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自分の付加価値


「本人確認書類はお持ちですか?」

そう言われた時 私たちは
何を差し出すでしょう。

巷で流行りのマイナンバーカード?
あるいは健康保険証や運転免許証、
パスポートや外国人ならビザがありますよね

この質問は、いいのです。
この人はどこの誰なのかを顔写真付きで
証明することができるから。

ただ、現時点(2023年8月)では
健康保険証に顔写真はついておりませんが
マイナンバーカードに移行することで
利便性の向上を図ろうと、
我々はその途上にいまあるわけです。

でも、そんなことは実際どうでもよくて。

デジタル化による不安感はもちろん、
統一することによって使いにくくなる人も
いるのは承知のうえですが、
わたしが今回話したいことは
こんなことではありません。


ある日、友達とドライブに行ったときです。
私は助手席に座っていました。
運転中、こんなことを聞かれました。

友達「ソナさんって免許もってなかったよね?」

私「うん、ないけど」

友達「早くとった方がいいよ、
 私は合宿だったんだけど早く取れるよ!」

私「でもお金結構かかるでしょ、
 そんなお金ないし」

友達「あー、実家にも車ないって
言ってたもんね、合宿だと○○万円くらい!」

どこか、ほっとされている表情を
されていました。

わたしが免許を仮に持っていたとしたら、
なにか良くないことがあるのでしょうか。
そして、そのほっとした
表情はなんなのですか。

「お金がない」から取れなくて困っているのに
「お前、お金ないから取れないもんね」と
逆説的に言われてるような
気がしてなりませんでした。

悪意はないんでしょうが、当人はきっと
(この人が免許持てるわけない)なんてことも
少しは思っているのかもしれませんが、
人の車に乗るとそんな気持ちに
毎度のようにさせられるのです。

だから公共交通機関を除く人の車での
移動というのには私の中で躊躇いが生じます。

普段、駅近の物件に住んでいることもあり
交通にはなにも不便なく生活できています。

なので免許があろうがバスや電車があれば
行きたいところに行けます と言えば、
強がってるようにも聞こえるでしょうが
本当は免許ほしいです。

もう少し若い時に取れていれば、
仕事や生活も変わっただろうと
過去の自分やその環境を恨めしく
今日に至ります。

問題なのは、生い立ちにありました。

私が中高生になって、
進路を決めようと考え始めた頃
母親は私にこう言いました。

「あんた、(高校)卒業したら
 さっさと出ていきなさいね」

自立をしろという話です。
だがしかし、この家族は
他と勝手が違いました。

わたしは「就職するなら免許がほしい」と
いいましたがまさかのNG。

理由を聞くと、母親は
「もうわかる歳だと思うから言うけど
うち生活保護だから車持っちゃダメなんだ、
あんたが働いてお金が貯まったら
その分引かれて生活できなくなる」

愕然としました。

"この家族には制約があるんだ、
しかもお金がないんだ、国の支援を
受けないとやっていけない家族なんだ
他よりも劣っているんだ。"

多感な年頃の私には、
その意味をするのには時間がかかりましたが
確かに言われてみれば、
当時、時給600円台だったアルバイトを
頑張っても 毎月給料日になれば
「家にお金をいれてくれ」と言われるので
それはまだ理解の範囲内でしたが、
月によってその幅が大きくなっていました。

高校生時代の時給600円を週3〜4日、
5時間働いたってたかがしれているのに
母親から要求される金額は7〜8割。

手元に残ったお金は通学のための
定期代と学食代。

でもそれのほとんどは国からのお金。
いくら働けど貯まることはありませんでした。

月によっては、
「今月足りないからもう少し入れて!
あとで返すから」と言われ
生活を営むに必要なら仕方がないと
学食代と残り少しのバイト代を
差し出しました。

高校生活はたった3〜4年しかないのに
こんなことをされては
貯められるはずもありません。

同じクラスの人たちは教習所に通っていたり
すでに原付に乗っている人もいました。
とてもうらやましく思う他、
(うちはダメなんだな)と現実を
突きつけられていました。

