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ココロとカラダ

私は子供の頃、面倒くさがりのインドア派。興味のあるスポーツもなく、親もインドア派だったので家でゴロゴロ過ごすことが多かった。
でも若さによる溢れ出るエネルギー。持て余してモヤモヤしたのを覚えている。

高校のときは放送部に入部。
応援団逃れのための選択で、校内放送をするくらいしか想像つかなかったが
そこはラジオ番組やテレビ番組制作をするという、クオリティの高い部活だった。
大会に向けて締め切りに追われつつ、仲間と試行錯誤しながら作品を作り上げていく過程は私にはとても楽しいもので、いわゆる青春を謳歌したと思っている。

 青春を楽しんだことには違いないが、部活引退後、若いエネルギーを持て余す状況は変わらず、発散できずにどこかモヤモヤしたものを抱えたまま20歳前後を過ごした。

その後社会に出てから、初めての社会に対する理想と現実の違い、自分に対する理想と現実の違いに打ちのめされ、まずはカラダが崩れ、次第にココロが病んでいった。

あのとき。
カラダが崩れる前に、何か趣味のスポーツでも見つけられていたら、何かが変わったんじゃないかと思うことがある。
カラダを動かしながら笑う習慣をつけられていたら。。

カラダが崩れると、あれよあれよとココロまで崩れていった。

ココロが崩れてからはいろんなことが怖くなった。
疲れることが怖くなり、無理することが怖くなり。。

仕事を辞めてしばらく休息。
何もせずにゴロゴロして、ただただ
一生懸命自分を許そうとした。

いや。
でもどこかで自分を許せない自分がいて…
気がつくと「4にたい」と呟くのがクセのようになっていた。

外ヅラのいい私は、そんなこと周囲にはおくびにも出さず
ふとした時に呟いては、自分を責めて自分を痛めつけて自尊心を削り、未来が見えなくなっていった。

今、子供達はそれぞれ野球や卓球など、仲間とカラダを動かす楽しみを味わっている。

その瞬間・経験は、必ず彼らのこれからの未来を照らす宝になると信じている。

もちろん、運動部員なら誰も鬱にならないと断言できるものではない。
けれども仲間と汗を流す楽しみを知っているココロと知らないココロでは、
倒れたときに起き上がる強さが違うのではないかと思う。

知らないココロと付き合い続けたおばさんの感想。

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