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働きたくない人間が働き方研究を続ける理由

働きたくない村出身の社会人5年目の女(28)です。「働きたくない村」というのは、先程作った言葉である。働きたくない人が集う概念としての架空の村である。

なぜ働きたくないのに「働くこと」について考え続けているのか。わざわざキャリア系のことを扱う会社で働いているのか。

それは「働きたくない村出身とはいえ、基本的には働かないと生きられないから、なんとか楽しくなりたい」という諦めの悪い想いがあるからだ。

働きたくない人の生き方は主に3つあると思う。

①働かなくて済むように短期間で集中して稼ぎ切る(FIREや投資家の方向性)

②働きたくないなぁと言いながらしぶしぶ働く

③働くことを楽しめるように工夫しながら楽しく働く

わたしは少し前まで①に憧れる②だった。だけど①ができるのはなかなかの根性がある人だけだと思う。

また、気合いを入れて①ができる人は「〇〇したいから働きたくない」、たとえばずっと旅したいから働きたくない、好きに絵を描きたいから働きたくない、といった「積極的理由による働きたくない」な人だと思う。

または家族や自分が病気だとかいった、強烈なマイナス由来の働きたくなさ。切実な働きたくなさ。

そういった人はエネルギーが大きいから、FIREみたいなことも実現できるのだと思う。

わたしはどうかといえば、ただの怠け者由来の働きたくない人だ。働かない先に何かをやりたいわけではない。病気でもない。こまごましたことをこなすのが面倒くさいなぁ程度の気持ち。強烈なマイナス由来のエネルギーもない。

こういう人は、働かないで暮らすための環境づくり、つまりFIREみたいなことを本気でできるとは思えない。

ということで、「働きたくないなぁ」と思いながら働かないことを夢見るのは卒業した。働かない方向性で本気で頑張ろうと思えないし、憧れと現実が近づいていく予感は0だから。

どうせなら楽しみながら働きたいなぁ、諦めたくないわぁ、という想いを自覚し始めたら、少しずつ「楽しい仕事」の光が見えだした。非常に嬉しいことである。

今日業務でやった、顔見知りへのインタビュー&記事作成なんて、趣味でやっても楽しいくらいには楽しいレベルのご褒美仕事である。

わたしはフリーランス時代はなかなか楽しい仕事ができなかった。なぜなら、挑戦するのが面倒くさいから、既存の案件をなんとなく続ける感じになってしまうから。「楽しそう」が「面倒くさい」に勝つことがなかった。尻すぼみ街道まっしぐらである。20代前半なのにもったいない。

一方会社員になってからは、自然と色んな業務がまわってくるから小さな挑戦が自動的に多発する。文章を書く仕事がまわってきたり、LINE構築の仕事がまわってきたり、企画っぽい仕事がまわってきたりする。すると「これはわりと楽しいな」「これはあんまり楽しくないな」と判定できるから、自己理解が進む。なんとなく楽しい方向性も分かってくる。便利だ、会社員という立場。

もともと仕事が好きな人は、それはそれでたいそうなことだ。貴重な人材である。大いに活躍してほしい。

ただもともと仕事が好きな人ってそんなにいないと思ってて、現にわたしもそうだし。だからこそ「楽しめるようになる奇跡の過程」を記録したら意味があると思ってる。

働くことについて語りながら、顔出しで素性をさらしながら働く人って、基本的には楽しんでる人だよね。大きな社会意識をもってるか、または働くことがそこそこ楽しいから発信しやすいと思う。キャリア系の仕事をしてる人って、なんかキラキラしてるし。相談したら前向きなことを言われそうだし。あからさまな陽キャと陰キャの壁みたいなのがあって、もともと仕事が楽しい人は、陽キャでしかない陽キャみたいな印象がある。働きたくない村出身のわたしとしては、敷居が高いし人種が違う感じ。

でもわたしみたいに、働きたくない村出身のくせに顔出しで素性出しで働くこと(または働きたくないこと)について話す人はそんなにいないんじゃないだろうか。クライアントとかに見られると気まずいし。仕事を受けるにあたってマイナスになりそうだし。気を遣わせてしまいそうだし。

でも、働きたくない村出身のくせに楽しく働きたいと祈りながら、素直な気持ちを言語化しながら生きるのは、意味があると思うんだよなぁ。自分にとっても誰かにとっても、いつか希望になると思うんだよなぁ。

働きたくない村出身のわたし、ようやく楽しめるきざしが見えてきたので、働きたくない村出身者としてこれからも自分に向き合いながら働き方研究をしていきたい。また働きたくない村の定住者になってしまうこともあるだろうけど。こんな人が、キャリアに携わる会社にいてもいいじゃん、むしろ意味があるだろう、という魂の叫びでもある。周りにいる「働きたい村」の人に気を遣わせたら申し訳ないけども、わたしはわたしで、働きたくない村出身者なりに希望を持って活動しているので許容してほしい。そういう願い。

毎日note12日目。

あしたはコワーキングスペースで仕事してみます。久しぶりの人にも会えそうなので、シンプルに嬉しい。久しぶり、懐かしい、を感じる人間関係が好きである。コミュ障だろうがなんだろうが、苦手なものの中にも、好きなものはあっていい。勝手に希望を感じても良い。ひとりだけ浮いてるなーって雰囲気で、にやにやと希望を感じても良いのである。どの村の人にも希望がありますように。

会社員として運営に携わっているのがこちらのキャリアスクール。Webスキルを起点にしながら自分に合った働き方を目指す人が受講していて、わたしも元受講生。このnoteを最後まで読んでくれた方ならきっと何かを感じるスクールだと思う。

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