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煙の向こう側  13話

第四回調停

この日は、いつもとは少し違っていた。
いつものようにドアを開けると、裁判官だという人が同席していた。
「このままでは、話し合いがつかないので、こちらから和解案を出しましょう。あなたが納得いくところで調停を終えましょう」
「財産の処分が難しい。全額一度には支払えない。となると、山名側が毎月支払える範囲での分割払いという形がベストであると考えています」
「このまま調停が不成立に終わり裁判ということになると、費用、日時共に相当かかると考えられます、いかがですか」裁判官が聞いた。
「先方が了解されているなら、こちらはその案で結構です」
「あちらに、お会いできますか」なごみが聞いた。
裁判官は驚きの表情を見せた。

調停で双方が顔を合わせることは、殆どないと言う。

「あちらの意向を聞いてみましょう」
連絡が途絶えてから半年が過ぎていた。
その日の調停が終結し和と嘉子は顔を合わせた。
いつの間にか抱き合って泣いていた。

常識からいって、会って話ができる状態なら調停など起こす必要はない。

「こんなことになってしまって、ごめんなさい」
お互いに繰り返されるのは、この言葉ばかりだった。
そんな二人をこうは、一人傍で見守っていた。

和にはもう一つ、しなければならないことが残っていた。
それは、母に結果報告をすることだった。
「なんてことなの。分割だなんて、人を馬鹿にして」思っていたとおりの言葉が返ってきた。
和は、そんなふうにしか考えられない母を可哀そうな人だと思った。
可哀そうの一言片づけてはいけないのかもしれない。自分を産んでくれた
一人きりの母なのだから。
人に言えず悩んだこと、悔しくて泣いたこと、いっぱいあっただろう。
『この子さえいなかったら』と思うのも当然かもしれない。
親友の直子が入院して見舞いに行ったとき互いの母の話になったことがある。「きっと、おばさんは愛情表現が下手な人なのよ。母なんだから、子供を嫌ってるなんてありえないじゃない」と直子が言っていた。
だが、母への憎しみは消えても、許すことはできない自分と、母を何かしら恐れている自分がいる。
和は、これからどうやって、この母と関わっていくのだろう。
ずっと昔に、自分の気持ちを正直にぶつけることをしていたら、どんなにか
楽だっただろう。母は今、どんな思いで和と暮らしているのだろう。
自分の生き方を信じて、片意地はって、生きてきたのだ。
決して人前で弱音をはかず、自分だけが正しいと信じ続けて。


子供は一人で大きくなれるわけではない。
しかし、子は親を選べない。親も子を選んではいけない。
だから、一緒に生きていく中で、知らないうちに自分勝手な言葉で相手を傷つけているかもしれないことを知るべきだ。

どれくらい経った頃だろう。嘉子ママが電話をくれた。
「いつもお墓参りしてくれて、ありがとう」
和は嬉しかった。その後、母の日に手紙を添えて花を贈った。
和は母にも花を贈った。いつまでたっても母を許せない自分に
『さようなら』をするために。
それから、和は自分に問いかけてみた。
母が、もしも寝たきりになったら、しっかり世話をして看取ってやれるのかどうかと。
まだ母を許せない自分がいる。

この頃から、母はリビングで和と二人きりになると、やたらと話しかけてくるようになった。年のせいもあるのだろう。
適当に返事をして席を立ってしまう和だが、そんな自分が、自分の中にいることが、悲しくなる。
和は少しづつ変わってきたのだろうか。
和は煙草を吸う女が嫌いだ。
ただ、和の心の中の氷は、確実に溶け始めていた。

だが、一度は静まったかに思えた母への感情が、堰を切ったように流れ出したのは、何気ない日常の出来事からだった。

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