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かわいい娘の話をします

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娘のかわいい日常をお届けします。日めくりカレンダーの絵柄のように、くるくる変わる子どもの世界を、少しでも書き留めておけたら。
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2019年5月の記事一覧

夫に、娘のお尻をぽんぽんするのをやめようと言った話

うちのかわいい娘は、天使のように自由で陽気なので、ときおり「おしりふりふり」とうたいながら踊っている。もちろん、振り付けはサザエさんの歌に登場するタマの踊り方とおんなじだ。 5歳。日本であれば、幼稚園の年長さん。 ニコニコ笑いながら、謎の尻文字を書きだす。それを、「なにやってるの」と夫がポンポンと娘のお尻を軽くたたいて通り過ぎる。 娘は、お父さんに反応してもらえたことがうれしくて、「きゃー!」と笑顔で奇声をあげる。お父さんのお尻を、叩き返すこともある(子どもは手加減しな

夫の言葉に、ついカッチーンときてしまう

夫婦を10年やっていると、相手の一言にカッチーンとくることがある(あるよね?)。 夫と二人で暮らしていたころは、平穏に生きてこれたけれど、娘が産まれてから衝突することが増えた。 とりわけ、産後3年間ぐらい(長い…)がひどかった。余裕がなくて、睡眠不足で疲れていたのも、相手の言葉にとげを感じてしまう原因だったと思う。 けれど、先週ひさびさにムカチーンときてしまったので、そのことを書いておこう。 * 娘が習い事に行きたくないと泣いた。教室まできて、さあお稽古はじまるよと

冬のはじまりの朝をきみと歩く

カーテンをあけると、デッキの上がきらきらと光っていた。 「エルサみたいになってるよ」 朝食のあと、テレビにかじりつく娘に声をかけた。 大好きなディズニー映画のプリンセスの名を出されて、娘がやってくる。 「おかあさん!お外いこう!」 勢いよく窓を開けて、デッキに飛び出した。 朝の空気が、冷たい。デッキの上の氷は、思ったよりも氷で、歩くとシャリシャリと音がした。つるつる滑るデッキを一通り楽しんだあと、娘が言った。 「おさんぽに行こうよ」 そうだね。それもいいかもし

風邪にふかれて

「子ども 風邪」 その二文字だけで、世の中の親御さんならぶるっときちゃう。 先週、いやそのもっと前から、noterのハネサエ.さんちでインフルエンザが猛威を振るっている。 ドミノ倒しのように被弾するインフルの脅威と、病人を抱えたワンオペの恐怖、発酵臭をはなつ配偶者、一息ついたころに後ろから殴りかかってくるインフル再来に、画面の向こうから(大変だ…ハネサエ.さん……!)と応援のかわりにスキといいねを連打して念を送っていた。 風邪は怖い。インフルはさらに怖い。なんせ、治っ

女の子の色も男の子の色もないよね

そのむかし、ランドセルは赤と黒しかなかった。 私が産まれた時代は、女の子は赤を背負い、男の子の色は黒だった。 それから30年ばかり過ぎて、ランドセルもカラフルになった。ネットで流れてくる写真を見ると、デザインや機能性にこだわったものもあり、ずいぶんと楽しそうだ。 うちの娘なら、何色を選ぶだろう。 まあ、何色であろうと、好きな色を選ぶのがいいと思う。 親として、子どもの意見を尊重し、旧来のジェンダー感を押し付けるのは避けたい、みたいなことを考えている。 私自身、移民

英語を話すきみと、日本語を話すきみ

外国語は小さいころから学ぶほうが習得が早い、という説がある。海外移住するにしても、年齢が幼いほうが言語を身に着けるのが楽と考える人は少なくない。 我が家の娘は、5歳で英語と日本語の両方を話す。日本人親を持ち、ニュージーランドで生まれ育っているバイリンガルだ。 家庭内はすべて日本語。外では英語。環境的にはバイリンガル育児の理想に近いといえる。それでも、2つの言語を使いこなすのは、楽じゃないんだなあというのが、正直なところ。 * なんでそんな風に思うのか。それは、娘の情緒

子どもの1歳の誕生日に、どうしようもないツラさを抱えていた君へ

スクロールした画面に遠方の友人があらわれる。いや、友人自身は写っていない。そこにいるのは配偶者や子どもの姿。 30歳を迎えた彼女のタイムラインでは、結婚、出産、子育ての話題がピークを迎えている。とりわけ、子どものお食い初めや誕生日のイベントの投稿が多い。 子どもの誕生日というのは、とても幸せな出来事だ。 けれども彼女は、心の底にたまったオリのようなみじめさを感じずにはいられなかった。 膝の上で、もうすぐ1歳になる子どもが笑顔でスマホに手を伸ばそうとしている。 幸せな

