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短編小説【ナイト・グルーヴ】

東京駅。八重洲中央口を出て右手に、夜になると明るい照明で鮮やかに彩られる、大きな階段がある。
人々はみな、なんの目的もなく、あるいははっきりとした意思を持って、この階段に座っている。
とりわけ僕たちは、この子洒落た街を行き交う人々を見ながら、夜を無駄遣いするのが好きだった。

毎週金曜日のバイト終わり、僕と俊介は決まってここで落ち合う。
半年ほど前、お互いのバイト先の最寄り駅だったこともあり、家に帰る前にちょっと休まないかと座ったことが始まりだった。

ある日はコーヒーを片手に、ある日はビールを片手に。
1時間ほどだべった後、解散する。
そんな日々が、今ではすっかり習慣になっていた。

「なんか今日混んでるな」
「あー今日、華金か」
「どこ座る?」
「んー」

俊介が辺りを見回す。そして、中央付近、スマホを眺めて座るサラリーマンの前を指さす。

「えー眺め悪くね」
「夏に熱いカップル見ると、寒くなるから」

俊介が冷めた目で、僕たちの後ろで厚く抱擁を交わすカップルを見て呟く。

僕は俊介の肩をポンと叩き、二人でお目当ての席へと移動して座った。

「それにしても毎日あちーな」
「プールの監視員ってどうなん」

俊介は最近バイトを変えた。大学生最後の夏休み、違うバイトをしてみたくなったらしい。

「いいよ、かわいい子いっぱいいるし」
「目的が明確でいいな」
「目的は困ってる人を助けることだよ」

俊介は昔から飽き性で、友達も、彼女も、長続きしない。だから、俊介が親友と呼ぶのは唯一の友達である僕だけで、僕にとっても俊介は唯一の友達であり親友だった。

ところが、そんな俊介にも、2か月ほど前から気になる人ができた。

飽き性の俊介がここに毎週通う理由。
そして、僕がそれに付き合う理由。
それは紛れもなく「ポーカー」に会うためだ。

僕も俊介も、ゲームには疎い。ギャンブルなんてのは程遠い存在で、ポーカーなんてのも口だけで、ルールだってよくわかっていない。

しかし、俊介から見た彼は「ポーカー」以外の何物でもなくて、僕もそれが不思議と腑に落ちていた。

「あ、ポーカーだ」

22時を過ぎた頃、彼は決まって現れる。

息苦しい雑多の中で、ひときわ目を引く存在だ。

「まーた違う女と歩いてるよ」
「ほんと、一体何者なんだ」

彼は、185センチはあるだろう長身と、ムラのないホワイトブロンドのウルフヘア、びっちりと丁寧に着こなされた紺色のスーツに、先がとがったピカピカの靴は、先ほどの熱い抱擁を交わしていたカップルが僕たちに植え付ける寒さとはまったく次元の違う、緊張感を纏った特異な冷たさを感じさせた。

俊介によればその出立ちは、三次元のものとは思えないらしい。アニメの世界から飛び出してきたダークヒーローと言えば、わかりやすいかもしれない。
無論、彼が漂わせる摩訶不思議な魅力に、僕たちが囚われるのも時間はかからなかった。

