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児童相談所の常連

1番上のいっちゃんと、児童相談所に行ってきた。

児童相談所というと、虐待された子を保護する場所というイメージが強いけれど、それだけやっている場所ではない。

私は、障害のある2番目のニンタを育てる過程で、何度も「このままでは虐待してしまう」という場面に追い込まれたことがあり、その都度、役所の子育て支援課的なところに相談を持ちかけるうちに、児童相談所とつながりを持つことができた。私の休憩のために、とニンタを泊まりで預かってくれたこともあり、ニンタにとっては、なじみの場所でもある。

今でも、もし何かあったらここに駆け込めば助けてもらえる、という安心感があり、非常に恩義を感じている場所だ。

私のお世話になっている児童相談所は、子供家庭センターとも呼ばれていて、私は自分がどちらの管轄でサポートを受けているのかは、実はよくわかっていない。ニンタの療育手帳はこちらで更新手続きをするので、相談事がなくとも、私達親子は用事がある。呼び分けているだけで、実体は同じなのか、そうでないのか。とにかく、「こどもとこどもを育てる人」を助けてくれる場所なんだろうな、という、ふわっとした認識で頼っている。

その児童相談所に、なぜいっちゃんと足を運ぶことになったのか。

話は数ヶ月前に遡る。我が家がしっちゃかめっちゃかなのは前からだが、2番目のニンタと3番目のミコは、まだ精神的に幼くて、全貌は見えていないと思う。しかし、一番上のいっちゃんは、もう10歳でだいたいのことはわかっている。わかっているからこそ、親の心配も幼いきょうだいの心配もしているし、そして自分もまだこどもとして不満がいっぱいある。そういう不満と不安がたまりにたまって、爆発するように、私に泣いて訴えてきたことがあった。

いつも下の二人が泣いて騒いで問題ばかり起こす。おとうさんもおかあさんも、その世話が大変過ぎておかしくなってしまった。自分もこのままおかしくなるかもしれない。怖い。不満はあるけど、おとうさんもおかあさんも大変なのはわかっているし、なのに自分は何もしてなくてつらい。

…という内容だった。

私としても、いっちゃんに負担をかけていることは自覚していたし、「そりゃそうだろうな」という内容で、「ごめん、本当にごめん」くらいしかかける言葉がなかった。(一応、おとうさんとおかあさんがおかしいのは、下の子二人のせいではなく、ただ人として未熟なせいだ、ということは申し添えた)。

すぐに私に出来ることは、親戚に相談して、たまにいっちゃんを預かってくれないか、など、いっちゃんの逃げ場所を探すことくらいしかなかった。

いっちゃんは希望通り、たまに親戚の家に泊まりに出かけて、休憩するようになったが、この社会情勢ゆえ、そう頻繁に泊まり歩くわけにもいかない。さらには再度の緊急事態宣言で、いっちゃん自ら自粛するようになった。

そして同時進行で、私はまた役所の保健師さんに相談を持ちかけていた。保健師さんは今でも時々我が家の安否確認をしに来てくれていて、その時にいっちゃんの相談もしたのだが、役所で相談した結果、やはり児童相談所で継続的にいっちゃんのケアをしていった方がいいだろう、という結論になったのだった。

いっちゃんにそのことを話すと「行ってみたい」と言うので、予約を取り、二人で出かけた。いっちゃんと私はそれぞれ別室で面談を受け、いっちゃんは月に一度こちらへ通うことに決まった。

児童相談所というところは、ニュースで聞く限り、相談案件と人手のバランスがとれておらず、激務だと言う。相談に乗ってくれる職員自ら、私に業務の実体を話してくれるわけはないが、ものすごく忙しい中に、また新たな案件を持ち込んでしまったのではないか、という罪悪感がある。

ニンタの時には、もうこれはこのまま無理心中へ走るパターンでは、と思うまでに追い詰められていたので、児童相談所の心配をする余裕もなかったのだが、今はあの時よりはマシだからこそ、の罪悪感だ。

しかし、いっちゃんにとっては、昔よりも今の方がより大きくなって、悩みは深刻になっているかもしれない。もちろん、私がいっちゃんの相談を聞くこともあるが、親に言えない悩みもあって、やはりいっちゃんには逃げ場所が必要なんだろうと、社会への申し訳なさよりも、我が子かわいさが勝った。

本当に、いっちゃんの言うように、いっちゃんがおかしくなってからでは遅いのだ。

ケアラー(家族などのケアをする人)という言葉や、きょうだい児(障害のあるきょうだいが居る人)という言葉があるが、いっちゃんはヤングケアラーであり、きょうだい児だ。

私がしっかりしていれば、この環境でも守ってやることができたのだろうが、私は私を守ることもままならず、とにかくこどもを世話して生かして、学校や保育園に通わせて、あとはこうやって外部の人に助けを求めるスピーカーとして機能しているだけの存在だ。

いっちゃんの担任の先生に「下のお子さんが小さくて、いっちゃんは我慢していることもあると思うので、少しでいいから二人きりの時間を作ってあげてください」と悪気なく言われたときには、(それつい最近、ミコの吃音の先生にも言われまして、ニンタも私を独り占めしたがるし、体一つでどうすりゃいいんですかね?)…と、心の中で思いながら、元気に「はい!」と答えてしまった

愛情は、注いでも注いでも足りない。

だから、せめて人の助けだけは呼んでくる。自分の子を家だけで育てられない私は、責められても仕方ないが、やりますやります、と口ばかりで、結局何も解決できない事の方が、罪は重いと思うからだ。

一つ、私といっちゃんが救われていると思うのは、ニンタもミコも、役所のはからいで保育園に入れてもらうことが出来て、帰宅時間が遅くなったことだと思う。今はニンタも小学生になったが、放課後等デイサービスを利用しているので、やはり帰宅は遅い。だから数年前から、一番早く帰ってくるのはいっちゃん。平日限定とはいえ、いっちゃんと私は一時間ほどふたりきりの時間があり、その間に私が宿題を見たり、話を聞いている。

いっちゃんの話をひとしきり聞いてから、私は保育園へお迎えへ行き、家の前で少しだけミコと遊び、その後、最後にニンタが放課後等デイサービスの車で送られてくる。ニンタが帰宅してからは、やはりニンタが一番手がかかるが、そうやって少しだけ、私はいっちゃんやミコとの時間を確保している。

そういう生活ができるのも全て行政や福祉サービスのおかげだが、それでもまだ、家族が皆元気に過ごすことは出来ていない。でも、それがなかった頃は、もっと悲惨だったし、助けてもらって本当によかったと思っている。

だから、罪悪感はあるものの、「あのとき助けてもらっていれば…」と後悔したくないので、今回も遠慮せずに助けてもらうことにした。

月に一度の面談で、いっちゃんの悩みが何もかも解決するとは思っていない。でも、焼け石に水でも、水があるなら、かけるしかない。

いっちゃんは、面談が終わってから「いっぱい話した。すごい笑いながら聞いてくれる人で嬉しかった」と言っていた。何の話をしたのかは知らないが、親への不満でも家の恥でも、なんでも話してきてほしい。

そして、私も、いっちゃんも、どんな手を使っても助かりたい。この生活を生き抜きたい。






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