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東京駅の「銅像」に、複雑な歴史があることを知らなかった。

 東京駅に久しぶりに行った時に、随分と整備され、広がりも感じ、きれいになったと思った。同時に、それまで記憶になかった銅像があって、かなり立派なもので、その男性について誰なのかも分からなかった。

「鉄道の父」と言われる存在

 ただ、この人が誰なのか、については、検索するとすぐに分かった。

「日本の“鉄道の父”と呼ばれるほどの偉人です」

 鉄道マニア、模型作りでは内外から高い評価を受ける新保(しんぼ)正樹さん(57)が語る。

(「デイリー新潮」より)

 歴史家といった人ではなく、鉄道マニアの人に語ってもらうことに独特さを感じたものの、確かに「鉄道」に関する話であれば、こうした人選は的確なのかもしれない。

ロンドン大学で鉱山・土木工学を修めて明治元年に帰国。新政府に出仕して鉄道庁長官まで務めた“鉄道一筋”の人である。

(「デイリー新潮」より)

 それならば、東京駅にあるのも意味はあるのかと思い、納得するような気持ちにもなったけれど、なんとなく引っ掛かりが残ったのは、もう一つの銅像の存在だった。

「愛」の銅像

 このブログで初めて知ったのだけど、東京駅の丸の内口には、もう一つの銅像があった。この井上勝像を見つけたときにも、この辺りは、うろうろと歩いたのだから、確かに目には入っていたはずだったのだけど、記憶に残っていなかった。

東京駅丸の内駅前広場の丸ビル前あたりに、手を広げた男性の銅像で、「」と記されています。

(「丸の内を愛する会」より)

 ただ、それだけで他には何の説明もないため、「井上勝」像よりも、その意味は分かりにくいが、このブログでは続けて、この像の意味も、NHKのサイトから引用してくれている(この引用元はすでに、削除されているようだった)。

この像、中国、フィリピンそれに東京・巣鴨などで戦争犯罪に関わったとして捕らえられ、亡くなった人たちの関係者や遺族が、昭和30年に平和を祈って丸の内側に建てたものです。

引用元:「丸の内駅前広場と『愛の像』」(ここに注目!) | おはよう日本 「ここに注目!」 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室

東京駅は戦時中、多くの兵士が戦地へと出征した場所でもあります。説明のないこの像には、実は、二度と犠牲を繰り返さないでほしいという関係者の深い願いが込められているのです。

引用元:「丸の内駅前広場と『愛の像』」(ここに注目!)|おはよう日本「ここに注目!」|解説アーカイブス| NHK解説委員室

 この「愛の像」は、複雑な意味があるのは分かった。
 だから、少し前から気になっていた本を読もうと思った。

「近代を彫刻/超克する」  小田原のどか

 以前から、公共空間の彫刻に関しては、自分が思った以上に気になっていたことを、この本を読んで、改めて分かったし、彫刻は、ずっと公共空間に存在するだけに、やはり重い思惑があることを確認できたような気がした。著者自身が、現代という時代に彫刻も作るアーティストだけに、言葉にリアリティが増しているように思った。

 それでも、その彫刻の歴史も、恥ずかしながら、きちんと知ったのも初めてだった。

公共彫刻は、それが制度として導入された一九世紀末から一九四〇年代までの日本社会においては、「偉人」の像容を利用した国民的記念碑に他ならなかった。

一八九三年の大村益次郎建立から数十年のあいだに、世界で最も銅像の多い都と言われるまでになった。 

彫像が林立し設置の最盛期を迎えるようになると、置かれる場所と彫像とのかかわりを見出すことのできないものが多く見られるようになった。国民学校の校庭に置かれた二宮金次郎(二宮尊徳)像、楠木正成像などがその一例である。楠木と二宮の銅像は大量につくられ、大日本帝国が統治した海外の国にも教化のために置かれた。彫像は、この国が軍国主義の色を強めていくにつれて、石碑の系譜の延長上にある慰霊碑や碑としての存在から、国家有用のディスプレイとして教化の道具と化していった。

 しかし、その後、戦中の金属回収のために彫像も供出されることになり、戦後の体制の変化によって、そのまま、失われることも少なくないようだった。

美術史家、平瀬礼太の調査によれば、日本全国の五六一三の記念碑のうち、戦後一〇年間に三五四の彫像が撤去され、八九〇の記念碑と二九の彫像の外観が変更され、あるいは銘が変更されたという。金属回収と占領下での撤去の流れを乗り切り、あるいは再建を果たした像もあったが、多くは失われるに至る。そのようにして空の台座が残されることになった。

