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餓鬼

兄から電話があり、母方の祖父が亡くなったと連絡があった。祖父の微笑んだ顔が鮮明に浮かぶ。なんでもっと早く会いにいかなかったのだろう?胸がざわざわする。福井県に住んでいる祖父母とは何年も疎遠になっていた。父と兄と私の3人で、お通夜に出る為に車で奈良県から福井県に向かった。高速に乗れば3時間程で着く。

祖父は昔、警察官をしていた。とても真面目な人で家族想いだった。退職してからは家の離れで祖母とよく畑仕事をしていた。食卓にはいつも畑で採れた新鮮な野菜が並んでいた。家の掃除や洗濯もよく祖父がしていた。母がまだ生きていた頃、夏休みには毎年家族で福井に遊びに行った。大好きな従兄弟の正ちゃんとタカシくんに会えるのが楽しみだった。玄関を入ってすぐ右側に、大きなソファーが置いてある応接間がある。そこでよく子供達4人でゲームばかりしていた。正ちゃんが拾ってきた犬のゴン。いつも廊下を走り回っている。つぶらな瞳が可愛くて人懐っこい。ゴンもよく応接間に来ては一緒にじゃれあっていた。祖父は本当に優しいまなざしで、そんな私達を見ている。カメラを片手に持って、家族の写真ばかりを撮っていた。祖父はいつも晩ご飯の時に少しだけ、お酒を飲む。祖母の横で赤くなった顔で美味しそうにご飯を食べ神々しく、微笑んでいる。

私が小学5年生の頃、母が突然、自死をした。その時も祖父はお葬式の立派な祭壇の写真を撮りまくっていた。母がいなくなってからも兄と私は毎年2人で福井に行った。次第に兄とは休みが合わなくなり別々で行くようになった。正ちゃんや、タカシくんも受験勉強や就職活動で忙しくなり構ってくれなくなった。最愛の娘を亡くした祖父母は長い間、悲しみに暮れているようだった。以前の祖父母とは何かが違っていた。畑仕事も辞めてしまった。「なんであの子が、こんな事になったんやろう」
いつまでも悔やみ続ける2人。何度忘れようとしても、母の死が再び私の前に立ち現れる。だんだんと母に似てくる私を見ては、「あの子に似てきた。本当に純粋で優しい子だった」
と、母との思い出話を繰り返す。私を通して亡くなった母の面影を見ているようだった。私はもう母の話は聞きたくなかった。母の話をされるたびに耳を塞ぎたかった。2人がいつまでも悲しみの中にいるようで、なんとなく祖父母の家に行く足が遠のいてしまった。それから何年も福井に行かなくなった。

美容の専門学校を卒業した私は神戸で初めての一人暮らしを始めた。ネイルサロンで働いていた。華やかな世界に憧れていたが、現実は休みは少なく給料も少ない。休みの日まで検定試験の勉強に練習。検定1級という肩書きが欲しかった。合格したら祖父母に一番に見せたいと思っていた。だけど中々合格できない。上手くいかずに、ストレスが溜まり摂食障害になっていた。仕事帰りに食べ物を大量に食べては吐いた。おまけに買い物依存症のようになり、給料をもらっても服や靴にすぐに消えた。何を食べても買っても、満たされない。私の中に住む餓鬼が暴れているのだろうか?どんどんと、自分をコントロール出来なくなっていった。とうとう家賃が払えなくなり、私は祖父に久しぶりに電話をした。「おじいちゃん、ごめん。お金が足りなくなった。少しだけ送ってくれへん?」祖父はすぐにお金を、振り込んでくれた。金銭感覚が狂った私は、歯止めが効かなくなり何かと祖父に金の催促の電話をした。
何度目かの電話の時に祖母が出た。
「あんた、いい加減にしなさい。もう2度と家には電話をしてくるな」
そういって電話はすぐに切れた。私はすぐに福井の家の電話番号を消した。ようやく目が覚めた。それからは、もうがむしゃらに働いた。気づけば私はネイルサロンの店長になっていた。

お通夜で久しぶりに会った祖母は車椅子に乗っていた。
「元気にしてたんか?」と、優しい眼差しで微笑んでいる。祖母は少し痴呆が始まっているらしい。祖父の遺影に手を合わせると、いたたまれない気持ちになった。
私の心の中に住む餓鬼も成仏してくれるだろうか?

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