彼は駅の入り口で、女性に笑顔で手を振り見送る。そうして女性の姿が見えなくなると、そそくさと踵を返し、来た道を戻っていく。

「なんの仕事してるんだろ」

俊介が話す。

「ホストかな、いや、バーテンとか?」
「どっちも違そうだな」

その時、俊介が勢いよく立ち上がった。

「俺、聞いてくるわ」
「え!?」

俊介は彼から目を離さずに、駆け足で階段を下る。
僕は急いで俊介のあとを追う。

彼は僕たちの20メートルほど先を、足早に歩いている。

夜の東京がこんなにも似合う背中を見たことがないと思うと同時に、目を離した隙にいなくなってしまったら、もう二度と会えないような気がした。

「お前、ほんとに声かけるの?」
「ああ、だめ?」

彼の足は想像以上に早かった。
僕たちは、ついて行くのに必死だった。

しばらく歩くと、彼は人通りもまばらな薄暗い路地へと入る。

僕たちは肩を寄せ合い、その後を追った。

その時、彼が立ち止まった。

反射的に、僕たちの足も止まった。

俊介の緊張が伝わる。
湿った夏の夜の空気が、僕たちにまとわりついて離れない。

「帰ろう、迷ったよ、僕たち」

僕はなんだか、ものすごく怖くなって、俊介に提案した。
しかし俊介がそれを飲んでくれるわけもなく、

「あと少しだよ」

とだけ言い残して、彼の元にゆっくりと歩み寄っていく。

僕は逃げ出したくなる気持ちを必死に押し殺して、俊介の後をついていった。

生ぬるい風に、彼の後ろ髪がなびく。そして、振り返った。

俊介の足が止まる。僕も、その斜め後ろで止まる。彼との距離は、3メートルほどだ。

彼は僕たちのことを見て、小さく首を傾げた。

切れ長な目の奥に隠された瞳は、夜の闇を全て吸い込んでしまったのかと思うほどの、漆黒に染まっていた。

そして、彼の目を見つめれば見つめるほどに、僕が自覚していた恐怖の本当の正体が、輪郭を見せ始めた。

「どうしたの?」

低くて落ち着きのある声。

俊介の目は、彼から離れることはない。
そしてそれは、僕も同じだ。

階段の上から見ていた彼は、ここにはいない。

185センチ以上ある長身と、ムラのないホワイトブロンドのウルフヘア、びっちりと丁寧に着こなされた紺色のスーツに、先がとがったピカピカの靴。

階段の上から眺めていたときに僕たちの目に映っていたそれは、確かに輝いていた。

しかし、この距離で僕たちの目に映るそれは、彼を闇から隠す鎧のように見えた。

「いや、あの、ちょっと」

彼が僕たちに近づき、すぐ目の前に立つ。俊介の緊張が、地面を伝って僕の元に届いた。

「君たちさ」

僕たちは、まっすぐに彼の顔を見上げる。

彼が、小さく微笑む。

「やっと、声かけてくれたね」

「え…」

「毎週金曜日の夜、駅前のあの階段で。見てるでしょ、俺のこと」

僕たちはゆっくりと顔を見合わせて、それから彼に向き直り、頷いた。

「バレてたんですね」

俊介が気まずそうに答えた。

「当たり前だよ」

「でも、どうして?あんなにたくさんの人がいるのに」

「人の目ってさ、案外、見えてるもんだからね」

彼がまた、小さく笑った。そして、ポケットから煙草とジッポライターを取り出し、吸い始めた。
煙草の先端を照らす炎が、彼の顔を赤く染める。

「君たちも、吸う?」

僕が吸わないと答えようとした瞬間に、俊介は「はい」と答え、彼から煙草を一本貰っていた。

俊介がくわえた煙草に、彼がジッポライターで火を灯す。

煙草など経験がない俊介は、数秒後に盛大にむせていた。

彼はそれを「無理しなくていいのに」と笑い、優しく見守る。

「あのう」

咳ばらいをしながら、俊介が口を開いた。

「聞きたいことがあったんです」

「うん、何かな」

俊介は黙っている。黙って、彼のことを見つめている。

彼は、左側の口角だけを上げて小さく微笑むと、

「僕の名前は」

彼は頭上を通過する飛行機を見つめて、

「エアプレーン、とかどう?仕事は、地球に住んでる宇宙人に街を案内していて、あ、そうそう、毎週違う女性と歩いているのはそのせいだよ。歳は27」

いたずらに笑う彼の目は、先ほどよりももっと、より深い漆黒に染まっていた。

そんな彼の目に映る煙草の火はまるで、共働きで家を開けがちだった僕の両親が、毎年僕の誕生日に残してくれる小さなケーキに刺さって、寂しげに揺れるろうそくのようだった。

僕はいつも、ひとりでその明かりを眺めて、しばらくしてから吹き消すと、ケーキを丸ごとゴミ箱に捨てていた。

13回目の誕生日を迎えた日の夜。
僕は、相変わらずひとりで食卓に座り、代わり映えのないケーキと、それに刺さって揺らめくろうそくの明かりを眺めていた。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

