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あ、野菜焼くのも悪くないかも

 夜。仕事から帰ってきて冷蔵庫をあけると、半端に余っていたキャベツが目に入った。その半端な大きさというのが、手のひらよりも少し小さいぐらいのなのだが、なんだかそのために包丁を出し、千切りにするのはとても面倒くさい。


さてどうしようかなと悩んでいたところ、「夜ご飯にレンコンをそのまま焼いたら美味しかった」という山口祐加さんのVoicyの話を思い出し、「そうだ、キャベツをそのまま焼こう」と思い立った。

温めたフライパンにごま油を垂らし、芯ごとキャベツを投入。油が結構な勢いではねるので、水をちょっとずつちょっとずつ様子をみながら入れて、ひっくりがえしながら、少し焦げ目がつくまで蒸し焼きにした。


焼いたキャベツはつやつやで、なんだかお風呂あがりのよう。それにほんのひとつまみ、塩をパラパラとふりかけて、芯のまわりからとうもろこしのようにひと口かぶりつく。


驚いたのが、キャベツの甘さだ。焼いたキャベツってこんなに甘いの?知らなかった、シンプルに焼いただけなのにこれは美味しい!と心の中で次々に感想をつぶやきながら、しんなりしたキャベツにかぶりつく。不思議と芯の苦さはあまり気にならなかった。


「この食べ応えはいい肴になりそうだなあ」とちょっと良い気分になり、冷蔵庫からお酒を取り出して飲むことに。ついでに冷凍餃子を焼き、マヨネーズと白だしでディップソースをつくって、それをキャベツにつけながら食べたら、なんだかそれだけなのにとてつもなく贅沢で、濃い時間を過ごしているように思えた。


ほぼ、芯



コンビニ飯やお惣菜など、決まった食事が続いていた自分にとって、これぐらいのシンプルさと自由さはある意味日常からの解放に近かったのだろう。

味噌汁だってインスタントがあるのだからそれを使えばいいのだけど、たまには具沢山の鍋で沸かしたお味噌汁がとても恋しいときだってある。


そういうときに、気分に合わせて野菜を大ざっぱに切ってみたり、辛さ甘さを調節したりして、自分好みのオーダーメイドなご飯ができるところが自炊のいいところだなあ、と思う。


あと誰にも合わせなくていいところも、いい。家族がいれば「ちゃんとしたものつくらなきゃ」って思うのかもしれないけど、別に誰に見せるわけでもない。


好きなように、「今度はこうしてみよう」「ああしてみよう」と、手を動かしているうちにアイディアが浮かんできて、その間は辛かったことも少しだけ忘れられる。自炊には自由があるから、その自由に癒されていくのかもしれない。


キャベツにかぶりついている姿は、正直あまり人に見せられるものじゃないし、ちょっと恥ずかしい。けれど誰にも見せない映えないご飯を、ひとりで美味しく好きなだけ、部屋で黙々と食べることができる。それがひとり暮らしの、ひとり晩酌の醍醐味だなあ、と思うのだ。


新生活がはじまって、ついていくのに必死な人も多いだろう。環境の変化で、泣きたくなる人もいるかもしれない。それでなくても、春は難しいことを嫌でも強いられる季節だ。


だからこそ、難しい「美味しさ」を目指すのではなく、「癒す」ひとつの行為として、手を動かして音を聞いて、香りを嗅いで、時々新しい発見をして、お酒を飲んで、楽しいとまでは思えなくても「あ、たまにする自炊も悪くないなー」と思える心持ちを大切にしたいなあ、と思う。
それぐらいのほうが、明日もなんとか頑張れる気がする。


必死でやらないほうが、逆に美味しいものができちゃうことがあるんだよなあ、不思議なことに。


自炊おすすめ本。この2冊あったら大丈夫


難しく考えなくてもいいヒントがたくさんつまってる


焼きキャベツの作り方も


まだ寒いので簡単であたたかいスープは助かります。


春雨入れて、よくつくってます。これだけでまあまあ満腹



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