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朝告鳥

あの頃の神社の縁日にはお面やら綿菓子などの定番物の出店に混じって、生きているひよこを売っている屋台があった。


朧気な記憶に残るのは父の肩辺りに抱っこされた幼い自分の目線で、見下ろした狭い台の上には段ボールのような箱が二つ、三つ、あったのだったか。

店のおじさんがフタを開けてみせる。父の腕から乗り出して覗き込むと、薄く黄色い団子みたいに小さくて丸っこい頭がひしめきあっていて、どれもこれもがぴよぴよぴよぴよと鳴いていた。何十羽にも思えたが、狭い屋台の狭い箱の中に小さいヒナが押し込まれていたのだ。

一羽だけを連れ帰り、紙袋から家の畳の上に出された淡い黄色のひよこは、こわごわ 伸ばした私の両手の中に収まるくらいの温もりしかなかった。痩せていたのだろう。その鳴き声は出店の先にいたときよりも随分と大人しいものだった。


ひよこは長生きしなかった。

長生きどころか三日もすれば死んでしまい、一週間ももたなかった。

縁日の度にせがんではなんとか買ってもらうのだけれど、どの子もみんなすぐ死んだ。縁日の都度繰り返し、家の隣の空き地にはちいちゃいお墓が増えていった。

出店のひよこの短い寿命はうちに限ったわけではなく、隣のやっちゃんが買ってもらったのも、仲良しのみいちゃんのも、向かいの健太のところのだって、みんな同じようなものだった。 雌は弱くてもうまく育てば卵を産むようになるかもしれないが、雄の弱いのは役に立たないから出店で売られるのだ、と大人は言った。 


今ではすっかり見かけなくなってしまったが、いつ頃まで出店で売られていたのだろう。 

どうせ長生きしないのだからと、どんなに頼んでも父が買ってくれなくなってしまった頃、色つきのひよこが出店に並び始めた。 赤やら青やら緑やらに彩色されたのが黄色に混じって売られるようになったのだ。羽に着色しただけのお粗末なものだったが、いやその頃も実は頭の奥ではわかっていたような気もするが、どう考えても怪しげな色の羽のひよこが内心とっても欲しかった。色つきのひよこなら特別で、長生きするかもしれないのに。けれども父は頑なに首を縦には振らなかったし、やがて 私も諦めてしまった。誰に聞いたのかは思い出せないが、色つきひよこの羽の色はすぐに抜けてしまったらしい。 ひよこは、その羽の色がもともとの黄色に戻るまでの長さ分は生きていたというのだろうか。 それはどのくらいの間だったのだろう。それでも、やっぱり色つきのひよこも大人にならずにみんな死んでしまったらしい。

やがて我が家は引っ越した。

路線バスで終点近くまで行った方にある、新興住宅地と呼ばれる町で、その学区には団地が沢山連なっていた。 小学校の校舎も四階建てで、それでも足りずに新しく校舎が建てられていた。団地住まいの子供が多く、校庭での遊びも、帰宅後の過ごし方も、今までとは随分異なっていた。地図の上での距離はそんなに離れてもいないのに、まるで文化が違っていた。

近所のお姉ちゃんたちが作ってくれた竹藪の秘密基地はもちろんだが、春になるとお姫さまごっこが出来るほどに可愛らしい濃い色合いの八重を咲かす桜の木もなければ、皆で鬼ごっこした柿の木畑もない代わりに、マムシや野犬の心配も無用になった。土地に根ざした神社などは見当たらず、縁日といえば子供会や町内会、或いは商店街の主催で行われていて、私にとっての祭りや出店は一挙に遠くなってしまった。


何年かして、母と出かけた折に偶然やっちゃんのおばさんに会った。おばさんと母との会話で、健太のうちのニワトリが毎日朝から喉を張り上げて、少しばかり厄介だ、というのが聞こえてきた。

うちが引っ越した後に、健太の弟のたっちゃんがいつかの縁日で買ってきたひよこが大きくなってトサカがはえ、ちゃんとニワトリになったのだそうだ。


たっちゃんのひよこが大きくなってコケコッコーと鳴いている。 何色のひよこかは知らないけれど、ニワトリになって鳴いているのだ。

 私も心の中で、大きな声でコケコッコーと叫んだ。



***しばらく離れていたnoteに戻るきっかけをくれたささかまさん。ささかまさんのこの記事を読んで、noteを始める前に書いた今回のお話を思い出しました。

色んな意味でとっても面白い実話です…


☆☆☆見出し画像はみんなのフォトギャラリーより、haru-s様の作品『ヒヨコと女の子』を拝借しております。ありがとうございます☺️😊☺️☆☆☆☆☆




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