ドアを開けるとそこには、俊介が立っていた。

「学級通信に書いてあった。今日、誕生日なんだろ?」

3ヶ月前に転校してきた俊介は、いつも教室の後ろの席で、窓の外ばかり見ている生徒だった。
友達を作ることが得意不得意というより、友達を欲しているように見えなかった。

「これ、君のでしょ」

1週間前、俊介の机に間違えて配られた僕の名前が書かれたプリントを、俊介は僕の肩をポンと叩いて、僕に手渡した。

「あ、ありがとう」

俊介は僕の目をじっと見つめて、小さく「ん。」とだけつぶやくと、自分の席へと戻り、また空を眺めていた。

僕はその瞬間、俊介に全てを悟られた気がした。そして同時に、俊介と僕は、この世界の日陰に身を隠して、同じ瞬間を生きているのだと確信した。

俊介が僕の向かいに座り、僕たちは二人で一つのケーキを囲んだ。

「これからは、毎年一緒に祝ってやるよ」

俊介はそう言うと、ろうそくの明かりを吹き消した。

俊介の多くを語らない優しさと、多くを語れない脆さに、僕の胸はどうしようもなく締め付けられた。


僕たちは数秒間、何も言えずにいた。
すると、俊介がおもむろに口を開いて、

「最近の宇宙人って、美人なんですね」

とだけ呟いた。

俊介は昔からこうだった。相手の気持ちを先回りして汲み取り、一番欲しい言葉を言ってくれるのだ。
それは決してわざとらしくも、いやらしくもない。俊介にしかない、優しさだった。

彼は煙草の灰を落とすと、

「ああ、羨ましいだろ」

と、笑った。そして、手に持っていたジッポライターを、俊介に手渡した。

「こんなもんしか無くて、ごめんな」

俊介は受け取ったジッポライターをキツく握りしめ、力強く頷いた。

僕は、中学生の頃からの付き合いである俊介の、こんな背中を始めて見た。
しかし、もしかしたら俊介はきっと、この瞬間をずっと求めていたのかもしれない。
そしてそれは、僕も同じだった。

ポーカーの抱える孤独は、俊介の優しさの分身なのだ。

「次は、むせるなよ。かっこわるいからな」

彼はそう言い残すと、煙草をくわえたままさっと踵を返し、夜の闇へと溶けていった。

僕たちは、彼の後ろ姿が見えなくなった後もなお、その場所に留まっていた。


一週間後、俊介から「地下の喫煙所にいるからきて」とメールが届いた。

喫煙所での待ち合わせは初めてだが、その理由を理解するのに時間はかからなかった。

僕は喫煙所で俊介の姿を見つけたが、声をかけずに見つめていた。

俊介は相変わらず少しむせていたが、その手にはあの日のジッポライターが、大事そうに握られていた。

俊介がふと外に視線を向け、僕と目が合うと、足早に僕の元へと駆け寄る。

「おい、来てるなら返信しろよ」
「お前がちゃんと吸えるか確かめてた」
「は、なめんな」

強がって笑う俊介の顔は、どこか悲しそうだった。

「俺さ」
「ん」
「女とか男とか関係なしに、あんなに惹かれたことないんだよ。人間に」

俊介が、ジッポライターを僕に見せる。

「だから、上手く吸えるようにならないと」

ジッポライターを見つめながら話す俊介の顔が、あの日のポーカーと重なった。

「今日、どうする」
「んー」

時刻は22時を回った。
僕たちは、喫煙所を出て地上へと向かう。

「朝まで飲むか」

俊介が言う。

「たまには、いいかもな」

僕と俊介は、肩を並べて階段の脇を通過する。
僕たちは何も言わなかったが、この先きっと、この階段に座ることはないだろう。

「夜なのにまだあちーな」
「俊介、焼けた?」
「屋内プールでどうやって焼けるんだよ」

もしかしたら、あの夜の出来事は、幻だったのかもしれない。

でも、それでもいいと思った。

目まぐるしく変化する毎日。
この街には様々な人間の多様な人生が数多く存在し、同時にそれらは複雑に絡み合っている。

所詮、世界など、断片的に切り取られた瞬間の連続だ。
けれど、無意識のうちに混ざり合う瞬間が確実に存在していることを、忘れてはならない。

僕たちの頭上を、一機の飛行機が飛んでいく。

真っ白の尾を、なびかせて。

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