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気づきが溢れて止まらない日を記す

1月末に息子が部活に行けなくなり、そこから学校にも行けなくなり、強烈な出来事の連続で、ジェットコースターすぎる日々で、わーきゃーわーきゃーやりながら、薄々気づき始めた。

「もはや私の手には負えないな」

それこそが必要なのかも、私もう無理でーす限界でーすこれ以上なんもやれませーん、て、お手上げ降参すること。

「土俵から降りること」

これこそが、糸口なのかもしれない。

そういう気持ちがこの数日モーレツに込み上げていたところで、今日、確信に至った。

間違いない。

息子が苦しみから抜け出す邪魔をしてたの
私だったーーーーーーーーーーーーーーー

間違いない。

息子のことにかまけて、自分のやりたいことに本腰を入れない。子どもたちのことや家の中のこと、環境的なこと、自分以外のことを常に優先して、というか、自分以外のことを自分のこととして扱って、それを言い訳に本当にやりたいことに向かわない。

うわーーーーー痛いーーーーー

でも、間違いない。

私が息子にどこまでも寄り添い(と思い込んでいる)つづけることで、どんどん彼のパワーは奪われ、どんどん闇から抜け出せなくなっていくんだということが、薄々気づくレベルから、確信レベルに至った今日。

彼の苦しみは彼のものであって、私のものではない。

一見当たり前だろ、としか思えないこの真実が、私には本当の意味で理解できてなかった。

私は彼の苦しみを私のものとして受け取り、彼が導き出すはずの答えを多方面からアイデア出しすることで阻んでいた。

一歩踏み出すのは難しいよね、だから一緒にやってみよう、一緒に考えよう、1人じゃないから!最強の味方だから!

こうやって、常に私が手を引っ張って、こっちはどぉ?こっちはどぉ?どんな道だってありなんだよ、こんな道もあるよ、あ!ここにも道みつけたよ!と、彼を引っ張り回していた。

そもそも、自分の前に道はない。自分がこっちと決めて歩くからこそ、歩いてきたところに道ができるんだ。それが人生ってもんだろ。はー、分かってなかった。

その結果、彼は本当に本気で自分の頭で考えることをやらずに済んでしまい、欲しいものだけ並べ上げ、それを誰か(主に親)が与えてくれると信じて疑わないだとか、憧れの未来(行きたい高校とか)は描くけど、そこに到達するまでのプロセスや、その未来に向かう第一歩を踏み出すことから逃げてしまうだとかを、やり続けてしまっていたのだ。

彼が私に甘えている。
彼が私をなめている。
彼が私に依存している。
彼が自立できていない。

ずっと主語を彼として考えていたが、全くもって、違っていた。

私が彼に依存している。
私が自立できていない。

これが第一なのだ。もちろん、彼も私に甘えて依存している。当たり前だ。私が手放さないんだから。美しいまでの、相互依存の完成だ。

本当に、気がついた。
そして、覚悟を決めた。

私が彼に依存することをやめていく

気づいた方から動き出すしかないのだ。

母が息子に依存するってどーゆーこと?というのを、とても分かりやすいくる説明しているサイトを友人が教えてくれた。

この中で、最も具体的で分かりやすく今の私の置かれている状況に近かったのが、【昼夜逆転】案件。

昼夜逆転のなにが問題なのか?

私は、何もしなくても引きこもっててもいいから陽の光を浴びてほしい、それによって身体が整って心も整っていくから、というようなことを、ずーっと言っていた。言っても言っても変わらないどころかどんどん悪化していく、私はイライラするばかり、これさえやめてくれたらあとはどうでもいいのに、くらいの気持ちだった。

上記サイトの中でこうあった。

「昼夜逆転するのは息子の問題。それを問題だと認識して心配してしまうのは、自分の問題。自分の問題だけに取り組む」

よーーーく、分かった。昼夜逆転して困ったことになるのは息子の問題であって、そこに真剣に取り組むべきは、私ではなく息子なのだ。

私は息子のwell-beingが大切だから心配してしまう、でも、私自身が昼夜逆転しているわけではないのだから、困るのは私ではないのだ。

息子が本当に自分の問題なのだと認識して、なんとかしなければ、と動き出さなければ、このことに終わりは来ない。それを、私が先回りしてなんとかしようとすることで、いつまでも息子が自力でなんとかしようと動き出すことから遠ざけていたんだ。

理解してみたら、一事が万事、そういう構造で歩んできたのではなかったか、私たち…

うわーーーーー痛い…(2回目)

しかも、多方面から何度も気づきのヒントはもらっていて、薄々気づいていたのに、やっぱり見えてなかったんだ。見ないようにしてたとも言える。

でもね、私はここまでの自分を何も否定しない。ダメだったーなんて思わない。これまでの私の全ては最善だった。間違いない。何も否定する必要はない。あちゃーーーーーいたたたたーーーーーと感じるし、ガッカリしちゃうのは事実だけれど、それでいい。それがあるんだから、あっていい。

あるがまま、ていうのは、本当に言葉通りで、ある、がそのままある、てことなんだよね。至らない自分もそれにがっかりする自分も、分かってても【べき】で動いてしまう自分も、全部あるの。あるがまま。あるがまま、あっていい。ただ、気づくだけ。あるねーって。

これも、本当に肚からわかったなーーーーて感覚がやってきた。

私は心から息子を愛している。このゆるぎない真実から、彼との関わり方を変えていこう。

昼夜逆転を直そうとしない
無理やり動かそうとしない
いろんなアイデアを提供しない
お金を簡単に差し出さない
風呂入れや部屋片付けろやご飯食べろなどなど言わない
ほだされない
なぁなぁにならない

ないないづくしだけど、でも、全部愛からやる。そして、常に開いている。話したいことがあったらなんでも言ってね。いつでも話してね。何を言ってもいいよ。何かリクエストがあったら出してね。でもそれに応えるかどうかは、私が私を尊重した上で決めるね。

よし、ここに書いた全てを、息子に宣言しよう。

そして、取り組むのは私のことだ。私の問題、私の生活、私の仕事、私の人生。

わたしがわたしを生きる

これをずーっと言い続けてるけど、本当にこれしかやることってないんだ。

これについての具体的な話もめっちゃあって、今日素敵な素敵なワークショップを受けてきたので、そのことについても必ず書く。

ああ、なんて素晴らしい1日だったんだろう。
最後に、愛してやまないMrs.GREEN APPLEの名曲を歌って、本日は閉店としよう。


嗚呼 なんて素敵な日だ
幸せに悩める今日も
ボロボロになれている今日も
嗚呼 息をしてもがいている
全て僕のこと
あの日の僕らのこと
僕と君とでは何が違う
それぞれ見てきた景色がある
僕は僕として今を生きていく
とても愛しいことだ




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