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3ヶ月ザンビアに暮らして思うこと

2019年1月28日に日本をたち、早いもので間もなく3か月が過ぎようとしている。やっとの3か月でもあり、あっという間の3か月でもあった。

事件や事故などのトラブルなく体調を崩すこともなく、はじめの3か月を終えることができたことに安堵する気持ち。
あと9か月すれば日本に一時帰国できるという少しだけゴールが近づいて楽しみな気持ち。

3か月もザンビアにいるのに、なにも活動らしい活動ができていないことに焦る気持ち。
早く帰りたいと思っている自分を責める気持ち。
残りの任期21か月で自分はいったいなにができるのだろうかと不安な気持ち。

いまだに気持ちは常に揺れ動き、小さなことで喜んだり悲しんだり感動したり落ち込んだり…その繰り返し。

でも日本を離れて3か月がたち、確信していることは青年海外協力隊としてザンビアで20代の2年間を過ごす選択は正しかったということだ。

中学生のときに抱いた国際協力へのあこがれと使命感。自分でもよくわからない執着心でここまでやってきた。高校受験、看護学部への進学、看護師・保健師国家試験、国際保健分野で名高い病院への就職。そして青年海外協力隊員としてアフリカ ザンビアへ。すべて国際協力の道に進むための進路選択だった。

やりたいことがあるっていいね。夢をもっていてすごいね。

そんな言葉をかけられるたび、自分でもよくわからない執着心に突き動かされ進み続けることが正しいのか疑問を抱いていた。一つのことに執着し、狭い世界で生きることが正しいのだろうか、これでいいのだろうか、心のどこかにずっとそんな思いを抱いてきた。

でもここまで国際協力にしがみついて生きてきてよかった。いまはそう確信できる。
今後一生国際協力を仕事にして生きていくかはわからない。もしかしたら今後一切かかわらない生き方を選ぶことになるかもしれない。今はそれはそれでいいと思える。

もし国際協力への道を志さなければ、私は看護師にはなっていなかっだろう。学部時代に出会った大学の友達、先生、病院に就職して出会ったドクター、看護師の先輩、同期、様々な社会背景を持つ患者さんたち。看護学生、看護師として経験した悲しいこと、うれしいこと。ひとを看護することの大変さ、やりがい、喜び、苦しみ。生きること、死ぬこと、健康であること、大切なひとに思いを伝えられること、その尊さと大切さ。そして二本松での訓練、アフリカ ザンビアで出会った青年海外協力隊の隊員やザンビアの人々。これらすべてが私の人生になかったかもしれない。

大学の国際看護の実習で結核治療に関わり、看護師として結核病棟に就職した。そして病棟でたくさんのホームレスの方々と出会い、ホームレスや生活保護受給者の支援にも関わるようになった。在日外国人の看護を通して、在日外国人支援の重要性を知り興味を持った。医療、看護、感染症、結核、貧困、社会保障、在日外国人、公衆衛生、人権、労働問題、アフリカ、ザンビア。関心を持つきっかけはすべて国際協力だった。

ザンビアに来て、いやな思いもたくさんした。自分の未熟さや弱さと毎日のように向き合った。日本に帰りたいと何度も思った。これらはすべて現在進行形だけど、ザンビアに来てまだ3か月しか経っていないけれど、ここまでの道のりに後悔はない。

いいことも悪いことも国際協力に関わらなければわからなかったこと、知らなかったこと、気づかなかったこと、学べなかったこと、感じなかったことばかりだからだ。

自分の選択で、困難を承知の上でザンビアに来たにも関わらず、弱音を吐きまくる私に何人もの人が連絡をくれた。年度が替わり、責任や業務も増え忙しいであろう看護師の友達、同じ時期に任地に赴任し、自分も様々な苦しみを抱えているであろう協力隊の同期。自分が苦しいときに他人の苦しみに寄り添うのはとてもとても大変なことだ。それでもやさしさを与えてくれる素敵な人たちに支えられていることに改めて気づいた。

ザンビアの人々とは感覚が違うな、分かり合えないな、この社会のなかで生きるのがつらいな、と思うことも多々あるし、いつまで経っても慣れないこともたくさんある。でもいいところもたくさんある。この田舎の町に現地語もろくにわからない小娘がやってきても当たり前のように受け入れてくれているザンビアの人々。職場の同僚や患者さん、ホームステイ先の家族、近所の人など関わる人から差別的な言動を受けたことは一度もない。友好的で小さいことを気にしないおおらかな人々だ。ザンビアの空はどこまでも高くて青くて、夜になれば180度ドーム状にまさに満点の星空が広がり地球が丸いってことを感じられる。

いまだに待つことが苦手で、予定が先読みできないとソワソワ不安になってしまうことや、何もすることがないと時間を無駄にしているように思えて落ち着かないこと、自分の気持ちをうまく表現できず落ち込むこと、中国語もどきの罵声を浴びせされて心が乱れること、そんなことは日常茶飯事で、そのたびに自分が"日本人"であることに気づかされ、ザンビアに適応できない不器用な自分が嫌になる。

国際協力をきっかけに、医療者になり、ボランティアになり、外国人になり、社会的マイノリティーになった。当事者になって初めてわかることがたくさんあった。

この2年、いいこと楽しいことうれしいことばかりではないと思う。それ以上の苦しみ悲しみ困難が待ち受けているだろう。失敗ばかりでも、暗い思い出ばかりでも行動してみなければわからなかったこと。だからザンビアに来てよかった。国際協力を追いかけてきてよかった。

今の私はすごく未熟で無力で頼りない存在だけれど、10年後20年後までこの地域の人々の記憶と心に不器用な日本人の若者が精いっぱい生きた記憶が残ればいいなと思っている。12000キロも離れたこの国で、肌の黄色いアジア人を見て、もしかして日本人かな?と思って親切にしてくれるひとが1人でも増えたらいいな、そう思って暮らしている。そしてこの小さな小さな目標を忘れずに2年間過ごしたいと思っている。

私たちザンビアの協力隊員は任国に赴任して3か月間は任地の外に行けないという任地縛りのルールがある。まもなく”任地縛り”からも解放だ。サウスルワングワナショナルパーク、カピシャの温泉、チャミヌカロッジのエレファントウォーク、世界三大瀑布のビクトリアフォールズ、先輩や同期の任地。行きたいとことがたくさんある。いろいろなザンビアを見て、好きになったり嫌いになったりしながらこの国で過ごす2年間を楽しんでみたいと思う。そしてもっと強く逞しく、そしてもっともっと優しいひとになって日本に帰りたいと思う。

2年間、そんな風に思いながら活動をつづけられるように日本を含め世界中にいる大好きなひとたちを大切にしよう。体調管理と安全に気をつけよう。任地の人々、同僚と仲良くしよう。

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