【紹介】はじめまして!【炉紀谷 游】
🌸はじめまして
奇天烈な文言に誘われたか、あるいは何かがあなたの心に触れたか。
こんにちは。創作系サークル<サークル・オベリニカ>創設者の炉紀谷 游と申します。
創作系サークルとはなにか、とか、サークル・オベリニカとはなにか、などあると思いますが。それはサークル側が説明してくれると思うので、その道先だけご案内差し上げます。
世の中には様々な人がいて、文字を書こうとする人、あるいは自分のことを語ろうとする人でさえ山ほどいるというのに。
まだ世界には、ニャハヴェール〈こんにちは〉という文言を使っている人はいないようでした。
ですから私は、新規性を作り出せるということで、文字書きを名乗ってよいのだと思います。ということで、私は文字書きをやっています。この度、文字書きとして、noteでなにかを発信することに決めました。
最初にも説明した創作系サークルでは、ゲームのシナリオを書いたり、ドラマの脚本を書いたりしています。もちろんそれ以外にも色々と、文字を書いて人間のためになろうと日夜奮闘しています。
🖋文字書きである理由
なぜ文字を書き始めたのか、はあまり覚えていないもので、お届けできるストーリーもありません。よくこのあたりは皆偽造しているものだと思うのですが、正直に言って、都合の良いエピソードを持っている方が珍しい――などと言うと、実際に持っている方に大変失礼でした。が、まあ、私にはストーリーがありません。
しかし、ここまでの人生を振り返ってみると、言葉に触れた経験は、人並みにはあるといってよいと思っています。
一番近い経験で言えば、私は言語学なる学問を専攻しています(具体的には英語学 English Linguisticsですが)。
言語への興味をことばにして固めたのは、高校生の頃でしたが、今あらためて述べるならば、私は言語という非常にありふれた存在について、驚くほどになにも知らないし、なぜ使えるのか、どうして他の人も、あるいは自分も、上手く言語を操作し、意思疎通を図れるのか、さえもわからない。故に、学ぶことへの興味関心が沸き立ったわけです。
あと、その心境に至るまでに、ぼちぼち文字を書いていたのは覚えています。付随して、本を読んだ覚えもあるし、ことばを使って褒められた記憶もあります。
中高は、演劇部、放送部と、やっぱりことばが関わっている経験が多かったのかもしれません。
あるいは、少しだけ物事を考えられるようになったときに、私は、ことばによる思考が止まらなくなってしまったのかもしれません。
そう考えるとますます、そのような気がしてきます。
思考が、止まらない。止めようとしても落ち着かない。ことばが流れ込んでくるようなイメージ。
止まらない興奮を。あるいは、著しい焦燥感〈impatience〉を。そうつけているのは、この止められない思考のイメージを当てはめたのです。
ここには、思考せざるを得ない状況がいくつかあったということになるのですが、それはまあ、別の機会にお話するかもしれません。
ともかく。文字書きを自分の一部としようとしたのは、その止められない思考に向き合うための道具が欲しかったから、というのが今のところの答えです。これは、自分に最も正直な答えなのであって、創作できるのが文字だけだからとか、絵がかけないからとか、他にも理由は作れますが。
そのような人間が書く文字は、物語的かと言われるとそうではなく、おそらく中の人が見え隠れするタイプの自語り形式なような気がします。
嫌われそうなもんですが、そもそも自作に無関心な世の中に対してあまり出してこなかったので批判を受けることもありませんでしたね。長い間、身内で遊ぶほどの文字書きでした。
📚どうして書くのか 何を書くのか
そのような人間が、どうして自身の居城から離れて、世界に文字を書こうとしたのか。
おそらくそれは、サークルを立てているからでしょう。これもまた、別の機会にお話すると思いますが、とてつもない偶然と、孤立感、熱意が集合して立ち上がった創作コミュニティが、私を駆り立てているのです。
サークルのことも、自身のことも。届けよう――その精神は、明らかに私が創作コミュニティに感化され、発信することへの抵抗感が払拭されたことと、自己表現の自由を勝ち取ったことを示しているように思います。
書き出すのは私の感じたものの一部をエッセイにしたものです。「その身体から溶け出たニ割を詰めた随筆」というと、そのとおりですね。
読者というものを想定しているかというと、それほど意識していないのですが、あなたがそこにいるのなら、声を届けようと思います。
私自身に「価値」というものを見出すのは、自分では非常に難しく、そのために、私の書く文字に価値があるかも判別がつきません。しかしそれはまあ、コンテンツとは供給を作るうちに需要が生まれるものと思っておけば、多少は気が楽になるというものでしょう。
あるいは、ここで一つ。私が思うに、生きるとは、何かを残すことだと。それが果たされれば、少なくとも私自身はそれで良い。そして、生きるとは、誰かの残したものに囲まれながら、その先を行こうとすることだとも思うのです。
であれば、読者のためにもなるのかもしれません。
さて。紹介――厳密には、あなたと私のフックとなった奇文を説明するという試み――は終えました。ちなみにこれは自己紹介というようなものではありません。苦手なので。
自分のことを自分で語るというのは、できれば避けたいと思ってしまうのです。欲張りなので、自分は深遠な存在だと思われたく。なので、フックの説明に留めました。これが、私のニ割ぐらいでしょう。
では、私とともに精神世界に飛び込む覚悟ができたならば。
どうぞ今後とも、お付き合いくださいませ。
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