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ハイアー・ザンザ・サン

 ヤツは今頃、ハワイの上空だろう。

 半年前に別れた彼女から連絡が入り、先月の終わりに俺は彼女と再会を果たした。
 だが、その逢瀬は復縁の申し込みや一夜の過ちといった浪漫が絡んでくるものではなく、彼女にとって、俺との再会はただの回収作業だったのだ。こうして、半年前に計画したハワイ旅行のプランは、センターパートでイギリスと日本のハーフらしい証券マンの手に渡った。

 解体工事の現場の昼休憩中、惣菜パンをいくつか買うと俺は再び現場に戻った。
 2つ年下の後輩が先月結婚したらしく、愛妻弁当を仲間たちからイジられながらも幸せそうにつついている。俺も野次に参加してみるが、すぐに虚しくなって、埃っぽい屋内で昼食を摂ることにした。
 全身からとめどなく湧き出てくる汗で湿った作業着のポケットを探る。よせばいいのにヤツの近況ばかり見てしまう。どうやらこれからスカイダイビングに向かうらしい。忌々しい。

 現場は日暮れともに終わった。
 廃材を捨てに行き、事務所に帰り鼻をかむ。よせばいいのに、つい開いて確認してしまう。今日も今日とて黒い鼻水だった。

 次の日の現場もよく晴れていた。
 舞い上がった埃が日に透けて煌めいている。綺麗に見えだしたら、これは熱中症間近のサインだ。俺は濡れた犬のように頭を振り、清涼飲料水のペットボトルを手で潰しながら一気に飲み干すと再び作業に戻った。

 ヤツは元々、俺の友達の彼女だった。
 友達は昔から女に対して免疫がなく、ヤツによると、友達と付き合いだしてからも、あちらから誘ってくることはなかったそうだ。結局、友達は交際期間たったの1ヶ月でヤツにフラれた。
 その後すぐ、俺の部屋にいきなりヤツが転がり込んできた。おかげで俺は友達と顔を合わせづらくなり、ひねくれ屋の俺は元々友人自体が少ないため、必然的にヤツと過ごす時間が増えた。
 俺が憎まれ口を叩くと、ヤツはいつも楽しそうに笑った。逆に俺が楽しそうにしているとヤツは退屈そうだった。
 俺たちは好きな物も嫌いなものも違っていて、一致するものを挙げるならば、相手に譲れない性格をしていたことくらいだ。
 だが、俺たちは約1年半、共に過ごした。今思えばあんなに合わない女、早く別れておけばよかったと後悔している。

 現場終わり、頭領に連れてもらった安居酒屋で、頼んだ烏龍ハイが渇いた身体によく回り、俺はついヤツのこと、つまり泣き言をこぼしてしまった。すると頭領はデリヘルを奢ってくれた。

 女を待つ間、なんの気なしにスマホを手に取るとヤツからメッセージが届いていた。俺は画面を伏せた。
 少し黴臭いホテルの部屋で女に覆い被さり、腰を振っている間、俺はヤツのことばかり考えていた。どうして今更、ヤツは俺にメッセージを送ってきたのか。よせばいいのに、勝手に期待を寄せてしまうのはきっと執着なのだろう。
 話半分のようなセックスが気に入ったのだろうか、それとも今夜がただどうしようもなく寂しかったのだろうか。俺を気に入ったらしく延長料金が発生しないセックスが二度続いて、俺は名前も知らない女と朝を迎えた。
 小さな窓から旅客機が飛んでいるのが見える。それに気づいたのは女が先で、ベッドから飛び出ると女は生まれたままの姿で窓に張り付いた。そして、女は俺を急かすように手招いた。

 青白く、華奢な肩に胼胝だらけの掌を乗せて、窓を覗き込む。

 1機の旅客機が浅葱色の空に浮かんでいる。
 ヤツはあと二泊してから日本に戻ってくるはずだ。昨日はビーチをセグウェイで回ったらしい。

「わたし、ほんの数年前までキャビンアテンダントだったんです」

 きっと与太話だろう。付き合ってやるか。

「なんで、やめたんだ。勿体ない」

 俺たちは3階建てのラブホテルの最上階で、遥か上空を飛ぶ旅客機を見上げている。絶対無理だとわかってはいるが、窓を開けて手を伸ばせば掴める気がしてならない。
 やがて旅客機は俺達の視界から消え、雲の向こうに行ってしまった。もう、機影すら見えない。

「それは、憧れてる時間の尊さに、現実が追いつかなかったからだと思っています」

 夢を叶えるのは、簡単ではないと分かっている。だからこそ、憧れている人間からすれば、そこへ立った自分が見ているであろう光景は尊く、とびきり美しい。そして、その時間は女の言う通り、長ければ長いほど輝度も彩度も増してしまうのだろう。すなわち女は自分で創り上げた太陽よりも強い光に、両翼を焼かれたのだ。

「叶わない美しさもある。あんたはそう言いたいのか?」

 女が頷いて、笑う。俺は、嘘の美しさを知った。

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