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エッセイ:兄の話

「きょうだい児」という言葉をご存知だろうか。最近は知っている人も多いと思う。ひとことで言えば、「障がいや病気を抱えるきょうだいをもつ子ども(成人済みも含む)」という意味だ。

 すでに他界している私の兄は、小児がんだった。
 だから、少なくとも兄が闘病していた数年間は私も「きょうだい児」だったのだと思う。今は「元きょうだい児」というべきか。自分が「きょうだい児」を名乗って良いものなのかよくわからない。

 ある日突然兄が入院して、私は「きょうだい児」になった。中学生くらいだったと思う。当時はまだ「きょうだい児」という言葉を知らなかった。
 ネットで「きょうだい児」という言葉を調べてみると、苦労しているとか、アダルトチルドレンだとか、そういうワードがよく出てくる。
 私はどうだろう。
 まったく苦労がなかったというわけではないけれど。頭も察しも悪く、先を見通す力もない私は、たぶん、それほど事の重大さを理解していなかった。何なら兄はいつかすっかり治るものだと思っていた。よくわからないままふわっと「きょうだい児」になって、そのままふわっと「元きょうだい児」になった。
 生まれた時から、幼い時から「きょうだい児」という方たちとは、そういったところで違うのかもしれない。そして、それが自分を「きょうだい児」と名乗って良いのかわからない、というところの大きな理由なのだと思う。

 中学時代、高校時代は、ほとんど兄のことを人に話さなかった。母親からあまり人に話さないように言われていたからだ。今思えば、それは「誰にも言うな」という意味ではなく、自分を守るためにも「必要ないことを、必要ない相手に言うな」という意味だったのだとわかるのだが、何せ私は頭と察しが悪い。言葉通りに受け取ってとりあえず誰にも言わないようにしていた。正直に言ってしまうと、話をするような友だちもいなかったのだが。
 大学時代は、当時の恋人と仲良くしていたサークルの先輩だけには話をした。これがまずかった。
 大学生になり、人生初の恋人ができ、いずれは結婚も、等という呆れた妄想をしていた私は、兄のことは話しておかなければならないと思った。しかし、兄の話をすると恋人はひどく怒って「なんで今そんな話するの!?」と言ったのである。確かに、ドライブデートの真っ最中にする話ではなかったのかもしれない。これは私が悪い。
 その次に付き合った恋人にも、同じ思考回路で話をした。するとその恋人はぽろぽろと涙を流しながら「悲しくなるから、もう二度とその話はしないで」と言った。私は「どうして会ったこともない人間に対して涙を流せるのだろう」と思った。そんなに悲しいトーンで話したつもりもなかったのにな。とても優しい人だった。
 サークルの先輩には、酔った勢いで話した。いろいろとメンタルを拗らせていた時期で、誰かに聞いてもらいたかったのだと思う。先輩もだいぶ酔っていて、それが影響していたかはわからないけれど「でもそれも良い経験じゃん」と言っていた。まあ、レアな経験といえばそうだが、しなくて良いならできればしたくない経験でもある。
 そういう出来事からなんとなく「兄の話は誰にでもするもんじゃないな」と思って、言って良い相手かどうかは慎重に考えるようになった。今でも「きょうだいは何人いますか?」という質問が苦手だ。どう答えるのが正解なのか、わからない。言わなくて良い相手には、できるだけ兄のことは言いたくない。隠したいとか、なかったことにしたい、というわけではなく、変な空気になったら嫌だな、と思うのだ。単純に私と距離を縮めるためにそういう質問をしてくれた人に対し、「実は…、」と話し始めるのはなんだか申し訳ない。しかし、兄のことを含めずに答えるのは、兄に対して申し訳ない。だって今はいなくても、ちゃんと私のきょうだいなんだから。
 それから、そういう話をしたときにどういう言葉を返してほしいのか、と言われたらそれはわからないし、結局何を言われてもしっくりこない、「自分の受け取り方の問題」という現実に目を向けるのが億劫だ、というのも理由である。
 単純に、私のワガママなのだ。

 私が感じているだけかもしれないが、ドラマやドキュメンタリー番組の影響か、世の中には「家族に重い病気の人がいると、医療関係者を目指すのが美しい」というような風潮がある気がする。「僕がお兄ちゃんの病気を治すんだ!」「私が病気を治す薬を開発する!」という。もしくはモブか邪魔者。子どもの病気に頭を悩ませる親に対して、健康なきょうだいがワガママを言って困らせるシーンを見たことがある人は少なくないのでは。
 勉強ができないうえに性格も良くない私が医学の道に進めるはずもなく、でも多少は関係した仕事を目指さなくてはならないのではないか、と、進路を決める際は悩んだ記憶がある。まったく無関係な道を選んではいけないと思い込んでいた。誰かに言われたわけでもないのに。
 結局のところ中途半端に福祉に片足を突っ込んだり、柄でもないのにボランティアをしたりと、なかなかに迷走した大学時代を過ごした。そして、いろいろな「きょうだい児」に出会った。
 その頃くらいからだろうか。
 私が自分を「きょうだい児の悪い例」だと思うようになったのは。

 堂々ときょうだいの存在を話している人。
 胸を張って「私はきょうだいが○○だから、△△を目指している」という人。
 こういう社会にしたい、と夢を描いている人。
 みんな、キラキラしていた。
 そもそも医療関係の仕事を目指してすらいない、という状況に不必要な罪悪感を抱いていたなかで、キラキラした「きょうだい児」たちを目の当たりにして、私はますます兄の話をしなくなった。しなくなったというか、できなかった。
 宙ぶらりんな気持ちでいる自分が、間違っているように感じたから。
 みんなのように夢を持つべきだと思っていたから。
 自分は「きょうだい児の悪い例」なのだと思ったから。

 そんなことはないはずだと頭ではわかっているけれど、自分が悪い例だという罪悪感は拭えない。たぶん、一生。誰のせいでも、社会のせいでもなく、自分の問題である。とことん付き合っていくつもりだ。

 そういう罪悪感を含め、兄に関することについてはいろいろな思いを抱えている。良いものも、そうでないものも。いつか、そんな秘めた思いを話す機会があるだろう、聴いてくれる人に出会えるだろう、と思って過ごしてきた。
 しかし、相変わらず友だちも恋人もいない人生。
 お、これはもしかしたら、誰にも話せずに終わってしまうかもしれない!という危機感をようやく抱き始めた。おそらくこういう「きょうだい児」のコミュニティを探せばないわけでもないだろうが、そこでまたキラキラした人たちを目の当たりにするのも辛い。
 
 だから、ひっそりと書くことにした。
 世の中には、こういう「きょうだい児の悪い例」みたいな人間も、こっそり生きていますよ、という話です。




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