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初めて入院したときの2泊3日。

    本当に周囲の光景がぐるぐると回っていた
    それが止まらない。

 立てなかった。
 気持ちが悪くて、吐きそうだった。

 こんなことがあるんだ。

 もう10年くらい前のことだけど、その時の気持ちは、覚えている。

電話

 もうダメかもしれない。

 とっさに思ったのは、脳の異常で、どこかの血管が破れて、この状態になっているのだと思い、ここで死ぬのは、とても無念だった。

 こういう運動機能に影響があるのは、小脳かもしれない。

 それでも、今日は約束もあったので、妻にお願いをして、何ヶ所かに電話をしてもらい、それと同時に救急車を呼んでほしい、とも伝える。

 119番の前に、違う番号にかけて、何かをしゃべっているのを遠くで聞いて、それでも、結局は、救急車を呼んでくれたらしい。

 立てなかった。
 天井がぐるぐるぐるぐる回る。
 気持ちが悪い。

 それでも、なんとか2階から1階へは降りた。

 救急隊員に来てもらっても、一人の人間をこの昔ながらの急な階段を下ろすのは、とても難しいと思ったからだ。

 ぐるぐる回っている。

救急車

 このあたりからの時間と記憶の感覚はかなりおかしくなっている。

 知らないうちに、救急車が来て、そこに乗せられていた。

 まだぐるぐるしている。
 気持ちが悪い。

 自分が横になっているはずで、上から何人もの人にのぞきこまれているのはわかる。
 それで、何人もが、「脳ですね」と言っているのは聞こえる。

 ああ、やっぱりダメかもしれない。微妙に悲しくなった。
 何もしていないうちに死ぬのか。
 義母の介護はまだ続いているから、妻ばっかりに負担をかけて申し訳ない。

 そんなことを思っていたはずだけど、何しろ、ぐるぐる回るし、気持ちが悪い。

 あまり覚えていないのだけど、その時は「寒い」を連発していたと、後で妻に聞いた。

 救急車の中で、あちこちに電話をして、問い合わせをしてくれていたらしい。なかなか、決まらない。そこで、家の前の救急車の中にいて、どのくらいの時間が経ったのか、覚えていない。


 ただ、聞き覚えのない病院名が妻に伝えられていて、そして、妻が同乗を求められていたが、義母に介護が必要で、誰かが家にいなくてはいけない

 だから、私も妻には家にいて欲しかったから、そんな意思を伝えたかどうかは覚えていないが、何しろ、財布と保険証は持って行かないといけないと思って、そんなようなことを伝えて、妻に持ってきてもらい、横になったまま、自分のお腹の上に置き、両手で支えた。

 ラッコみたいだと思っていた。

病院

 救急車は出発する。

 見送りながら、妻がすごく心配そうな顔をしているのは、分かった。

 大丈夫だから、といったことを伝えようとしたけれど、伝わったかどうかは分からない。

 完全に横になって、クルマに乗ることはほとんどない。
 まだ回っている。
 救急車が走って、曲がるたびに、頭も揺れて、気持ち悪さが増し、辛くなる。

 お腹の上の、保険証も入った財布を落とさないように、両手に少しだけ力を入れる。

 何度も、曲がって、その度に、気持ち悪くなって、そのうちに病院に着いた。

 初めての病院だった。

 外観は大きく、きれいだった。

検査

 気がついたら、ざわざわして、他にも患者らしき人が何人もいる場所にいた。

 目の前に医師がいた。
 キリッとしたいわゆるイケメンだった。

 近寄ってきて、言葉をかけられる。

気持ち悪いと思いますが、上半身を起こしてください」。

 本当にぐるぐるしていて、辛かったが、その言葉には従わないといけない気がして、体を起こし、やっぱりとても気持ち悪かった。

 そのあとに、検査を受けた。

 まずCT。

脳の中に大きな出血などはないようで、異常ないですね、次は、MRIです」。

 テキパキと、必要最小限の言葉だけを医師に言われ、その指示に従うしかなかったし、すごく従わせる力があった。というより、この場所では、患者は何の力もない。

 そこから、検査もしたと思うし、時間もかかったと思うのだけど、なんだかあっという間に終わったような記憶しかない。

「異常はないですね。あとは、血液検査や、耳鼻咽喉科でも調べてもらってください」。

 イケメンの(たぶん)脳外科医が、早口で指示をしてくれる。

 心房細動の発作を起こしたのが、その10年ほど前だった。

 その時は、左の視野が少し欠けて、怖かったけれど、それは数時間で治った。
 幸いにも後遺症はないままだったけれど、どこかの血管が詰まってしまっているかも、という不安はあったので、今回、MRIも受けることができて、それはよかった。

