生きづらい
僕は気付いてしまいました。
最近、自分の世界の小ささに気付いてしまいました。
自分と同じ価値観を共有できると信じて、SNSを始めました。
結果、同じ世界を周回するだけの小さな箱庭に住んでいることを自覚しました。
最近、そんな自分が嫌で、嫌気が刺しています。
生きづらいなぁに尽きるというかね・・・。
何か、アプリのTwitterを消しました。理由は、ウザいからです。
PC版やってるなら、あんまり変わりないだろうと言うのは、言わんといてあげて下さい。
ネットを開けば、悲しいニュースか、誰かの悪口。
或いは、嫌がらせか、承認欲求の権化共の宴というか、何と言うか。
本当にこの世界は狭い。その可能性を全部切り捨てているのは、僕自身と思うと余計にやり切れない。
自己責任が当たり前の世界で、僕にはそういう可能性が無いと言うことなんでしょうね。
本当は悪口を沢山言いたいです。
どんなワードが言いたいかと言えば、〇ねとか、く〇〇れとか、〇〇〇ズどもがとか、そんな感じです。
本当は僕には、好きな物が沢山あります。
アニメ、映画、相棒、女優さん、音楽、食べ物とか、その他諸々。
全てを灰にしたい勢いで、色んなことが嫌になっています。
僕は怒っています。
今ハイキューが大人気と話題になっているのに、誰もハイキューについて、触れてくれないことに。
これでも、長いこと、発信しているんですけど、全然共感してくれません。
誰も共感してくれないと言うことは、誰もその作品が好きという話になってしまうんですよね。
架空の友達なんて、架空の友達ということなんでしょうか。
そのくせ、僕のそこまで好きでもない物に関しての食いつきが良いのが、本当に許せない。それに対しての反応は良い癖に、僕が好きな物になると全部とは言いませんが、本当に僕は何の為にSNSやっているのか、分からなくなります。
本当に自分が嫌いになるし、自分を思ってくれる人がいると頭では分かっていても、誰も自分を分かってくれないんだって、自己肯定感が低くなります。
いつかのブログにも書きましたが、僕の人生は好きなものぼっちでした。
いつも、孤独でいつも疎外感を抱え、自分の好きな物が否定されるのが、怖くて、CHICKENの僕は殻に閉じこもるばかりで、情けなくて、誰かに八つ当たりする毎日でした。
そして、気付きました。
誰かに信じて貰いたいなら、自分が変わるしかないとね。
非日常は慣れたら、いつだって、日常になってしまう。
自分の世界を救えるのは、ヒーローではなく、自分自身なんだと心から思います。
誰かが、やってくれるとか、誰かに期待する生き方って、本当に愚かなんだなと思います。
そうやって、疲れる位なら、自分で変えて行くしかない。
その方法を僕は未だ知りません、何をしたらいいのかも、よくわかりません。
それでも、今はとにかく、自分の中で何かを起こしたい。
当たり前の考えを変えたいとか、そういうのじゃなくて、自分を変えたい。
自分の価値観や固定概念を変えたい。
誰かの悪口を言う暇があるなら、誰かを褒め称える人間になりたい。
僕自身、未だに人生に希望は見いだせないし、窮屈なこんな世界が大嫌いです。
自分だって、愛せないし、こんな自分が誰よりも嫌いです。
それでも、自分が変わらない限り、何も変わらないことを強く感じたので、本当に色んなことを少しずつでも、変えていける自分でありたいです。
本当に今の日本は嫌な国です。
僕自身、何で生きているのかなって、つくづく考えてしまいます。
こんなお先ナイトメアな世界で頑張ったって、どうにもならない。
そんな気持ちは晴れないし、一生、この疎外感と向き合わないといけないのかと思うと生きることが辛くて仕方ありません。
だからこそ、僕は自分を変えたい、誰かに影響を与える人物でありたい。
できることもやれることも限られていて、無力な自分。
キングダムのblogを3年書き続け、何の反応もないまま、逃げ出した自分。
頑張れば、認められると信じていたけれど、何の成果もあげられず、本当に無力な自分が嫌で嫌で仕方ありません。
本当にこの世界で一番辛いのは、無反応であること。
「愛の対義語は憎しみではなく無関心だ」と言う言葉がありますが、本当にその通りだなって、つくづく考えます。
僕の中には激しい憎悪と憎しみ、一生埋まることのない空っぽの心があります。
これが満たされることは一生無いし、何も変えられないかもしれないけど、せめて自分だけでも変えられる人間になりたい。
そう思い、今回は筆を執りました。
どうか、皆さんに読んで貰えると嬉しいです。
希望は無くても、そんな重荷を背負わなくても、良い社会でありますように。
相棒大好きなんだけど、完全に出遅れてしまった僕でも、相棒語っても、いいのかな?
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