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代官山に生まれて満州、そして下北沢



 「私は代官山の同潤会アパート生まれ、満州朝鮮育ち、下北沢駅前で美容室をやっていました」
 以前、このような経歴の約百歳の老婦人(仮名は大連さん)に出逢いました。
「いつか詳しく人生を聞きたい」
 と思いつつも特にご連絡を取っていませんでした。しかし「エジプトの輪舞(ロンド)」を書いていると、これは1900年代が物語の時代背景です。 「この頃日本は、、、」
 書きながら何度かそのように考え、その都度、大連さんのことが脳裏に浮かびました。そこで「エジプトの輪舞」を書き終えたタイミングで、久しぶりにご連絡を取ってみました。
 コロナワクチン接種直後から身体が動かなくなったものの、頭はしっかりし話し方も非常にはきはき。ご自宅に招いてくださったのでお伺いすると中華料理と月餅を用意してくれておりました。
 お話は全てヴォイスレコーダーにも録音しました。最初はできれば小説もしくはNOTEで詳細を書きたいと思っていました。しかし、話を聞いているうちにドキドキしだし、ちらっと何度もヴォイスレコーダー録音ONになっているか確認しつつも、そわそわしてしまいました。
 というのは内容があまりにも、予想以上にドッカ~ン。これは果たして公表できるのでしょうか?とりあえず差し障りのない部分を今書きたいと思います。非常に興味深いです、ぜひ読んでくださいー


 お話はまずは関東大震災で麻布の家が全焼し、当時代官山にあった同潤会アパート(原宿にはまだありますね)で大連さんが産声を上げた時から始まります。関東大震災で家を失った被災者が優先して同潤会アパートには入れたそうで、隣の部屋は「赤とんぼ」の作曲家山田耕作だったそうです。

 大連さんの父がちょっと凄い人物だったので、満州国にヘッドハンティング。向こうでの父親の給料は当時日本では大卒45円だったのが、300円/月の条件だったそうです。
 
 そうして大連さんは4歳で神戸の港から大連へ。当時は大連行きの船はすべて神戸の港からだったそうです。(横浜港からは出ていなかったはずとのこと)
 ソ連の鉄道を満鉄が買い取った時(もしかしたら奪ったのかもしれないけれど)、ソ連の国旗が降ろされ日本の国旗が代わりに上るセレモニーにも大連さんは両親に連れられ見学に行っています。(写真はあるそうで、探しておいてあげるとのことですがどうかな、、、)

 また
「満州の◯◯に住んでいた時、外を走って遊んでいたらお空から飛行機が落ちてきて、、、、」
 ちょっと意味が分からずよおく詳細を聞くと、なんだか知っている、聞き覚えがあります。
「あの、ひょっとしてもしかしてそれってノモンハン事件では?」
「そうそう、それそれ」
「遊んでいたらノモンハン事件に遭遇したんですか?」
「そうそう」

 大連さんは満州各地と朝鮮に住みましたが、ハルビンが一番良かったそうです。そこの街は白ロシア人ばかりで(日本人は大連さん一家ともう一家のみ)、ロシア人のデパートにはおしゃれで素敵なものがなんでもあり、特に売り物の中でも人形と人形の家が素晴らしかった、レストランも白ロシア人経営の店ばかりで本当に美味しかったそうです。大連さんいわく、白ロシア人は全員いい人だったそうです。

 朝鮮(今の北朝鮮)では朝鮮人は第二日本人の待遇で非常に仲がよく、まったく対等で大連さんの通う日本人女子校にも朝鮮の女の子は大勢、非常に大勢おり、とても仲良く遊んでいたそうです。日本の軍人が暴力を振るうなどの場面は大連さんは少なくとも一度も目にしたことがなく、慰安婦問題が飛び出した時は心底驚き「嘘だ」と思い、とにかく唖然としたそうです。(←大連さんの言った通りをここで書いています。)

 クライマックスは満州脱出(←これは今だに世の中に出てきていないすごい驚くべき秘話です。映画になります)。これは流石に泣きました。
 身寄りのいない、「自分が死んでも困る人のいない」日本人男性が全員力を合わせ、火薬爆弾工場で働かされていた(自分とは無関係の)日本人の子どもたちを命がけで救助した、ロシア語べらべらの謎の日本人男性が検問所のソ連兵らをウィスキー接待でべろんべろんに酔わせ、その隙に、、、などなど。
 
 また同じ年齢の女友達がどんどんソ連兵にさらわれるくだりも泣きました。
 ソ連製のトラックは欠陥品が多く故障しやすいので、移動中にトラックが必ず壊れる。すると後方のトラックも一斉に止まる、前に進めない。で修理中暇で時間を持て余したソ連兵たちが近くの街にふらふら現れ、日本人の女の子(子ども含む)を連れて行っていたそうです。大連さん、目撃しています。  ただし繰り返しますが、白ロシア人たちは全くそういう人種ではなく上品で教養、知性もありいい人ばかりだったそうです。どっちがどっちのロシア人か、顔を見れば一発で分かったそうです。

 帰国は佐世保港でした。すると米兵が大勢そこに待ち構えており、家畜のように扱われた話、その後東京に戻り秩父宮雍仁親王が訪れて来て、とかまあ出る名前が大物ばかり。(本当にこのお話、書けるのでしょうか、、、)
 東京に戻ると下北沢に家を買い、そして山野愛子美容学校の第二期生になり、下北沢で美容室もオープン。大繁盛し、そして運命の男性に出逢い、しかしいろいろあって失恋。
 するとそのタイミングで山野愛子に「ブラジルに美容室を出すのだが、ブラジルに行かないか?」とオファーされ、、、ああ、まるで「朝の連続ドラマ」です。

 時が経って天安門事件が起きます。満州国を出る時に助けてくれた中国人と日本人夫婦がその時危険な目にあい、昔の恩返しをしようと助けようと大連さんはするのですが、、、。
 まさに事実は小説より奇なり。終盤は月餅を食べながら話を聞きましたが、あまりにも濃い人生で月餅の味も濃厚に感じました。

 大連さんが学んだのは
「どこの国にもいい人も必ずいれば、そうでない人もいる」。
 どうってことのない台詞ですがこういう人生を歩んだ百歳の老婦人にしみじみ言われると、ずっしりきます。
 余談ですが、「岸壁の母」という昔の古い歌って、あれはソ連兵にさらわれた息子の帰りを佐世保港で待つ母親の心境を歌っているのだそうですね。大連さんに教えてもらいました。

 そして大連さん邸をあとにし、街を歩いて通ると偶然顔見知りのご老人(95歳)にばったり。
 立ち話で大連さんの話をすると
「あら、言っていなかった?私は上海生まれよ。私の父は上海鉄道だったもの。上海の話、聞かせてあげようか?いっぱい覚えているわよ」
… !!!
 今夜は紹興酒でも飲もう!

まだ修正中の「エジプトの輪舞(ロンド)」シリーズの1800年代編です。表紙は先に仕上がりました。けんいちさん がまた手掛けてくださいました。「エジプトの狂想」の舞台は1800年代のアレクサンドリアで、大勢のイタリア人とギリシャ人が移住してきます。主役はギリシャ移民の少年とスエズ運河株式会社に勤めるフランス人です。脇役にエジプトを「アフリカのパリの街」にしようとしたムハンマド・アリ総督、イスマイール副王が登場し、エジプトの近代化の裏にあった「奴隷制度」についても言及しました。さらに「あの人とあの人」の前世?も登場し、「輪舞」と「狂想」の全部諸々が繋がることになっています。宜しくお願いします。

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