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火葬場控室で物語が始まりました

 愛犬が突然商店街でリードを放った犬に襲われ、ザクッと急所をやられ(即死ではなかった)死んでしまった悲しい話は書かせてもらいました。
 息を引き取った後、お寺に電話をし葬儀と火葬を依頼しました。
私ひとりで遺体になった愛犬をいつもお出かけの時に入れていた犬用キャリーバッグに入れてタクシーに乗りました。
 道中、いつもの癖で何度もバッグの中を確認しました。ゼーゼー言っていないか暑がっていないか、車酔いは大丈夫かなと。だけど確認する度に、「あ、そうか、死んでしまっているのか」と…。

 寺に着いて祭壇の上に遺体を置きました。すると死んでいて身体も冷たいのに関わらず咬まれた個所から血が出ました。死んでもなお出血をすることに驚きそして胸が張り裂けそうになりました。どうしてあの時愛犬を連れてあそこを通ってしまったのか、なぜあの犬が襲う直前に追い払えなかったのか一生後悔します。

 火葬場の台の上に移動させた時も同じ個所から出血し、それを「証拠」として撮影しなければならない飼い主(私)の辛さといったらありません。

 その後、焼き上がるのに二時間はかかると言われました。どこか外に出ていてもいいと言われましたが、周囲に何もないお寺です。しかもずっと不眠不休の介護をしていたので私はヘロヘロ状態でした。
 そこで控室で二時間大人しくしていることにしました。すると薄いパーテーションの隣の控室にやはり犬の火葬に来た一家が入って来ました。会話は丸聞こえです。おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さん子どもたち。
「うちの犬は18歳で大往生だった。○○(犬の名前)は立派な最期だった」
そのようなことが全て聞こえてきていました。

 ここで一旦外に出ました。しかし蚊の大群に襲撃され、やむを得ずまた控室に戻りました。隣の控室の一家は笑い声(しんみりもあったけれど)で大往生の飼い犬の思い出話を和気あいあいとしていました。
 私はスマホでも見ようと思いましたが、すぐに犬関連の広告や記事が飛び出てきます。辛いのでネット検索はできないなと電子書籍でも読もうと思いましたが、小説でも漫画でも全く頭に入ってきません。
 そこでスマホでグーグルドキュメントを開きました。「新規作成」画面をしばし見つめた後、
「落ちていく…」
という文章を私は打っていました。そして「物語」が始まり隣の一家の声も入らなくなりました。それが今回の「エジプトの輪舞(ロンド)」を書いたきっかけです。
 こんな放心状態で何も一切考えずストーリー(展開や結末)も全然考えず流れるようにどんどんスマホで文字を打っていきました。もともと1800年代と1900年代のコスモポリタンだったエジプトを書いてみたいなという潜在意識がどこかにあったせいもあるとは思います。心を無にしてひたすらスマホの上で指が動きました。

 主役はファルーク国王(トップ画像、実在したエジプト最後のアルバニア人国王。在位1936ー1952)と下町クリスチャン少年(途中から青年)ラミの話が交互する小説です。
 殺された私の愛犬はお出かけ好きで散歩も大好きでしたが、大人しく内気でもの静かで顔立ちが綺麗だったので、オス犬にもよく乗られていました。(ちなみに今回襲ってきた犬はメスです)
 あと水が大嫌いだったので、トリミングも震えまくっており私がプロのトリマーの講習を受け、セルフトリミングへ行きそこで毎回自分でやっていました。(私が洗うと震えなかったので)とにかく猫じゃないのに水を嫌がっていました。それがこの小説の「ラミ」です。

 なお、襲った犬の飼い主はすぐ近所の人で(今まで会ったことはない)、弁護士を通して死んだ旨の連絡はいきましたが花を持ってくる、葬儀代負担を申し出るなど全くなく、むしろ新たな内容通知を向こうから送りつけてきました。

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1 エジプトのクリスチャン少年ラミ (1931年)


「落ちていく、水底に落ちていく、ボクは泡(あぶく)になっちゃう…」

  ラミ・エルイスカンダラーニは生まれた時から、異常なほど水に怯えていた。タライに張ったぬるま湯に足をちょっと浸けさせられただけで、ギャーと顔を真赤にし大声で泣き、顔を水で洗われるようなものなら全身で暴れた。そして、夜は夜でやはり叫び声を上げた。眠りに入ると、底のない水に落ちて沈んでいく夢をたびたび見るからだった。その都度、やはり耳がつんざくような大声で泣きわめくのだ。

 そんな調子なので、両親のアイザックとエリッサはサラット・エル・ティストの儀式を心配した。サラット・エル・ティストは、コプト正教会の儀式である。そう、この夫婦はコプト(教徒)だった。単性説を唱えるキリスト教だ。

  エルイスカンダラーニーというのはアレクサンドリア出身者という意味を持ち、その苗字から分かるとおり、夫のアイザックはアレクサンドリアで生まれ育った。しかし学校を出た後、カイロのファード大学(現カイロ大学)で講師の仕事を見つけ、未亡人の母親を置いて単身カイロに出て来た。

