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社会人を経て学生をする事で得られたもの。フィードバックを貰える有難さ、そして距離感への気づき。

私は、大学卒業後、18年ほど幾つかの会社で会社員を経て今、通信で大学生&専門学校生をしている。

そして現在、専門学校での病院実習中の身。

「遠回りな人生を歩んでいるなぁ」とは思いつつ、一方で遠回りなしたからこそ見えている景色も色々あって、人生は面白いなと思う。

ある失敗

先日実習先である精神科で私はある失敗をした。それは患者さんとの距離感。

他の患者さんに暴言を吐いたり暴れたりする患者さん(以降Aさんと呼ぶ)に対し、私はまずは信頼関係を作るべく傾聴につとめ、結果Aさんは私の前では落ち着いた言動をとるようになっていった。

でも事件は起こった。ある日、Aさんは私に耳打ちしてきたのだった。耳打ちの内容は事務的な事。表面的にはその後も含め何も起きて無い。けれど・・・。

そんな感じで数日が過ぎ、次第に自分の中に「この接し方で良いのだろうか?良くないよね?」と疑問を持ち始め、ふと実習先の方に相談をしてみた。

すると思いがけない事を聞いた。

「あの耳打ちを見ていた他の患者さんの中で、自分達の悪口を吹聴されているんじゃないかと、尾ひれがついて、伝言ゲームが回っている。それも尾ひれどころか背びれ、胸びれと色々虚飾が追加された内容で。」

!!!!!!!!!

距離感を間違えると起こること

距離感を間違えると、「あの人は自分を理解してくれている」→「好き」→「大好き」と、患者さんの中でこちらに対する期待度が上がる。でも、立場上「ダメなものはダメ」と言わざるを得ない場面もあるので、いずれ必ず「大好きなのになぜ、私にダメって言うの?」→「大嫌い」に陥る。

また、変な噂が回る事で、Aさんの病状が急性期を過ぎて落ち着いて再び集団の中に戻る時に、他の患者さんとの関係性が悪くなり、戻りづらくなる可能性もある。長期的な視点に立つと、優しくしすぎる事が逆に患者さんを傷つける事に繋がる。だから距離感には気をつけて。

指摘された内容はおおよそこんな感じ。
確かに。
納得しすぎて、もはや「ぐう」の音も出ない。

会社員時代の「距離感」への戸惑い

会社員時代、なぜか複数の役員(それも割と自己主張強めの割と「構ってちゃん」タイプの執行役員等)からやたらと気に入られ、1人だけ寿司やケーキやぬいぐるみ等の差し入れをもらったり、そのうちホテルのバーと部屋を予約したから来るようにと言われたり、タクシーに押し込まれたり(運転手さんの協力により、反対側のドアより逃亡成功)、キス未遂や身体をやたらと触られるなど危ない目に沢山遭ってきた。

勿論バーにもホテルにも一度も行かなかったし、何か悪い物(異物や毒や薬、盗聴器やカメラなど)が混入している可能性も否定出来ないので、食べ物もぬいぐるみも申し訳ないと思いつつ、こっそり廃棄処分していた。

そして役員からの下心のある誘いに乗らなかった直後から私は毎回手のひらを返されたり、人事評価(=給料)が爆下がりしたり、異動したり、関連会社に出向するなどの結末に度々至っていた。

ある年齢やある業種には無意識の常識としてまだまだ残ってる古い昭和の悪しき文化の中で、「会議の打ち上げの飲み会では、偉い人の隣にその場で一番若い女性がついてお触り有りの接待するのが当たり前」という場を幾度も経験してきた。

実際、そういう「飲みニュケーション」を通して結果的には役員から遠い安全な席で会社の金で飲み食いしているだけの男性社員や他の女性と比べ、一番若く見える女性社員の方が役員との距離感が近くなる事は、ぶっちゃけかなり良くある。

よく言えば『親近感』。ネガティブに言い換えれば『生贄』『色んなことを話してくれるのも、私が傾聴に徹しているからだけでなく、女性なので昇進しないのも確定しているから多少の仕事や人間関係であまりオープンにしない内容を話しても業務上支障が出ないであろうという安心感の裏返し』なので、『ナメられている』『下に見られている』『甘く見てる』とも同義でもある。

