私がまだ心の中で生きているからだと思う。

私はひっそりと愚痴や弱音をパソコンに綴ることしかできない。限界をwordに訴えることしかできない。でも、もし私と同じようにひとりで苦しんでいる人がいるのなら、画面越しでもいいから関わりたいと思う。

救うなんて、大それたことはできない。でも、ひとりぼっちより、ふたりぼっちのほうがきっと楽になれるから。

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