 むろん、それまでもカイロに来たことは何度もあったが、海の街でありギリシャ人の街のアレクサンドリアとは違い、ここは元々砂漠の街でありアラブ人が作った街だ。だから当初は、カイロが故郷アレクサンドリアとは何もかもまるで違うのに面食らった

 新生活が落ち着くと、遠縁の伯母が見合い話を持ってきた。その相手が針子のエリッサだった。気性が穏やかで印象深い緑色の瞳を持ち、そして何よりも肌の色が白く美人だった。エジプトでは女性の肌が白いというのはとても重要なことだ。

 一目ぼれ同然だったアイザックはすぐに婚約を申し出た。先ずはお試しでお付き合いするということが憚られる文化なので、相手の女性を気に入ったら結婚前提で婚約を申し込むしかない。不幸中の幸いに、少し前に亡くなった父親の遺産があった。だからすぐにカイロの北部下町ショブラに住まいを用意し家財道具も揃え、エリッサと結婚した。これで亡き父親の遺産と貯金は空っぽになった。

 結婚式は仲人を務めた伯母の自宅で行われた。コプト教では結婚式は教会、自宅どちらでもいいとされている。もしかしてコプト教会の迫害時代があったためかもしれない。(*現在では通常は教会のみ)

 結婚式の後、ある程度経済力のあるコプトはレストランやホテル、クラブを借り切って夜通し披露宴を開くものだったが、アイザックは無理だったので路上パーティーを行うことにした。 
 少し裏の通りをパーティー(披露宴)会場にし(当然、無許可が当たり前)、辺りに蝋燭をたくさん灯して明るくする。それから適当に紙テープや花などで飾り付けをして雰囲気をそれらしく賑やかに。路上に置いた大きなテーブルには様々な人が持ち寄った料理を並べレモネードジュースを片手に、食べろや踊れやの騒ぎを夜通し行う。これだと費用がかからない。 
 それにしてもずいぶん大勢が集まった。もっとも、その多くはただの赤の他人だ。彼らは踊りや楽しい雰囲気に混じりたくて飛び入り参加しただけだったが、確かに大いに場を盛り上げていた。

 翌朝、新郎のアイザックはコプト教の修道院へ一人で向かった。断食と祈りの修行のために、三日間そこに篭るからだ。この習慣は、旧約聖書のトビト記から発生した(と言われている)伝承に基づいたものである。トビト記の物語は紀元前二世紀にエジプト、特にアレクサンドリアで大きく広まった。内容はこうだった。

 ごく普通の幸せな結婚を願うサラという若い娘がいた。しかし、サラは誰かと結婚すると必ず悪魔が現れ、結ばれる前の新郎は殺されてしまう。サラは悲しんだ。すると今度はトビアという名前の男性に出逢った。
 トビアはバビロンの捕虜で奴隷として暮らす青年なのだが辛い環境にめげず、いつも神への祈りを捧げ深い信仰を持っていた。サラはそんなトビアを慕い、二人は恋人関係になった。
「トビアと結婚したい、決してもう悪魔が邪魔にされませんように。神が私たちを守ってくれますように」
 サラは熱心に神に祈った。と、そこに大天使ラファエルが姿を見せた。祈りの声が届いたのだ。ラファエルは言った。
 「お前たちの結婚を守るためにトビアは三日間断食し祈り続けなさい。そうすれば悪魔に妨害をされることはないだろう」
 トビアはそれに従った。その結果、二人は無事に結婚することが出来た。新婦のトビアは悪魔に殺されず、夫婦は一生幸せに暮らしたのだった。原典は全く異なるストーリーで、またコプトに伝わったものでもコプトの人によってこの話は全くばらばらで、いくつものバリエーションがある。

 それはともかく、信仰の厚いアイザックはこのトビト記の言い伝えを守ろうとすぐに修道院に篭もり、三日間断食と祈りに励んだ。そして修道院を出ると、そのまま真っ直ぐショブラ地区の新居のフラット(アパート。エジプトではイギリス英語なので、フラットとは米語のアパートメントのこと)へ戻った。

 ところで結婚する前、アイザックとエリッサは子どもについてはすぐに作らなくてもいいだろうと話し合っていた。どちらも若いのだからそんなに急ぐ必要はない。
 しかし周囲にはお節介な年長者が大勢おり「結婚したらすぐに子供を作りなさい」とせっついてきた上、なんと結婚してまだ二週間も経たないうちから、近所の中年女性たちはエリッサを見かける度に「もう身ごもったかい」としつこく尋ねてきた。
「子を持つまでは夫婦とはいえない」
「できれば男の子を産みなさい」
「まだ熱い関係のうちに子作りに励まないといけないよ」
等など毎日のように言われ続けるとエリッサもなんだか焦る気持ちになってきたので、近所のコプト教会に何度も足を運ぶようになった。

「神様、どうか私達に赤ん坊がすぐに授かりますように。もし願いを叶えてくださいましたら、必ず教会に寄付をしますし、もっと善行に励むことを誓います」

 教会に通って妊娠を願い、その際に寄付や良い行いを約束するのは暗黙の掟だ。神頼み以外にも、エリッサは妊娠しやすいと言われていることを何でも試した。油をそのままスプーンで飲み、ザクロ、鳩の肉も沢山食べ様々な体操等など。

