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【.*難病が本当に辛いのは病状のせいだけじゃないvol.3*.】

以前難病が辛いのは誰にも理解されない孤独と不安だという記事を書きました。
前記事よかったらご参照ください

https://note.com/yuyu27/n/necb543066c66

その人が本当に辛いと思うことを、医療者は「大したことはない」と取り合わず、「不定愁訴だ」「いつも大げさ」と鼻で笑う。その結果大したことがあった場合にやっと慌て出す。

患者として
医療者として
そんな現場に多く居合わせ、うまく言葉にできない気持ちを感じてきました。(強いて言うなら愁い?諦め?絶望?呆れ?)

もちろん医療者として同じように思う状況もありました。現実的にデータ上「問題がない」ことを「問題がある」と言われ続けても、「ないって言ってんだろめんどくさい!!!」と片付けたくなるのは感情を持つ人間である以上仕方のないことです。

ですが、私はそれを、病状としてではなく「辛いこと」として受け取ることで対応してきました。だって、その人の「ある」「なんか変」はその人にとっては事実だから。

「そんなことない」その言葉は
親が使えば子の心は死に
医師が使えば命が消え
教師が使えば未来が消えていきます。

いつだってその人の固定概念や価値観の押し付けが人を狂わせる。だからといって人のせいにしても意味がなく、解決策は「揺るぎない自分を持つこと」だと思うようになりました。

それでも解決できないことは多くあります。全ての専門領域を網羅することはできないから、力を借りなければいけない。
その専門領域のうちの一つが、「医療」です。

資格がなくても詳しい人はたくさんいます。自分や大切な人の命に関わることだから、医療者よりも完璧にその病気のことを調べ尽くしている人なんて本当にたくさんいます。
頼りにならないから不安になって調べ、知識をつける。
知識とズレていることが起こるとさらに不安を生む。
質問すれば医療者に嫌な顔をされる。
それでも命に関わることはうやむやになんてできない。
そうして医療不信や溝は深まっていきます。

本来なら専門家として医療者が1番知っていなきゃいけないのに、信用に足らない未熟さが生んだ悲劇だと思います。
だから社会起業家として、その人の不安や「ある」をなかったことにせず、まずは受け止めその先を一緒に考えていける社会を作りたいと活動を続けてきました。


私も「大したことない」と言われ続けたうちの一人です。30年それと向き合ってきました。

突然やってくる全身の灼熱感。火傷のような皮膚。浮腫み腫れ上がった足、ところどころに現れる水疱や小膿疱。そしてかすれた声と止まらない咳。
それでも電話だと「時間外です」と言われ取り合えってもらない。
救急車を呼ぶにはまだ生きてる。本当に命の危険がある時は医療者だからわかるのでそこまではできない。
生きるために何とか凌ぎ朝や平日を迎えれば、少し落ち着いた症状を見て医療者は「大したことないね」と検査もせずただ塗り薬を出す。

それが日本の救急医療。私の数十年。

マイノリティな認知度の低い疾患は、多くの医療者すら知らない人も多い。
付け焼き刃に症状を軽減するために受診すれば「大したことない」状態になった状態で診察を受けるため、またその固定概念に阻まれ検査までたどり着けない。

確実にその疾患を知っているところにたどり着くためには、手取り早く一度死んで救急車が正当である状態になるか、(それでもわかる医療機関に運ばれなければただ蘇生されて終わる)
「大したことある」状態を保ち、(私でいうと最高にひどい皮疹の状態と、死なない程度にアナフィラキシー一歩手前で生きている状態)
診療時間にまず近医で「大したことある」というお墨付きである紹介状を手に入れ、それを持って大したことある状態を保ってその紹介先に行かなければならない。

そして検査・診断・治療ができる組織に紹介状とともに「大したことある」由縁をプレゼンし、理解を得てやっと検査・診断が始まるのです。

昔はプレゼンに必要な情報が足りなかった。「自分はこうだ」っていう明確なものを知らなかったから、「大したことない」を飲み込んだ。

でも情報を集めた今思う。
「大したことない」って固定概念以外に否定する根拠を示せよ。
ちゃんと議論展開するに値する、死にかけてる事実と今までの「大したことある」って情報をちゃんと議論で戦わせてあげるからさ。

物心ついて30年。
私が見てきた医療の世界はそんなもの。
そんな世界に殺されそうな人を固定概念から守るために医療者になったんだと思う。

私自身、自分が気をつければもう二度とこんな重症な状態になることはないと思ってた。でもきっかけは一つじゃない。せっかくまた危険な状態になったからにはさ?

今まで社会が「大したことない」って取り合ってこなかったそれの正体をさ、今回ではっきりさせようよ。

本当に大したことがないなら私も安心。
面倒かけてすいませんと一生かけて謝って医療にただ尽くすよ。

たださ、本当に今回私が「大したことがあった」「大したことがあったそれれを社会は自分のそんなことないって思い込みで潰してきた」ってことを証明できたらさ。
もうそれ全面的にネタに使って、この世の固定概念全部ぶっ壊させてもらうからね。


きっと他の認知度が低く病気でどこにいっても「異常なし」って言われて困ってる人や、精神疾患と向き合う人もそのような人生だっただろうな。
わかってもらえなくてそのまま何もわからず「先生は大したことないって言ってたから大丈夫…」って死んでった人もたくさんいる。

看護師としてその人を救おうと調べて導き出された答えを、「看護師如きが何をいう」と聞く耳ももたなかった。その夜急変して看取った人もいた。
そのためにどう言えば伝わり救えただろうかとひたすら自分を責めた。
その結果出来上がったこの思考はたくさんの犠牲の上に成り立ってるから、私は絶対これで社会起業を成功させなきゃいけないの。じゃないと犠牲になった人も過去の自分も救われない。


「忙しいから」それが理由で親身になれないなら、忙しくない病院を私が作るよ。一人に丁寧に向き合い尽くせて、それで成り立つ仕組みを考えるよ。

だからさ、その代わりさ、もう二度と固定概念で人を殺すな。



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