ここで既にお気づきかと思いますが、
先に、働いていた分の何割かを母親に
取られると書きましたよね。

これは後でわかったことですが
子どもがバイトをして働いたお金は
生活費としてみなされる
仕組みになっているので
親に支給される生活保護費は
減っていくわけです。

つまり、親のやり口はこう。

私たち子どもが働いてもらった収入を
アテにして支給額でマイナスになった分を
埋め合わせしていたのです。
実質、親の収支はゼロどころかややプラス
子どもはマイナスという循環に陥っていました

バイトを増やせば、私の残るお金が減ります。
お金が増えれば、取られるお金が
増えていきます。

でも、こんなこと誰にも相談できません。

いざ就職活動のとき 保有資格に、
免許の名を書くことはありませんでした。

そしてそれは、一人暮らししている
今もできていません。

なぜなら言わずもがな
無一文で社会に放り出されたからです。

運転できないお金のないやつが
職に就かなければいけないということで
面接にかかる交通費もあるわけがなく、

ある時は電車に乗らねばならないとき
隣駅までの分を交番のお巡りさんに
お金を貸してもらったこともあります。
後日きちんとお返しいたしました。

あの時のお巡りさん、優しかったです。
交番はいまでも覚えています。

大人になった今でも、
その影響がなくなるわけではありません。

なにかの手続きのたびに
「お名前のわかるものありますか?
免許証とか」

マイナンバーカードが流行る前、
これを聞かれた私は「免許ありません」と
答えるほかありませんでした。
もっとも、足下を見られている気がして
たまりませんでした。

社会にたった1枚あれば
何にでも役立つはずのものを
持てなくされていたという腹立たしさと
「ない」と言った後のその相手の目線は
どうも見下しているように見えるように
なってしまったのです。

無一文から社会生活が始まったがいいものの
免許はない、お金はない で
働ける場所が限られてしまいました。
私の最後に残ったのは「道路の警備会社」
交通ルールを知らない奴にでも
それをするしかなかったのです。

きっかけは、社長も同じ高校の卒業生。
私よりもはるかに年上、いえば、
高校当時では自分の祖父母くらいの
年齢の社長が学校に出向いて
募集をかけていました。

さらに提示された条件は
他県での仕事をやってほしいとのこと。

担任を通じて話をもらい、
私は掛けてみることにしました。

(このまま実家にいては終わる...
 早く家を出なきゃいけない) と思った私は
それに応募して即座に内定をもらいました。
時はすでに卒業寸前の2月。

「免許も交通費もないのですが大丈夫ですか」

と直接話する機会を
設けてもらったときに聞いた言葉に
社長は目を丸くしていました。

「交通費は出す、
免許は働きながら取ってくれれば」


そう言われ、内定をもらったそのあとから、
学校に通いながら研修を受け始めます。

そして3月、卒業を迎えます。


その2日後、出発の日
母親と母親の彼氏と私のきょうだいは
別れを惜しんでる風に涙を流していました。

空港までは、母親と大して話したこともない
つい3行前に出現した母親の彼氏に
送ってもらうことになりました

まだ若かった私には
スカイメイト(航空機の割引サービス)が
適用されたので会社はそれを使って
私を飛行機に乗せてくれました。

( やっと家を出られた...)

