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「ひとり」という思い、GIFTで差し出された愛

羽生結弦くんのアイスショーと数々のモノローグを配信で改めて見ていたら、そしてそれに対する感想を目にしていたら。自分がここ数年抱え続けていた、孤独感のことを思い出した。といっても、家族も友達もおり、仕事も人と接するのがメインなので。実際にひとりぼっちだったわけではないし、その人達の誰かに冷たくされたわけでもない。

ただ20年来の仲良しを亡くしたことが、自分が頭で認識しているよりもずっと、しんどかったらしい。

そうは言っても前述したように、自分にはだんなさんもいるし、溺愛している犬だっている。そもそも彼女以外にも友達はいる。それに彼女にだって家族も子供もいて、さらには闘病中でもあったのだから、近年に限ってはそこまで頻繁に連絡を取り合っていたわけでもないのだ。だからそのことで、こんなにも長々と「自分はひとりぼっちだ」という気持ちになるなんて、孤独感を拭いきれないと感じるだなんて。自分でも思ってもみなかった。

大体自分は、そんなにひとりが苦手なタイプでもない。ひとり旅が大好きで何度も行っているし、ひとりごはんに抵抗もなく、なんなら数ヶ月くらいひとりで家に引きこもっていても楽しくやれる自信はある。むしろ頻繁に人と会いに出かける方が、疲労が溜まる方なのではないかと思う。誰かと遊ぶのも友達と会うのも好きなのだけれども、ひとりで何かをする時間も相当に好きなのだ。

そんな自分だというのに。ただ、心から信頼していて大好きだった彼女がもういない、というだけで。まるでこの世にひとりぼっちで取り残されたような寄る辺無さや、誰にもわかってもらえないという孤独感が生まれた。

これまでずっと「ひとり」は快適なことだと思っていたけれど…たぶんそれは、その時々でまるで命綱のようにしっかりと結びついていてくれる人たちがいたからで。実際に隣にいなくとも、自分のための特別席がその相手の心の中に、きちんと用意されていることを信じ切れたからだ。そんな風にちゃんと安心して帰れる場所がなければ、自分は思っていたよりもずっと不安定で。これまでこういう感情を覚えなかったということは、ずっと自分は人に恵まれていたのだなと知った。

そして「パートナー」と「女友達」は、自分にとってまったく違う形をした穴なのだな、ということもこの時に気づいたことのひとつだ。1番長く側にいて、誰よりも気心が知れているはずのだんなさんがいても、この糸の切れた凧にでもなったような空虚な気持ちは、相変わらず在り続けた。
この気持ちがやっと落ち着いたのは、昨年20年ぶりにある女友達と過ごした時だった。おそらく亡くなった彼女に対するものと、心の預け方が似た相手だったからだと思うけれど…その時を境に不思議なくらい、ふっとあの空虚さが消えた。

別に、その友達が彼女の代わりになったわけでもなく。亡くした友達を想う気持ちが変わったわけでも、彼女を恋しく感じる気持ちが無くなったわけでもない。ただ、自分は「ひとり」ではなかったということに、まだ「帰りたいと思える場所」があるということに、この時すとーんと気づけたのだと思う。

GIFTで羽生君のモノローグを聞いたり、その部分へのファンの感想を読んでいて、この時のことを思い出した。
彼もまた…支えてくれるご家族がいても、それこそ星の数ほどの気持ちを寄せてくれるファンがいたとしても、それだけでは埋まらない穴があったのだろうか。この形でないと埋まらない穴があるのに、それを埋める術を無くしてしまった…という無力感を覚えたことがあるのだろうか。そしてそこから、「帰りたいと思える場所」を見つけ出せたからこそ、このGIFTという物語が生まれたのだろうか…と。そんな風に自分を重ねて、思いを馳せる。

そうなのかもしれないし、そうではないかもしれない。覗き込む穴の深さや暗さは人それぞれに違うもの、大小に関わらず誰かと安易に共有できるものではないのだから。余人には想像も比較もできない。

ただ、これだけは確実だと思えるのは。そんな暗闇の中を通り抜けた先で「僕だけじゃなくて、大なり小なりみなさんの中に存在しているもの。みなさんにとってもきっとこういう経験があるんじゃないかなって」と、GIFTという「1人になった時に帰れる場所」を提供しようという考えにいきつく、羽生結弦という人のやさしさの底知れなさ。
GIFTのコンセプトに対して「僕があまりにもらいすぎたから」と彼は語っていたけれど、これに対して「いやいやいや、こっちがもらいっぱなしなんですけど!?」と返したくなったファンは多いはずだ。絶対に、倍返しされてる。

そういえば昔、目に見えない世界をお仕事にしている知り合いが。試合での羽生君を見て、「この人は魂で生きてる人、愛のエネルギーが高い」と飲みの席で語っていたことがある。自分の凡人の目には、誰もが見えるような当たり前のものしか見えないけれど。さもありなん、と思う。
このGIFTというショーを単なる最高のエンターテイメントに留めておかなかった彼は、たしかに「愛の人」なのだろう。

響かない人には響かないだろうし、なぜこんな暗いモノローグを…と感じる人もいるはずだ。でもそんなことはわかりきった上で、このやさしさに救われる人の為に…とこのような構成を選択した羽生結弦という人が、自分はやっぱり好きだな。

素敵なショーを、贈り物を、本当にありがとう。

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