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家を捨てたところから"普通じゃない"が始まった

2年住んだ中野の賃貸を手放して、家無し子(アドレスホッパー)になって早2年半。今数えてみると、「あれ?そんなに最近の話だっけ?」というくらい濃い数年を過ごした。

自分では普通のこと(ちょっとは変わっている自覚はある)だと思っていたことを久しぶりに会った人に話すと、

「え、なに、また面白いことしてるじゃん!」
と言われたり。

環境は目まぐるしく変化しているから、常に周りには”変な人””面白い人”に溢れててどうしてもそういう人と比べてしまう。

いや、やっぱ私そんなに変わってなくない?
結局そうなる。

けれど、ワーホリ目前にして少し原点回帰。
アドレスホッパーになったあの頃のことを思い出してみる。

最初の生活拠点「hostelDEN」

最初の生活拠点となったのは東京の日本橋にあるゲストハウス”hostelDEN"。

hostelDENは毎日が修学旅行の夜みたい。
楽しさと学びと新しいものとの出会いに溢れていた。
話声と笑い声が満ちていて、まるで家族みたいで不思議な体験だった。
共有スペースであるコタツで、お喋りしたりご飯を食べたりゲームをしたり「こんなに笑うのは何年振りか?」くらい楽しい日々が続いた。

hostelDENについては、別の記事にまとめています。
いまは外国人観光客が戻ってきて、すっかり以前の活気を取り戻している。

家を捨てよう、そう決めたとき

一度目の緊急事態宣言が終わる頃。
旅行業界のとある人に、ゲストハウスに住まないか?と誘われた。

もともとゲストハウスは、海外のお客さんが多かった。コロナで観光客が来なくなるとすると、ほとんど予約が埋まらない…
ゲストハウスの経営が深刻だという。
そこでシェアハウス事業を始めることになったそうだ。

その時私は、中野のシェアハウスに住んでいた。
不便はなかったが2年住んだので引っ越すか迷っていたし、リモートワークが始まり会社の近くに住み続ける必要性もなくなっていた。

「住む?」
その質問に
「住もうかな」
あまり悩まずに答えていた。
そろそろ環境を変えた方がいい、中野は住み心地が良すぎて根っこが生えそうだった。
6畳の部屋は気づけば荷物が溢れかえっていた。積み上げたものを捨てられなくて、一度リセットしたかった。

hostelDENには宿泊したことがあり、日本橋の土地柄も好きだったので私はOKの返事をした。

驚くほど荷物は少ない。

シェアハウスであったとはいえ、個室だったので荷物はとても多かった。
カラーボックスに荷物をぎゅうぎゅうに詰め込んでいたし、収まりきらなかった本は平積み状態。

「どれくらい荷物持っていける?段ボール2個くらい?」
そう質問した私に
「まあそれくらい」彼女がそう答えたからだ。

大量の本は、メルカリで売り払い(1,5000円になった)
こんまり先生の「人生がときめく片付けの魔法」に書いてあるように
心がときめかないものはすべて捨てた
・着ようと思っていて1年以上着なかった服
・そのうち着ると思っていたオシャレ着
・一度だけ使ったキャンプ道具
・奥に押し込んでいたバック
・一目ぼれして買ったはいいがそのままだったノート
そんなたくさんのモノたちを思い切って断捨離。
日々、捨てて捨てて捨てて捨てまくった。

必要なものは思ったより少なかった。
最低限の荷物である段ボール2個を残し、それ以外は実家に郵送(段ボール4個)。
いやあ大分捨てた。ちなみにこのシェアハウスに来たときはレンタカーで3往復したくらい荷物があったのだ、本当に驚き。

そして私は、hostelDENに来た。

ゲストハウスでの暮らし

家を捨てて生活することに不安がなかったわけではない。
今まで、ドミトリー(数人が寝床を共にする部屋。2段ベッドが2,3個並んでいたりする)で生活したことはなかったし、20人くらいで生活したことなんてなかったのだ。
全てが共有なので、冷蔵庫の使えるスペースは小さし、一人で過ごせる場所はほぼない。自分のベッドの上くらい(しかもその部屋には他の人もいる)

1日目は緊張もした。
他のゲストの顔を覚えるのは苦手だし、勝手がわからない。しかも、布団が変わると寝れないタイプだったのでよく眠れなかった。

馴染んできたのは1週間を過ぎた頃だ。(多分人より時間がかかっている)
使い勝手がわかってきて、他のゲストと会話をし始める。
「初めまして。今月から住み始めたんです」
そうやって声をかけると、みんなそれぞれ自分の事を教えてくれた。

いろんな人がいろんな事情で住んでいた。
ゲストハウスというが、ほぼゲストはいなくてほとんどがここに住んでいる住人。
スタッフ、学生、夢追い人…会社員は私だけ。
ずっと会社員が普通だと思っていたのだが、ここではそれがマイノリティ。スーツを着て毎朝会社に出勤するのは私のみで、それがとても新鮮だった。

私はそこで3ヶ月暮らし、その後UNPLAN Shinjukuという別のゲストハウスに移った。ちなみにそこでは1年も暮らしてしまった(長すぎる

"普通"のレールから離れていく

ゲストハウスはひとりじゃない。
いろんな人がいて、いろんな考え方の人がいる。

世間一般でいう”普通”でなくても生きていけるんだってことを私に教えてくれた。
2021年の振り返り記事内でも書いたけど
・会社員でなくても生きていけるらしい
・働くために生きなくていいらしい
と、本当の意味で理解したのは私がゲストハウスでバックボーンの異なる様々な人と出会って話してきたからだと思った。

ちょうど鬱症状をこじらせて、会社を休職したタイミングと重なり働かない期間を過ごしたこともあって結局私は会社員には戻らなかった。

いまはフリーランス+アルバイト
という先行き不透明な低空飛行で、なんとなく生きている。

収入が不安定でお先真っ暗なときもあるけれど、
どこに住んでもいいし、旅行にも行きやすいし、楽しく生きていけるのでいまはこれでいい。

宇宙人である看板を背負って

私は今年30歳になる。
同い年でゲストハウスでよく会う仲間はかなりぶっ飛んでいて、本当に普通じゃない。
・世界数カ国に会社を持ちゲストハウスの受付に立つバイリンガル
・バンライフで日本一周する寿司職人
・交友関係が広すぎる謎の男
文章にするとますますみんな宇宙人。同い年とあまり会わないから再会すると「久しぶり、いまどこで何してるの?」って話をする。

ある日のhostelDENのリビング(大体顔を合わせるのはここ)
「最近大学の同級生の結婚式に行ったんだけど、みんなからお前の行動謎過ぎるって宇宙人を見るような目で見られた。
もうこのまま普通じゃなく人生歩んでいく気がする。」と私。

「いっそこれを貫いていかなきゃみたいな感覚あるよ」と男。
「宇宙人の看板背負って?」
「そ。看板背負って」

変わってていい。それが俺たちの個性なんだと、すがすがしいくらいに彼はそういって笑っていた。



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