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煙の向こう側   10話


何度目の電話の時だったろうか
「どうゆうことなのか説明してください。正当な説明を聞くまでは、書類はお渡しできません」きっぱり言いきったなごみがいた。
和の強気な言葉にイラついたのか、嘉子も負けてはいなかった。
「あなたに同意の意思がないのなら、それでもいいのよ」
電話の向こうはいつもと違って騒がしかった。
酒でも飲んでいるのか、初対面の印象からは考えられないほど語気を荒げていた。
このままではいけないと感じたこうが和から受話器を取った。
「突然かわって申し訳ないですが、僕は和の夫です。冷静に話ができる状態ではないようなので、これ以上の話し合いは無理かと思います。お会いしてお話しましょう」
突然の第三者の言葉に、嘉子も我に返ったようで、とりあえず、次回会う日を決め受話器を置いた。

嘉子の一言で、和は落ち込んでいた。
優しそうな人だと思ったのは、間違いだったのか。
主人の愛した子供を一目見たいと懇願し、やっと会えた喜びで涙してくれた
あの姿は、お芝居だったのか。

和は、わからなくなっていた。
『父の幻』を見たあの日の出来事は、いったいなんだったのだろうと。

数日がたって、賢介から電話があった。
母が急な用で会えなくなったので、自分一人で会いたいと。
和は、嘉子が来られないのなら、そちらが相談なさっている弁護士さんに同席願いたいと願い出た。

そして、恋人にでも会うような気持ちになっている自分に気付き、少し可笑しくなった。

賢介は以前会った同じ店の同じ場所に座っていた。
孝が同席することを告げていなかったからか、会った瞬間、動揺の色は隠せない様子だった。
賢介が「事情は全部ご存じなのですか?」と尋ねた。
和は、主人の同席に承諾を得なかったことを、最初に詫びた。
その後、「私はすぐに感情的になる方なので、冷静な立場からの判断を仰ぐために同席を頼んだ」と告げた。
賢介は了承し、嘉子が来れなくなった理由と、何故、こんな形で会うことになってしまったのか、何故5年もたった今なのかを話し出した。

亡くなった当時は、嘉子の落ち込みが著しく、それどころではなかったこと、5年という経過年数には何の意図もないこと、最近まで和の存在を全く知らなかったこと、嘉子が和のことを賢介に伝える時がきたことで動揺のあまり寝込んでしまったことなど話してくれた。

賢介は、相続財産の詳しい内訳と、その他、相続に関する書類を持参していた。
同意書には、和を除いて4人の署名がすでに終わっていた。
そこで嘉子に再婚当時、和と同じ歳の連れ子があったことがわかった。
そのことについて賢介は
「僕が兄と父の血のつながりのないことを知ったのは、高校1年の時で、相当ショックを受けました。弟二人は未だそのことを知りません。今起きている出来事についても何も知らせていないので、あなたの存在も知りません」
「母も弟達に余計な心配をかけたくないので、出来れば知らせたくない」
と、言っていると話した。
その後、
「僕も理由があって、施設に入り、父と何年も離れて暮らしていたので、和さんの気持ちが少しはわかります」と、付け加えた。
そして「施設にいる時、両親に多大な迷惑をかけたので、僕は遺産をもらいません」とも。
施設という言葉を聞くのは二度目だったが、何故離れていたかは、あえて聞かなかった。


「とにかくこうゆう専門的で複雑な問題は、当事者同士の話だけでは決められない部分があると思うので、そちらの弁護士さんに同席をお願いしたはずですが」と孝が聞くと、
「こちらも特に専任の弁護士さんがいるわけではありません。土地の名義変更をお願いしている方に同席をお願いしたのですが、遺産問題については相談を受けていないので、それはできないと断られてしまって」と
言葉を濁した。

この時、もしかして、何か焦ってるの? 何か隠してるの?
一瞬だが頭をよぎった。

「それでは、どうするつもりですか?」和が聞いた。
「全面的にとはいかないまでも、あなたの言い分を尊重した形で決着したいと思っています」この言葉を信じ、この日は別れた。

和は、書類に捺印することを拒否していたわけではない。
むしろ、亡き父の遺産を相続するのが、妻である嘉子であることは、当然のことだと思っていた。

しかし、『嘘をついて捺印を迫った』というそのやり方が許せなかった。

ここ数週間、和の様子が普通ではないことを、和の母は気付いていた。
だが、山名の姓を耳にした時から事情はわかっているらしかった。
「こんな日がいつか来ると思っていた」
「山名を信じてはいけない、私は一人で苦労してお前を育てた。山名にそれ相応のことをしてもらっても罰は当たらないよ」と呟いた。
父が貶されているようで、腹が立った。
山名の家庭の事情だけを大まかに話し、いい加減な返事でその場をごまかした。
言わば、和にとって初めての『父と子の会話』に口を挟んでほしくなかった。

和には珍しく、こちらから賢介に連絡を入れた。
父の墓参りをするためだった。
父の墓前で自然に涙があふれた。和は、声を出して泣いた。
そして、すぐにはそこから離れることができなかった。
孝と嘉子が一緒だったが、何も言わずにいつまでも付き合ってくれた。

その日から和は、嘉子のことを嘉子ママと呼ぶようになった。
まだ、数えるほどしか会っていなかったが、何かを分かり合えた気がした。
母の愛情に飢えていた和には、しかたのないことだ。
何度も何度も、墓参りを重ねた。失った時間を取り戻すかのように。


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