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ハイ・ヌーンは邪魔させない

 ある日の昼時、働いているのが逆に失礼なくらいの雲一つない空が広がっている。こんな空の下で、誰が私に働けと命じているのだろう、まったく不躾なやつだ、と思いながらも颯爽と車を走らせていた。社用携帯は11時を過ぎたころからめっきり鳴らないが、カーステレオは陽気なナンバーを鳴らしている。12時の5分前を告げるDJの高らかな声を合図に、車はややスピードを落とした。

 国道沿いのラーメン屋の駐車場に車をとめた。時刻は12時をやや過ぎたころ、どこの店も昼休憩に入ったばかりだからサラリーマンの姿はまだ見当たらない。店内に入るとまずまずの着席率。隅のテーブルでは作業着を着た職人さんたちが黙々とチャーハンにがっついている。駐車場にあったデッカいハイエースはこのひとたちの車だろう。威勢よくご飯を食べている人たちは見ていて気持ちが良い。

 缶詰オフィスを飛び出して、アラームの縛りを一時的にほどいて全身で対峙する私のハイヌーンは、誰にも邪魔させない。

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 ラーメンをすする。時刻は12時10分過ぎ。今頃職場には、節電のため電気を半分消されてしまった空間でどんよりした空気が流れているのだろう。私はスープを一口飲んで、そのあまりの温かさに小さな感動を覚えた。大きなガラスの向こうに見える県と県をつなぐ唯一の国道はやや流れが緩慢になっているのがわかる。朝のラッシュ時とは違う、焦りのない渋滞に見えた。

 12時20分、私がラーメンを半分ほど食べたかというところで、黒のジャケットを着た会社員たちが続々と店に入ってくる。若い者から高齢の者まで、職種、業種は違えど、みなお昼休みになれば自然と腹が減るひとりのただの人間なのだと思うとほっこりする。
 横に座った若いリーマンは、お昼休みの真っ最中にも関わらず腰を低くして電話に応対していた。電話越しにも関わらず丁寧に頭を下げているが、ワックスで固めたその髪型は崩れない。店内にはラジオの有線と、店員の威勢のいい声が響いているが電話先に漏れていないのだろうか。それにしてもこんな時間に電話をかけてくるなんて本当に無粋なやつだ。同情するぜアンちゃん。

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 社会に無造作に放り出されてはや数年が経った。自分という資本を企業に投げ渡して、1日の半分近くを労働に費やした挙句、月に1度得られるなけなしの賃金は、果たしてそれ相応の金額と言えるのだろうか。いや、今はそんなことどうでもいいのだが、端的に言うと、社会に出るとはこういうこと。金額の多寡にかかわらず「稼ぐ」とはこういうことだ。

 自分でお金を稼ぐようになると、日常における「食」というものの存在が今までより大きくなる。毎日満足に食う、というだけでここまでコストが嵩むとは思いもしなかった、お母さんありがとう。悲しいかな、人間は生命維持システム上どうやっても腹が減ってしまう困りもので、腹を満たすためにはおちおち腹を空かせてなどいられないのだ。

 いまやチェーン店ですら、満足にランチを食べようとすると軽く1000円の大台に到達しそうなご時世になった。その1000円は果たして自分の可処分所得の何%だろうか。ここで迷いなく1000円超えのランチを選択できるほど、私は偉いのだろうか。

 動物は何かを食わなければやがて死ぬ。その食べること自体は、あらゆる動物の生命活動に必要な最低限の要素の1つに過ぎないが、"食を楽しむ"ということは、あらゆる動物の中で人間のみに許された贅沢である。淡々と繰り返すモノクロの労働生活の隙間で、しばし解放される彩りの瞬間というのが、何を隠そう食事の時間なのである。

 普通の休日に落ち着いたカフェで食べるランチと、労働と労働の間でせわしなくも全力ですするラーメン、どちらがより幸福度が高いのかというとそれは間違いなく後者である。こうやって「食」の偉大さ、尊さに気づくことができたのは間違いなく労働のおかげだ。労働の神様、感謝しています。

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 私は結構、食に関しては興味関心が高いほうで、職場の同僚や上司、得意先の人たちと、食の話題ならばひととおり盛り上がれる。私は自宅で料理も作るし、近所で食べ歩きをするのも好きだし、旅先でその土地にしかないものを食べるのも好きだ。食のプロフェッショナルとまではいかないが、アマチュアとしては十分にその資格があると思っている。
 この性質は実は結構、会社員には向いているかもしれない。

 私にはかねてから持論があるのだが、それは「食」「飲」への関心が高い人は勤め人としてやっていける、ということだ。
 最低でも1日に3回は設けなければいけない食事の機会、そのクオリティや節度は自由であるが、自炊外食問わずここにしっかり手間暇をかけて拘ることのできる人間は、丁寧に仕事もできるはずだ。食事をただのルーティンワークとして食器とともに片づけてしまわない、そんな好奇心と積極性を兼ね備えていれば、自分という商材を売り込むことの多いサラリーマンには適任だと思う。

 加えて、勤め人、とりわけ営業職等に携わっているの人間で、チェーン店でない”ウマい店”を知っている人間は仕事がデキる、と私は勝手に思っている。仕事や打ち合わせでどこかに行くとなったときに周辺にある美味しいお店がパッと浮かぶ人(あるいはブックマークして目星をつけている人)は、なんだか一目置いてしまう。仕事はもちろん仕事として、その副産物である食事のことまで気配りが届き、なおかつ楽しもうとするその姿勢が、何より大事なのだと私は思うのだ。

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 会社員になったといっても、味覚が変わったとか自分自身の内面が何か変化したわけでもなく、ただ単にステータスが変わっただけ。ラーメンは昔からずっと美味しいし、カレーは中辛、布団は羽毛だし。酒が飲めるようになり、味の薄いものも「素材本来の味」という言い換えができるようになった。

 それでは、もうすぐお昼休憩が終わるので、失礼します。

 

#会社員でよかったこと

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