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ある幸福な一瞬

朝の白くぼやけた光が差し込む台所

母が私のことをおぶって ”重くなったなあ” と笑った。

音もなく、静かな朝の一場面。

母からすると何の気のない行為だったのかもしれない。

だけど、当時まだ小学6年生だった私にとっては「その日一日、無敵になったような気がする」ほどに私の胸を温め、愛されていることを感じさせる行為だったのだ。

元々、私の家族は接触をあまり好まない。

私が忘れてしまっただけかもしれないが、手を繋いでもらった記憶も、抱っこもおんぶの記憶もほぼない。

微かに覚えているのは、私が無理矢理母の手に自分の手を滑り込ませたときに『甘えん坊ね〜』と赤ちゃん言葉で茶化され、握り返された手が骨張っていて、少しひんやりしていたことだ。

今となれば、子供が甘えてきて「しょうがないな〜」なんてテンションだったのだろうとわかる。

だけどあの頃の私は、自分が繋いだ手に宿した思いがまっすぐ伝わらなかったような気がして、子供ながらにだいぶ複雑な気持ちにさせられた。

そんな失恋のような出来事から時は流れて、あの朝の場面が巡ってきたのだ。

あの時、母も私がもう甘えてくるような年頃でなくなることを察したのか、そうでないのかは今となっては知る由もない。

あの日のことを母が覚えているか、今聞いても天邪鬼な人だから「そんなことあったかな?」なんてはぐらかされてしまうような気がするから、いつか決定的な場面で教えてあげるのもいいなと思うし、永遠に私だけの思い出にしておくのも悪くないだろう。そのことについては要検討ということで。

現時点で言えることは私にとってあの白くぼやけた台所での出来事は、確かに幸福な一瞬だったということ。

(Photo by tama3ro,Thanks!)


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