 そして、そこには違う彫像が据えられることになった。

その空白を満たした「かわりの像」は、平和という名の女性裸体像だった。

戦時はミリタリズムの本拠であった東京・三宅坂に、皇居に向かって手を振るように立つ《平和の群像》という名の三人の女性裸体像がある。《平和の群像》は、軍閥の威光を顕彰する軍人・寺内元帥の銅像が据えられていた台座を再利用し、戦後に誕生した「かわりの像」の代表的事例である。 

 ただ、戦前戦時の彫像も、戦後の平和の裸像も、意味としては全く同じと著者は言い切っている。

軍国主義が台頭した戦中に民衆教化に用いられた銅像も、敗戦後に旧体制からの脱皮と「新しい日本」が重ねられた平和の裸婦像も、体制の宣伝装置としての彫刻をいたるところに建立させる現象と見ればまったく同質である。 

 つまり、公共空間にある銅像は、政治的な意味から逃れることは難しい、ということは、わかったような気がした。

「井上勝像」

 そうであれば、東京駅という、全ての路線の象徴的な「頂点」とも言える公共の駅前にある銅像に、意味がないと考える方が不自然になる。

 明治維新は薩長連合によって達成されたのだから、長州(山口県)出身者が、明治以降の政治の中枢にいる確率は高い。そして、井上勝は、日本の初代の首相でもある伊藤博文を含む「長州ファイブ」のうちの一人でもあるのだから、「偉人」の一人として銅像になっているのだと思う。

「長州ファイブ」は、井上以外も、それぞれ「内閣の父」、「外交の父」、「工業の父」、「造幣の父」と称されているので、それを聞くだけで、明治以降の国の基礎のような部分に関係しているのだから、それぞれ銅像があってもおかしくない。

 そして、その中で、井上勝は、「鉄道の父」と言われるのだから、東京駅前に設置されているのも、自然かもしれない、と思わされる。

「井上勝像」の歴史

 このブログは、都内の慰霊碑・記念碑・銅像などについて、詳しく書かれているのだけど、当然、井上勝像にも、触れている。

1914年(大正3年)に、本山白雲(代表作は坂本龍馬像)の原型制作により東京駅丸の内側の駅前広場に銅像が設置。
しかし戦時中の金属供出に伴い撤去。
のち井上勝の没後50年を機に、1959年に朝倉文夫の制作により再建。

その後工事での一時撤去もありながら、1987年からは東京駅正面から皇居を向く形で立ち2007年には東京駅復元工事に際し一時撤去され、2017年12月7日の駅前広場リニューアルに伴い初代像の位置に近い駅前広場の北西端から駅舎中央を向く形で再設置された。

 この銅像は戦前に建てられ、戦中には「金属供出」によって撤去されている。そうした出来事に関しては、小田原のどかが「近代を彫刻/超克する」の中で、そうした銅像は、占領下を乗り越え、復活することは少なかったと述べている。

 そうであれば、井上勝像が、新しく製作されるというような形で、復活できたのは、井上勝が亡くなったのは明治時代であって、昭和の時代の戦争に関わることが難しかったせいもあるはずだった。

 ただ、このブログによって、詳細に記録されている「井上勝像」の変化も気にはなる。

 1959年に再建されもしくは、今回も10年ほど一時撤去された後に再設置された時は、その位置や方向も変えられているから、このことについても、何となく行われたわけもなく、ここには、かなりの政治的な思惑があるはずなのだけど、そこに関しては、検索だけでは知ることはできそうもないし、もしかしたら、かなり調べても分からないことかもしれない。

 ただ、東京駅前という象徴的な場所に、戦前に建立された「偉人像」が、一時撤去を挟みながらも、現在も存在するのは、思った以上に例外的なのではないか、ということは少し分かったように思う。

「愛」の像

 さらに、東京駅前のもう一つの銅像、『愛の像』は、「愛」という言葉と、それをギリシャ語で表した「アガペー」以外には、何の説明もされていないというので、何も知らなければ、それこそ、小田原のどかが「平和という名の女性裸体像」と表現した像と、それほど違わないものに見える。

 最初、この像の存在を知ったときも、そうした女性裸体像と似た存在とも思えたし、それが男性像であることに、微妙な違和感を覚えるくらいだったけれど、少し検索するだけでも、この銅像が、複雑で重い意味を秘めていることに気がつく。

 この記事と、ブログによって、「愛の像」の歴史を初めて教えてもらった。

 この像の台座には、戦犯の遺書・遺稿が納められていること。この像は、日本が法的にアメリカの占領下ではなくなってから3年後に建てられたこと。工事のために一時撤去された時は復活しないかもしれないという可能性もあったので、再設置の嘆願書まで出されたこと。


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