展望から私を見送る家族のことは1度
振り返ってそれからは見るのをやめました。

隣に座った社長は「緊張するかい?」
と聞いてきますが 「大丈夫です」と
短く答えてそれからは無言。
でも気まずいわけではありませんでした。

ドリンクサービスも回ってきましたが、
ここまでしてもらって飲めるはずもなく
断って目的地への着陸を待ちました。
外は 晴れていてまだ雪の残る山も
少しあったというところです。
窓際に座った私の楽しみは
それしかありませんでした。


さあ、着陸です。着きましたよ。
そして新幹線に乗り継いで
さらにまたその先へ向かいます。

順調に実家との距離を空けることができ
ここまではよかったのですが、
私には、「あの1枚」がありません。

いざ現場の仕事が始まります。
現地の上司や先輩方に挨拶を済ませます。

現地の上司からは
「なんでこんなところに来たの?」
質問されました。

しかし答えに詰まり
「遠くで仕事したかったので」と返事

先輩からは
「あら、おまえさん見ない顔だね
 遠くから来たの」なんて言われて

顔見知りがだんだん増えていくことを
実感します。

そして私はあの1枚がないのに
車を誘導しています。

作業員からは
「あんちゃん、そこ見えないよ!」


なんて言われたりして、
車の死角に入ってしまったり
誘導がわかりにくいと言われたり
見る側の目線に立てられない悔しさが
そこにはありました。

ある時もまた
言われたときこう答えました。

「すいません、実は免許もってなくて」

現場の人は「えぇ!免許ないのに
道路警備やってんのかい!早く取れよ!
そんなやつに任せられねえよ!」

そりゃ言われるに決まってます。

社長は1週間ほどその営業所にいて
もらいましたがなにかしてくれるわけでもなく
気づいたら私の地元へ帰っていきました。

それから社長からメールが1通届きました。

「免許は休みの日にでもとりにいきなさい」
「大変だと思うが頑張って」

この2行です。

ひと月くらい経った頃、
(そういや、給料日聞いてなかったな)

ほかの同僚もまだ入っていないと言います。
いつもなら既に入っているみたいですが
どうやら遅れていたそう。

それから数日経ったとき
営業所にいた先輩は いくらもらった?と
私に聞いてきました。

「え、いや、まだなにももらっていません」
「明細も届いていませんし」

私以外の先輩方、上司には
入金されていたようです。
私は1ヶ月無賃で働いたことになります。


電話がきました。役所と年金です
「健康保険がー」「年金が未払いですが」

「すいません、お給料まだもらっていなくて」

「そうですか、じゃあ入ったら
納入してくださいね」

私の1枚を得るチャンスは
ここに消えそうです。

家賃は、会社が借り上げた部屋があり
ほぼ住まいは保証されていました。

それから後日3000円が会社から
振り込まれていました。
同じくして社長からメールが届きます

「生活大変だと思うので先に3000円を
送っておきました。よろしくお願いします」

いや、よろしくお願いしますってなに?
私の1ヶ月分はどこですか?と
聞き返したかったですが、
社会のルールを知らない私はそれが
正解なんだろうと思ってしまっていたので
従順でした。

それから2ヶ月目、お給料日です。
びっくりしました。

当時の地元の最低時給換算で
20日間ほど働いたことになっていましたが
雇用保険と飛行機代と先の3000円分が
差し引かれています。

社会保険も厚生年金も
加入されていませんでした。

労働基準法ではその都道府県に沿った
時給でないといけないと後で知りましたが
守られている様子はありません。

手元にあったのは故郷の国民健康保険。
急いで営業所が所在する市役所に駆け込み、
その地域の健康保険に変えました。
役所の人は聞いてきました

主事「会社入っているのに
  社会保険じゃないんですね?」

私「他所から来たものでわからないのですが
 どういったもので?」

主事「会社の種類によって違いますが
 これくらいの会社だと青色のカード式が
 一般的で大体の方は加入されてますよ」

私「そんな話まったく知らなかったです
先ほど住民票を取る時も地元のを見せたら
切り替えてくださいって言われてなんのことか
わからなくてここに来たので」

主事「会社と相談してくださいね」

住民票と国民健康保険証という違う
それぞれの1枚を私は手にしたのです。

健康保険は自分で払わなければならないので
やむなく次の給料からださなければ
いけなくなり年金は延納の手続きを
するため電話をするも 年金手帳を
実家においてきてしまったため
母親に 部屋のどこどこにあるから
送って欲しいと住所を書いてメールをしました