だけど私が頼めばややこしい案件の書類も「めくら判」をスパスパ押してもらえていたので、「童顔も良かったり悪かったりだなー」と思っていたし、上司や他の女性陣から嫌味を言われても「羨ましいならあなたが接待すれば良い」と受け止めていた。

わたし的には「いくら役員との距離感が近く見えたとしても、そもそも職場でしかも役員相手に(年齢的にも立場的にも)そういう事になる事自体、有り得ないやろ。アホくさ」と思うのに、なぜか周囲からは邪推され、ならばと意識してガードを堅くすれば『あの子は、お高くとまってる』『調子に乗ってる』と批判される。じゃあ、と普通に接すれば、変な風に誘われたり、貢ぎ物をされて、『じゃあ結局どうすれば良いねん。仕事に集中させてよ。』と、安全な距離感が分からなくなってさまよい探し悩み続ける事10年以上。そんな生活に疲れ、気がつけば人間嫌いになっていた。

そして心のどこかで、「好かれるは嫌われる事の始まりで表裏一体のリスク」「評価されてもされなくても、所詮相手の好き嫌いの度数。私の実力とは関係ない」と捉える、不信感の塊のやさぐれた自分がいた。そうこうしているうち、平日の仕事終わりに友達と会うと「土日と顔が違う」「顔が怖い」「激痩せした?」と会うたびに言われる様になっていった。

そんな自分の内面の変化と同時進行で周囲への諦めも10年以上の中で加速した。

女性の管理職にセクハラについて相談しても冒頭から「なにそれ自慢?(怒)」の一言が返ってきて相談を強制終了され、結果相談先が無い事を改めて確認するだけで終わったり、直属の上司は「俺を陥れようとしているのか?」「役員に告げ口するんだろ?」と謎の妄想を私に持ちはじめ、情報を隠したり、歪めたり、社内外に嘘の噂を流したりするようになり、それが酷くなるにつれ私の仕事の進行に大きな支障をきたすようになった。

そうして次第に状況がエスカレートし物理的にも精神的にも追い詰められていくなかで、最終的には退職の直接の原因に至る、連日「数時間会議室で詰められ、私が存在している事に対して土下座して詫びるように求められる」という狂気のパワハラに発展するに至った。

今になって思えば、最近病院で起きた私のミスも、会社員時代の数々のトラブルも、根っこは「距離感を間違えた」と言う点で同じ。

フィードバックを貰える有り難さ

会社員時代は、聞こえよがしに同僚や先輩や上司から「色目を使うな!」「ぶりっ子」とボソッと言われる程度のフィードバック方法だったけれど、今こうして学生で、しかも熱意のある指導者に出会えたおかげで、こうしてより踏み込んだ形で「距離感を間違えたからそうなったんだ」と具体的な指摘を貰えた。

大人になってこんな事を言ってもらえるなんて、本当に有難いと思ったし、患者さんには本当に申し訳ない事をしたと心から思った。

勿論、私と同じ状況に陥った事のある人でも、勘の良い人なら「色目を使うな」「ぶりっ子」でトラブルの原因に気づけるのかもしれない。 

けれど、少なくとも私はこれまでの会社員人生の中では「私は色目なんて使ってないし、普通に接しただけなのになぜこうなったんだろう・・・。なぜこんな風に誤解されるのだろう」という感覚しか持てなかった。

大人になると、仕事で失敗していても誰も教えてくれない。それは利害関係があるから当然のこと。それが今、こうして学生をしている事で教えてもらえる。なんと有難い事だろう。このフィードバックだけでも今後の私の人生の上での値千金。本当に感謝しかない。

会社員を経て、再び学生をする事の意義

今回、会社員を経て、再び学生をする事の意義、フィードバックをもらえるという学生という身分の有り難みを改めて実感した。なぜなら、もし私が20歳位でずーっと学生をしてきた流れで続けて専門学校に行ってても、このフィードバックを貰える立場の有り難みに気づく事はできなかったと思うから。

そしてこれから残りの実習では距離感を含め、支援者としてのあるべき振る舞いを改めて考え直し、実践して来ようと思った土曜日だった。

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