「おいしいねえ」は、やっぱり魔法の言葉

「おかあさんの作ったご飯はおいしいねえ」 娘が、米粒を頬っぺたどころか両手につけ、満面の笑顔でいった。 土曜日の、早めのお昼ご飯。さっと作ったものだけど、柔らかい日差しが差し込むダイニングで食べると、ほっとする。 「お父さんは、お母さんよりおいしいご飯作れる?」 おいおい、なんてことを言いだすんだ。 「うーんどうだろう、お母さんの作ったご飯はおいしいからねえ」 百点満点の模範解答みたいな返しをする夫。 なんだこれは。平和なファミリードラマを見てるみたいだ。 「

母の日の前日の娘が、たいそう可愛かった話

『かわいい娘の話をします』というタイトルで、平日毎朝マガジンを更新している。 私の中では、記事のテーマが主に2つあり、ひとつは娘の「かわいい行動と言動の話」で、もう一つは「かわいい娘」に関する話である。 ようは、育児全般と日常の雑多な話なのだ。そして本日は、娘の行動と言動がとにかくかわいかった話です。 読んでいる人は、「何回かわいいって言うんだよ」と思うかもしれないけれど、マガジンのテーマが娘の可愛さを文字で残しておくことなので、どうか生暖かく見守ってほしい。 *

こどものいつかは消えてしまうけれど、忘れたくない言葉たち

子どもが大きくなるにつれて、見えなくなってしまうものの一つに、「言い間違い」がある。 「エレベーター」を「えべれーたー」とか言っちゃうやつ。 こういうのは「音位転換」とかいうらしく、いずれにせよ幼児の言語取得過程において発生するもので、周りが訂正してもしなくても、いつの間にか言わなくなるそうだ。 そういう、小さな人から大きな人へ成長する過程での、「幼児」を引きずった名残をみつけると、いまの私は、忘れたくないなあと思う。 * 先日のこと。だいたい毎朝、娘と一緒に起きる

寝る前に、おとぎ話の続きをきかせて

子どもの寝かしつけって、どんなイメージだろう? お布団に横になり、お母さんが子守歌をうたう。子どもは、うつらうつらと静かに目を閉じる。そんな、平和な寝かしつけが世界のどこかにはあるのかもしれない。まあ、うちは違ったけど。 寝かしつけと言われて、最初に思い浮かぶのは、そうだね、「スクワット」だ。娘が、だいぶ小さかったころ。立ち上がるどころか、寝返りもままならなかった赤ちゃん時代。 娘は、すんなりと寝落ちできない不自由な機能を搭載していた。疲れているので、泣く。泣くと、眠る

教育に「厳しさ」はどれくらい必要なのだろう

学校で過ごした子どもの頃を思い返すと、わりと厳しい環境だった。とくに小学校から中学校にかけて。 行儀正しく60分座るとか、チャイムぴったり全員席につくとか、教科書を机に置きっぱなしにする置き勉は禁止ですとか。ルールが守れなかったら、おわりの会で反省会、ときには学年集会。いや、それわりと当たり前じゃん、と同世代の人から言われるのかもしれないけど。 協調性を重んじた行動をとるのはまったく苦ではなかったのだけど、周りに合わせて生きてきた反動なのか、社会人4年目でえいやっとニュー

疲れているときは、やさしくしてね

きのう、こんな記事を書いた。 さいきん、娘がイヤイヤばかり言っている、というものだ。ここ数日は、私の発する言葉にかぶせ気味で「いや!」「No!」が飛んでくる。 反抗期なのかな。私がいろいろと言いすぎなのだろうか。頭のなかでぐるぐる考えていたら、ハネサエ.さんから優しいコメントがついた。 ハネサエ.さんは、三人のお子さんをお持ちのお母さんでライターさん。彼女が書く文章はいつも愛がある(そして、子育ての臨場感満載でハラハラする) 娘ちゃん新学期で疲れているんだと思います。

5歳のイヤイヤ期は、母親の支配からの自立の一歩

子どものイヤイヤ期、親はわりとつらい。2歳ごろから始まる自我の芽生えで、なんでも自分でやりたがる時期。食卓のミカンを手渡しただけで、(わたしがとりたかったのにいいい)と「いやー!」が2秒に1回続く日々に、白目と虚無になった親御さんが世の中にたくさんいるはずだ。 我が娘が通り過ぎた2歳のイヤイヤ期は、「なんでもわたしがやりたい期」だった。 そして5歳8か月のいま、「なんにもやりたくない」イヤイヤ期が到来している。 * この週末は、娘はイヤイヤのオンパレードだった。とくに