見出し画像

俺たちは現代の参勤交代をしている

 電車の中で見かけるくたびれたサラリーマンがスマホで十中八九プレイしている、クソほどつまんなさそうな謎のカラフルなパズルゲームは一体なんなのか。しかもよくよく見てみると、全員が同じゲームをやっているようで全員やってるゲームが微妙に違う。アメリカの激甘糖質爆弾ケーキ並の異様な原色カラーリングであることだけは共通しているが、その他は一体なんの違いがあるのか、皆目検討もつかない。そんな謎のパズルゲームを、くたびれたサラリーマンたちは皆一様に死んだ目をしながらプレイしている。いや、プレイさせられている。ミギーならぬユビーが右指先を乗っ取ったかのごとく、ロイコクロリディウムに身体の支配権を握られたかのごとく。一体どこでこんなゲームを知ってどこで拾ってくるのか、そして何故これをやろうと思ったのか。これがわからない。
 しかしこれだけは言える。勤め人は皆つらいよ。

-

 中山道のかつての宿場町沿いの道を、長野県側から岐阜県方面へと車で抜けていった。松本市で開催されたりんご音楽祭のその帰り道。中山道の歴史の栄枯盛衰を一息に辿る道、まるで歴史書を一気に読んだかのよう。
 かつてはこんな山の中を、しかも当時はアスファルトなどない未整備の道を、馬や牛車あるいは徒歩で人々は行き交っていたのだ。江戸から京都へ、日本の内陸部を経由して至るこの道には今も尚、歴史の残り香がそこはかとなくただよう。今はアスファルトが敷かれて車が通行するのに十分なスペースも確保され、山間を縫うように鉄道も敷設され、特急電車が一定間隔で定時運行をしている。
 かつては一晩、いや一週間以上もかけて超えていた山々は、この時代ではもはや、子どもが学校に行くこととなんら変わりない程度のものになった。

 日本にはかつて参勤交代という制度があった。江戸幕府の折、時の将軍が制定したこの制度によって日本各地の名だたる大名たちは皆、定期的に江戸に顔を出すことを義務づけられた。それと同時に人の流れは活発になり、日本各地を繋ぐ街道はさらなる発展を遂げることになった。

 このように地方の有力者が江戸に出向き、そこで一定期間任務を全うすることは、現代でいうの「転勤」のシステムと何ら差はない。むしろ参勤交代は転勤のプロトタイプだ。上からの命令で住み慣れた地を離れはるか何百キロ、江戸(東京)で労役をすることは、その昔から私たち日本人に課された宿命のようなものだったのか。力あるものは自分の監視が行き届くところにいてほしいという権力者の思い、必ず手に入れたいものは誰にも知られたくないのさ。

-

 私たちには私たちそれぞれの将軍様がいる。そして仕えた以上、下される命令は絶対。辞令が出れば1週間でサッサと身支度をして、てやんでい江戸の街まで。現代の駕籠(かご)はひかりの速さでのぞみを叶える。つんとすまして乗っている。どうか神の御加護があらんことを。

この記事が参加している募集

はじめての仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?