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ひとり遊び


木枯らしに背中を押され
背中をまあるくしたまま
鋭く何かを睨むように
真っ直ぐ 前だけを見る
 

幼き頃から  ずっとそう
誰の評価も求めず
ただ ただ 言葉を紡いでいた
どこにでもいる 子供が
どこかしこに お絵描きをする
きっと そんな感覚
紙に言葉を並べれば
そこには 自分だけの
世界が広がっていて
誰にも阻まれる事なく
縦横無尽に
飛び回れる事を知っていた


言葉は時として
人を傷付け 人を貶める
そんな凶器にもなる
けれど  生きとし生ける者全てに
平等に与えられた
温かな贈り物であり
人を励まし  人を慰める
そんな尊い物である


紡ぎ手にとって
そこに込めた意味なんてものを
主張するつもりもなく
目にする人それぞれが
それぞれの  心模様
ロケーションで
当てはめ  なぞって
心を寄せてくれれば
それでいい



この先も  きっと私は
言葉を紡ぐ事を辞めない
それは  私がこの世に生まれ
生きている証そのものなのだから
なんて 少し大袈裟にも
捉えられる様な言の葉
美しい 世界だけを
飲み込んで 噛み砕いて
描いていけたらいいのに







こんにちは。


本当は書くつもりでもなく、ゆっくり過ごそうかと思っていたのですが、




11月13日、『いい意味』の日だなって。
本日の作品にも描きましたが、赤ちゃんだった子供が、話せる様になり、立てる様になり、歩ける様になり、おもちゃで遊ぶ様になり、お絵描きする様になり・・・と色々、成長していく過程で、私の場合は言葉を覚え、想像力を蓄え、ペンを持ち、自分の気持ちを紙に書いていく事が何よりも楽しい『ひとり遊び』であり、ほんの僅かな主張だったんですよね。



記憶に残っている事だと、小学一年生の時、同級生のお友達が不慮の事故で幼くして亡くなったのですが、その時の弔辞を任されたのが私でした。
まだ、小学一年生でしたので語彙力もそんなになかったはずなのですが、担任の先生からうちの親に『読ませてもよろしいですか?』と連絡が来たそうです。
大人数の黒い人だかりの中で弔辞を読んだ記憶だけは残ってます。
きっと、お友達へ宛てた『お手紙』の様な内容だったんじゃないでしょうか?



授業とは関係なく作詩を書いては、担任の先生に見てもらいに行っていた子供でしたので、変わり者ですよね?笑




ずっと続けている『ひとり遊び』が今も、この先もずっと頭脳が思考停止になるその時までingであり続けますように。




皆様、よき!いい意味の日をお過ごしください。
急な冬到来で、大変寒いですね。お互い体調にはくれぐれも気を付けましょう。


P.S

ずーっと、HSP気質で何かを感じ取り読み取り吸収する、そんなヒトなのでしょう。

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