血液検査

 だけど、まだグルグルしていたし、気持ちも悪く、歩けなかった。

 財布を持ったまま、車イスで移動をし、血液検査を受ける。

 目の前の看護師は、「左手を出してください。血液をとります。血管が細くて、とるのがうまくいかない場合、もう一度取ることになりますが、よっぽど下手な場合だけです」みたいなことを言ったので、この人は大丈夫だろう、と思った。

 ゴム管のようなものを巻いて、「こぶしを握ったままの姿勢をとってください」と言われ、だけど、血管が細いらしく、なんだか探している姿になったので、不安になった。

 それでも、注射をさして、血液をとった。

 少し経って、なんでだか、「ごめんなさい、もう一度お願いします」と言われ、また血液をとられた。

 それで何が起こっているのかは分からなかったけれど、でも、ふらふらしているし、ぐるぐるしているし、言いなりになるしかなく、しかも、当たり前だけど、元気はないので、言葉と行動の一致していない感じとか、どうしてまたとられるのかを、普段なら尋ねるけれど、その気力もなかった。

 とにかく、そこで一応、血液の検査に必要なことは終わったので、次に移動をした。

 血液を2度とった看護師が車イスを押してくれた。

 かなりのスピードで、移動をして、カーブを曲がる。
 体も頭も、振られて、気持ちが悪くなる。

「ちょっと気持ち悪いです」。

 そう伝えたら、看護師は、「どうしてでしょうね?」と答えが返ってきたけれど、血液を多めに抜かれたせいと、今の車イスのカーブで体にかかるGのせいだと言いたかったけれど、もちろん言えなかった。

耳鼻咽喉科

 もう夕方で、耳鼻咽喉科は終わりそうだったけれど、診察をしてくれた。

 さまざまな検査をして、めまいがある場合の症状を説明してくれて、さらに時間が経ったのだけど、結局は、なんともなかった。

 どうしてあんなにめまいが強くて、今もグルグルしていて、気持ちが悪いのか。その原因が分からなかった。

 耳鼻科の医師には、「脳も異常がないとしたら、なんでしょうかね。おそらくは、過労とストレスかもしれませんね」と、いうような話をされた。

 何も異常がないのに、こんなに調子が悪いのは、怖い半面、こんなにあれこれ検査をしたのは、初めてだから、ちょっと安心はしていた。

 だけど、最初は具合が悪かったし、まだグルグルしているのも事実なので、今日は入院することが決まった。

トイレ

 個室に入院することになる。
 値段が気になる。

 看護師さんがきてくれる。

夜中にトイレに行く時は、必ずナースコールを押してください」。

 それは、まだグルグルしているし、「めまいを起こしているので、転ぶことが怖いので、迷惑と思わず、呼んでください」と、若い看護師の女性がテキパキと教えてくれた。

 夜になった。

 点滴をつけたまま眠るのは、眠りにくい。

 少し寝た。トイレに行きたくなる。ナースコールを押す。

 呼んでください、と教えてくれた看護師が来た。

「すみません。お願いします」。

 当たり前だけど、手を貸してくれるというのではなく、転倒しそうな時に支えられる距離でそばに付き添って歩いてくれる。

 トイレに入る。

 当然だけど、個室に入ってくれるわけではなく、外で待機して、何かあったら対応してくれるという状態を作ってくれていた。

 なんだか緊張したが、おかげで無事にベッドに戻り、基本的に頻尿なので、それから、あと2度ほどトイレに行きたくなり、夜中なほど申し訳ない気持ちになったものの、呼ばないで転倒したら、返って迷惑をかけてしまう、と言い聞かせて、ナースコールを押した。

