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バカに物申す、自分もバカかもしれんけど

20230331

ここのところ日付を間違えていて辻褄が合わなくなってきているような気がするが日付が間違っているだけなので辻褄は合っている。

コーネリアス熱が再燃しており通勤時聞いているのやけども改めてこれは都会の人が作った音楽やなあと思う。
人の流れやら電車で運ばれてゆく感じ、自動で何かが動いていく空間にめちゃくちゃぴったりしっくりくる。
これを1時間に電車が1本しかこない田舎町で作ったとすればとんでもない想像力と創造力の持ち主であるけど、やはり小山田圭吾その人はバチバチの東京っ子、ギンギンのシティボーイなのでなるほどなと思う、いやシティでもこんな才能は稀有すぎるんやけれどもさ。

世に蔓延るうっすらとした差別、差別と認識もされず日常化しているものの存在に職場でも出会い、辟易する。
わたしはマイノリティであり、社会における「普通とされてること(そんなわけないのに)」と相容れない居心地の悪さを感じているので余計にそれに気づくのかもしれないが、己を「正しい」と思っている人間のなんと多いことよ。
そのひとたちは自分の浅はかな知識と乏しい想像力、品のなさに気づいておらず、自分を平均値、もしくは平均を上回る素晴らしい人間だと思っており己の発言を恥じることがないのでもはや無双である(以下バカ)、口悪くてごめんやけど。
テレビやらなんやらで多様性多様性と当たり前のことをガタガタうるせえな、てめえは人のこととやかく言わず自分のことだけ考えとけ、と思う、地球人全員が多様性の中にいることをバカは気づいていない、なぜなら自分は「とくべつなふつうのひと」だから。
多様性の意味を履き違えて「多様性を認める側」としてどこか守られている気になっているのだ。
バカと過ごすと嫌な思いをすることが多く、しかしながら、他者から見た際に自分も十分にバカの可能性があり、自分の発言で人に嫌な思いをさせたりするのが苦痛で、ここ数年あまり人に近づきたいと思わなくなった。
頭に火がついたので弟と、文字でやりとりする。
人は自由である、ただし人の自由を侵害しない場合においてだ、と人権のあれこれについて意見交換をして整理する。

また帰りに職場が近所の友人と出くわす、偶然にものすごいペースで会うようになったので笑う。
電車を降りてからも、昼の続きでなにやらモヤモヤとするので野菜を買いに行く。
金曜なので野菜を買ったついでにご飯でも食べて帰ろうかなあ、なんて思うが、街の外国人の多さに圧倒されて、えんやすどるだか、と鳴いて帰る。
米を炊く元気がなかったのでサンドイッチを作って食べる、その後で明日のためにパン生地をこねる、パンこねれるんやったら絶対に米炊けたと思う、絶対に。

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