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ヒエラルキーとでもいうのだろうか

ヒエラルキー、またの名を階級制。

普段の生活の中では身分こそないけれど、感じることがある。


⑴LINEの話

手軽に連絡できて、今やほとんどの人が使っているLINE。

いつでもすぐに連絡が返ってくる人、既読はつくけどなかなか返信がない人(もしくは返信しない人)、一向に既読がつかず突然返信が来る人…いろんな人がいる。


個別LINEだと返信がすぐ来る人でも、グループLINEだと、返信が怠りがちになるのはどうしてだろうか。

それも参加人数が多くなればなるほど。

全く反応がなく、既読40などという数字を見るのはちょっぴり寂しい。

スタンプのひとつでも送ってもらえたら嬉しいのだけど。

もちろん全員からの返信は求めていないし、そんなことをしたら逆に通知音が鬱陶しいのもわかる。

けれども、送ると必ず誰かしらから返信が来る人がいる。

そんな人はいないだろうか。

そのグループでリーダー的存在だったり、一目置かれている人物。

返信が来ているのを見ると、とても羨ましくなる。

自分はそんな立場ではないから。

誰からも返信がないのは悲しいから、私が逆の立場のときは、なるべく返信をするようにしている。


⑵SNSにて

またあるときは、SNSにて。

Facebookで、自分と同じくらいの友人登録数(500人くらい)の人。

その人の投稿には、毎回100近い"いいね👍"が来る。

かたや私は、10も来たらいい方。

友だち登録数からすると、実に2%ほどしか"いいね👍"されていないことになる。

この違いはなんだろうか。

投稿内容が 共感を得られるものではないのか?

足跡機能がないので、実際はどれくらいの人が見ているかわからない。


久しぶりに会う友人から、"〇〇に行ったんだね"などと話しかけられることがある。

その友人からは"いいね👍"もコメントもなく、自身の投稿も何もないので、fbを見ていることを知らなかった。

見ているのなら、たまには"いいね👍"くらいしてくれたらいいのに。

そんなことを思う私は、ちっぽけなのだろうか。


⑶現実世界へ

リアルでもそう。

学生時代の仲間、趣味の友だち、など決まったコミュニティのメンバーで会うと、たいてい自分の立ち位置は決まっている。

学生時代いじられキャラだった人は、大人になってから当時の友人に会うと、暗黙の了解で昔と同じ立ち位置になる。

あまり相手にされなかったり、冗談を言われたり。

最近出会った人たちとはそうでなくても、過去に出会った人たちと会うと、自然にそうなる。

当時の雰囲気を思い出して懐かしくもなるので、一概に悪いわけではないが、疲れてしまうときもある。

相手の立場の優位さ(上下関係)を感じてしまう瞬間、自分ではどうすることもできないもどかしさを感じる。




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