 なんだか、毎回、緊張した。

 無事に朝を迎えられた。

説明

 どこも悪くありませんと言われながらも、原因がわかりません、という言葉もあったし、同時に、まだめまいは止まっていなかったし、気持ちも悪かったのだけど、翌日は、「もう退院しても大丈夫ですが、どうしますか?」と言われた。

 午前中に、妻が面会に来てくれる。

 昨日は、夜中は義母の介護を私がしているのに、妻が代わりにしてくれて、それで疲れもあるだろうに、ありがたかった。

 一緒に、脳外科医の説明を聞くことになる。

「先生がきますから」と言われていて、病室にいたら、最初に会ったイケメンの若く見える医師がやってきて、「説明しますので」と言われ、廊下に出て、後をついていてく。

 ものすごい早足。

 ついていくのがやっと。見失いそうになりながら、その診察室について、「歩くのが、とても早いですね」と言ったら、意外そうな顔をされた。

 ずっと一刻を争っているから、本人にとっては日常的で普通のことになっているようだった。

 それから、画像を前に、妻と私に説明をしてくれる。

 血液も異常がなかったこと。だから、退院しても大丈夫なこと。それに、脳に向かう動脈が右に曲がっていることを指摘され、カーブがきついから動脈硬化を起こしやすく、今も年齢の割に血管が硬くなっていると思います。

 そんな怖い話を淡々と教えてくれる。

「酒もタバコもしないようにしてますが」。
「そうですか、じゃあ、引き続き、生活に気をつけてください」。

 何か、他に方法があるのかと思ったら、それだけで会話が終わる。

 
 昨日は妻にみてもらったが、ケアマネに連絡をしたら、急きょ、義母をショートステイに入れてくれることになった、と知って、それならば、今日は戻らなくていいので、妻と相談して、「まだ気持ちも悪いので、もう1日いいでしょうか」と聞いたら、「わかりました、じゃあ、そうします」と事務的な言葉が返ってきて、もう1日いることになった。

 病室は移る。

 4人部屋のはずだけど、あとは2人しかいないようだった。

 部屋を移るところまで妻に手伝ってもらい、昨日はいつもと違って、夜中まで介護をしてくれたので、妻も疲れていると思い、それで帰って休んでもらうことにした。

病室

 私以外は、二人しかいないようだったが、入室した時には、誰もいなかった。

 途中から、明らかに私よりも年上の、初老といっていい男性が来た。同室なので、よろしくお願いしますと、あいさつをしたら、おお、みたいな返事だった。

 その男性は、なぜ入院したか分からないくらい元気そうで、病室にいないことも多かった。病室にいるときは、ベッドに座って、「携帯使用禁止」の文字がある下で、携帯で大きな声で話をしていた。

 その後、女性がやってきて、また病室を出ていった。


 私の隣にも、患者さんがいたようだった。

 ただ、カーテンをきっちりと閉めて、ほとんど音もしないし、気配も薄い。

 不思議だった。

 隣の人は、トイレでもどこでもベッドから離れるたびに、物音がして、それは、どうやらそれぞれのベッドのそばにある小さい金庫のようなものを使っているみたいだった。そのうちに、何か音がした。カーテンの小さい隙間から、中で、何かが舞っているのは少し分かった。

 そのあとに外出をしたようだったけれど、掃除のスタッフが来たので、隣のベッドが見えたら、羽がたくさん散乱しているようだった。さっきの音は、枕を引き裂いていたのだろうか。

 怖かった。
 早く退院したいと思った。

 夜になって、隣の人が何かを叩く音がした。それがおさまったら、携帯の男性のいびきが聞こえてきた。そのあとに、せきが聞こえてきた。

 結局午前4時頃まで眠れなかった。

 それは、介護をしている毎日と、同じような生活のリズムだった。

退院

 生まれて初めて入院をした。

 妻には、とても心配をかけたし、その頃通っていた学校は休むことになったし、入院した日には、妻のお姉さんも家に来てくれた。義母には急きょショートステイに入ってもらうことになったし、ケアマネージャーにも負担をかけたし、いろいろな人に迷惑がかかってしまった。

 それでも、救急車に乗っている時には、家に戻ってこれないと思っていたので、原因は分からないままだけど、3日入院して、なんとか回復して戻ってこられて、よかった。

 生きていられるのは、やっぱりありがたかった。


 その後、幸いにも入院するほどのこともなく、暮らしてこれている。





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