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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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不定期で歴史に関する小話を配信しています。スマホからでもパソコンからでもお気軽にお読み頂けます。過去分も是非ご覧ください。
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2018年7月の記事一覧

#0238【大英帝国の斜陽(イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今回は大英帝国の歴史を取り上げます。 以前、以下のとおり大英帝国を取り上げたことがありました。 No.217【大英帝国の萌芽】 https://note.mu/1minute_history/n/nea455b4b94f1 No.218【大英帝国の動揺】 https://note.mu/1minute_history/n/n19ecb2d08dfb No.219【大英帝国の絶頂】 https://note.mu/1min

#0237【悪人は救われる。ましてや善人は(親鸞、鎌倉新仏教)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は極楽浄土や阿弥陀如来に関する全体像について触れ、前回は浄土宗の法然を取り上げました。 前回:No.236【法然】 今回は法然の弟子で、彼の考えから一部独自路線を歩み浄土真宗を立ち上げた親鸞(しんらん)を紹介します。 親鸞は、1173年に下級貴族の子として京都に生まれますが9歳のときに比叡山にて出家します。 青年時代は雑務をこなしながら「不断念仏」という念仏をひたすら唱えるという下級僧侶として修業を重ねます。 12

#0236【真心こそが(法然、鎌倉新仏教)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前回、極楽浄土や阿弥陀如来に関する全体像について触れました。 前回:No.235【阿弥陀如来と念仏】 今回は、浄土宗の開祖である法然(ほうねん)に着目していきます。 法然の出自は、どうやら下級武士だったようです。幼い頃に土地争いで父が殺されてしまいますが、父は法然に仇討ちよりも出家して父の菩提を弔ってほしいとお願いされました。 法然は、比叡山延暦寺におもむき、出家して修行を積んでいきます。 当時の比叡山は最澄が開山して

#0235【阿弥陀如来と念仏(鎌倉新仏教)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は日本史通史シリーズにおいて取り上げた鎌倉新仏教の中でも念仏に注目したいです。 No.164【鎌倉新仏教の興隆】 今回は、浄土宗を開いた法然(ほうねん)とその弟子であり浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)の二人を取り上げます。 法然は水曜日に、親鸞は金曜日に個別にお話ししますが、まずは二人の教えの根幹たる「阿弥陀如来と念仏」について解説します。 浄土宗も浄土真宗も、極楽浄土にいる阿弥陀如来を信仰する点では同じです。 そ

#0234【古代ギリシアの民主政と衆愚政治(世界史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は古代ギリシアの歴史をみています。 前回: No.233【ペロポネソス戦争】 前回の最後に古代ギリシア人は北方にいたマケドニアに敗れて支配されることになったと語りました。そのマケドニアからアレクサンドロス(アレキサンダー)大王が出てくるのですが、その話はまた別途します。 今回は、なぜアテネが古代ギリシアの盟主の座から落ちてしまったのか。その原因について考察します。 アテネの政治の特徴は、直接民主制です。アテネ市民は議員

#0233【ペロポネソス戦争(古代ギリシア、世界史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。前回は古代ギリシア文化の全体像について触れました。 今回はNo.186【ペルシア戦争】の続きです。 BC479年にプラタイアの陸上戦で、アテネ・スパルタ連合軍がペルシアを倒すと、ペルシアはギリシアから撤退します。 ペルシアは現在のイラン・イラク・トルコ・エジプトを領有していた大帝国でした。ギリシアは戦争に勝利したとはいえ、油断すると再びペルシアが攻めてくる可能性が秘められていました。 そのため、ペルシアが攻めてきたときの備え

#0232【人間中心の古代ギリシア文化(世界史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は噛み砕いて解説する世界史シリーズです。 現代にも色濃く影響を残している古代ギリシア文化について取り上げます。 学生時代に歴史が好きだった方でも「文化史」となると、あまり得意ではなかったかもしれません。 出来事や人物には、前後関係や因果関係、流れが存在するため一度コツを掴むと理解が早く進むケースがあります。 「文化史」と単品として取り上げると下手すると単語の羅列、しかも世界史の場合は、人名がカタカナで馴染みがなく覚え