 ある時はよく当たると言われているコーヒー占いにも足を運んだ。小さなカップのアホワトルキーヤ(トルココーヒー)を一気飲みし、カップの底に残ったコーヒーの粉の模様や量を見て占うというものだ。
 黒いアバヤ姿の老婆はエリッサが飲み干したカップ底に残ったコーヒーの粉を、真剣な面持ちで見つめた。
「マダム、あなたのお腹には既に新しい命が入っている。年内には赤ん坊が生まれる。その子は男の子で、とても美しい姿をしている。だが同時に繊細で、輪廻の渦に囚われている」
 たかがコーヒーの飲みかすの粉を見ただけでなぜそこまで分かるのか、エリッサには不思議だったし、そもそも輪廻の渦の意味がちんぷんかんぷんだ。しかしこの直後に本当に妊娠が発覚し、その年の一九三一年十一月十七日、産婆の手助けの下、自宅フラットの部屋で無事に男児が誕生した。それがラミだった。

 ラミの名前の意味はコプト語の「矢を放つ者」なのだが、まさにラミをひと目でも見た者は誰もが心に矢を打たれたような衝撃と感動を覚えた。この子は大変美しかったのだ。金髪にもみえる淡い栗色の髪の毛が生えており、母親譲りで目の色は緑色をし真珠のような白い肌をしていた。まさに神の贈り物のような赤ん坊だった。

 ところが、この天使のような赤ん坊は濡れたタオルで身体を拭かれる度に「ギャアアア」と大声で泣き出し、顔に水しぶきがかかるだけでわめいた。「どうも水が駄目なようだ」
 さすがにアイザックも気がついた。そこでサラット・エル・ティストをどうするか、と心配になった。

 サラット・エル・ティストとは直訳すると『洗面器の祈り』なのだが、コプトは出産七日目になると自宅に親戚と友人らを招き、いわゆる幼児洗礼を行う。父親が赤ん坊を油で清めた水を張った洗面器に三回に分けて浸からせる。その間、参加者は全員祈りを捧げ続ける。所要時間は約三十分で、それが終わると両親は赤ん坊に白い衣を着せて終了だ。

 当日、案の定この儀式の間ラミは耳のつんざくような大きな声で泣きわめき続けた。赤ん坊が泣くのはよくあることだったが、ここまで異常なまでに激しく泣くことはそうはない。だから、「あんなに癇が強い赤ん坊だと、母親はさぞかし大変だろうに」参加者たちはひそひそ囁いた。

 その翌日、ラミは割礼を受けることになった。コプト教徒の赤ん坊は、大抵男の子のみ生後八日目に割礼を施されるが、コプトの場合は宗教の教えというよりも、むしろエジプトの伝統的な風習であった。赤ん坊のラミは床屋に連れて行かれた。激痛のあまり泣き叫んだが、先日の水に浸けられる儀式の時よりは心なしかその叫び方は大人しかった。

 そのうちラミがちょっとした水でも激しく泣きわめくことは、フラットでも有名になった。建物中にその声が響くからだ。
「あの子は何か病気でもあるんじゃないか」
「頭に異常があるんじゃないか」

 生後四十日目、アイザックとエリッサはラミを教会へ連れて行った。今度は正式な洗礼式だ。コプト教では男の子は生後四十日目に、そして女の子は生後八十日目に教会へ行き洗礼を受けねばならない。この儀式を行わないと、今度生まれ変わる時には盲目になってしまうと信じられている。
 式の後はそのまま二時間の祈祷があり、それも済むと両親は参列してくれた親戚や友人に甘いデザートをもてなすのだが、サラット・エル・ティストにも来ていた親戚の者たちは約一ヶ月ぶりにラミを見て息をのんだ。
「前の時よりも大泣きしなかったので、今回はこの子の顔をじっくり見れたが、なんとまあ、まるで天使のようじゃないか」
「こんな綺麗な坊やは見たことがない」
 ふと誰かが言った。
「ファルーク王太子様の赤ん坊の時に何だかよく似ているねぇ」
 今年十一歳になるファルークは、アブディーン宮殿から全くといっていいほど外に出ることはなかったが、その美しい顔立ちは雑誌のグラビア写真やブロマイドなどによって世間によく知られていた。

 ファルーク様の赤ん坊の時の顔によく似ているー。
ラミの両親は悪い気がしなかった。ファルーク様といえば事実、綺麗な少年だったし、国中から愛情を受けるアミール(王子)、アミール・アル・ニール、ナイルの王子様だったからだ。
「未来のエジプトの国王様の赤ん坊時代にそっくりだなんて、ああ嬉しいわ」
  得意顔のエリッサは腕の中で抱っこをしているラミに笑いかけると、ラミは満面の笑みを浮かべた。感激した夫婦は赤ん坊の左右の頬それぞれにキスをした。赤ん坊のラミはもう一度笑顔を見せた。

                   エピ2へ続く

猫たちは元気です。(壁が緑色なのは「ダウントン・アビー」の真似!)

 

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