#0231【遠く異国の地へ(旧約聖書、ヨセフ、エジプトに売られる)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、旧約聖書の物語シリーズをお送りします。 前回の【No.230:埋らない兄弟の溝と怒りの行動(旧約聖書、ヨセフの受難)】の続きです。 ヤコブの長男ルベンは、ヨセフの命を奪う必要はないと主張しました。 ヨセフの兄たちは、ヨセフが着ていた父ヤコブから特別に仕立ててもらった裾の長い晴れ着をはぎ取ります。 そして、ヨセフを捕らえて穴に投げ込みました。 <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <その穴は空っぽで水はあ

#0230【埋らない兄弟の溝と怒りの行動(旧約聖書、ヨセフの受難)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は、旧約聖書の物語シリーズをお送りします。 前回の【No.229:繰り返される父の偏愛と兄弟の争い(旧約聖書、ヨセフの夢)】の続きです。 兄たちが自分にひれ伏すという夢を見たと語ったヨセフ。 しかも一度のみならず、二度もそういった夢を見たと語るのです。 更に二度目の夢では、兄たちだけでなく彼の両親すらもひれ伏すと告げました。 元々、父ヤコブのヨセフに対する偏愛に嫉妬していた兄たちは、この話を聞くとますますヨセフに対して

#0229【繰り返される父の偏愛と兄弟の争い(旧約聖書、ヨセフの夢)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は、旧約聖書の物語シリーズをお送りします。 前回の【No.213:終わりは新たな始まり(旧約聖書、ラケルの死とイサクの死)】の続きです。 イサクの息子ヤコブには12人の息子がいました。ヤコブの妻であるレアとラケルの姉妹に8人。ラケルの召使いビルハとの間に2人。レアの召使いジルパとの間に2人です。 ヤコブは最も愛したラケルとの間に生まれたヨセフを特に可愛がります。 <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <ヤコブは

#0228【南北合一と足利義満(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 日本史は、鎌倉幕府の崩壊から建武新政の誕生と瓦解、そして南北朝の動乱目まぐるしい時代を迎えてきました。 (前回:No.227【妥協の産物、室町幕府(日本史通史)】) 背景には、武士と貴族の対立だけでなく実力主義の横行による権威やモラルの瓦解といったものも大きかったと感じます。 南朝と北朝それぞれ、自分たちに都合の良い天皇を担ぎ上げることで正統性を担保していました。そのため、実力者たちは権威は自分たちで作り上げることができ

#0227【妥協の産物、室町幕府(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の通史シリーズですが、しばらく主役を張っていた後醍醐天皇が1339年に吉野で死去します。 (前回:No.226【南北朝時代、凋落する権威とモラル(日本史通史)】) 息子に天皇位を譲ったのは死の前日。 死にあたっては、左手に法華経第五巻、右手に剣を持ち「玉骨(天皇の遺体、ここでは後醍醐をさす)はたとえ南山の苔に埋るとも魂魄は常に北闕(ほっけつ、北方の宮城、ここでは京都のこと)天を望みたい」と遺言を残しました。 (太平記の

#0226【南北朝時代、凋落する権威とモラル(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の通史シリーズです。 遂に後醍醐天皇を中心とした建武政権は、崩壊します。足利尊氏が京の都に攻め込んだことで、後醍醐天皇は比叡山へと逃れます。 (前回No.216【理念先行・現実無視の結果(建武新政の崩壊、日本史通史)】) 尊氏が京都を占領したものの、当時の京都は日本を代表する都市であり、人口密集地。生産拠点ではなく消費地であるため、大勢の軍隊を養うだけの食べ物がありません。 京都は盆地であるため、包囲されてしま