が、しかし、待てど暮らせどきません。
気づけば2週間ほどでしょうか。

来るのは年金の電話だけ。
手帳がないのであれば再発行しましょうと
いうことになり手続きをスタート。
2〜3日で届きました。
その後、速達で母親から
年金手帳が送られてきました。

2週も待った意味がないじゃない。
催促しても返事がありませんでしたから。

(速達で誤魔化せると思うなよ!)と
心に思った私は 「届きました」とだけ返事
手元には2冊もあります。
本当にふざけないでください。

やっと手に入った別の1枚。というより1冊
年金の手続きをしましょうね、
ところが額が高い。これはまいった。

もうすでに私の欲しい1枚に及ぶ
金額を大幅にオーバーしている。
これじゃ貯蓄に組めないよ...

なぜならバイト時代とお給料が
ほぼ変わっていないからです。
さらには丸1ヶ月間の空いた埋め合わせを
しなければならないので支出が
飛ぶように増えていきます。

先ほど、会社の借り上げた部屋といいましたが
いわゆるタコ部屋だったんです。
5畳、5畳、6畳の木造2LDKに3人。
一部屋は上司が占領、リビングは先輩が占領
もうひとつの部屋を私とおじいさん。
言うまでもなく快適ではありません。

休みの日は隣のマンションの一室の
事務所となっていた部屋で過ごしていましたが
寝る時になれば戻らねばなりません。
私の欲しい1枚にはまだまだ
手が届かない状態のまま、

半年が過ぎた頃

事務所の使用量が増えたことを
社長が嫌な顔をしたのです。

メールで「事務所ではガスや水道は
あまり使わないでください」とお達し。

毎日 誰かがいるわけでもないのと
仕事の依頼はそこに届くので、
いかなければならないのに
使うなとはどういうことか。

様子がおかしい会社だと思いながら私は
とりあえずここから1番近い免許センターを
調べてみようと思って初めて検索。

すると、電車とバスを乗り継いで
いかなければならないという表示が。

そんな交通費、いまの私にはない。
ずっと同じ給料で働かされて
挙句 原付の1つくらい経費で
取らせてくれたっていいじゃないかと
思いながらも苦虫潰した社長の顔が
思い浮かんだのでお願いするのをやめました。

そして、また別の休みの日、
社長からまたメールがきました。

「まだ若いし、慣れなくて
 忙しいかもしれないがこれからだ。
 頑張って働いてもらいたい
 応援しています」

はぁ。なにを言ってますの?
私は反転攻勢に出ます。

「すいません、先日 役所から社会保険に
 入れないのかと聞かれたのですが
 どうなっていますか? 年金も同様です」

すると、社長は

「君はまだ研修期間中だから何にも
入れない、正社員で採ったけど悪いね」

福利厚生ゼロ、社会保険加入なし、
厚生年金支払いなし。

いいところをひとつあげるとすれば
 遠くに連れてきてくれたこと。
でも結果的に自費だったが。

「生活に影響が出てきているので、
 加入したいのですがいかがですか」

と返すと、

「ちょっと会社がまだ厳しいから
 もう少し待って欲しい」

私は3ヶ月待ちました。
社長からの返事は「NO」

私は電話をかけて説得を試みました。
まずは地元の別の上司に。

「〜こういう理由なんです」

上司「言いたいことはわかる、俺もそれ
気づいているけど動けないんだ。」

その上司は元警察官。理解が早かったです。

だがしかし、一方の社長

「うーん、うーん、そうは言ってもねー」


家族に相談することにしました。
メールで「帰ることになりそうです」と。

母親は「もうあんたの部屋はない、
私と彼氏がつかっている。どうにかしなさい」

祖母「それなら仕方ないね実家帰りなさいよ」

それぞれが帰ることに難色を示します。

祖母には
「母親に あんたの部屋はないと言われました。帰る場所がありません」と伝えると
すぐに電話がかかってきて、
祖母は母親にどうにかするよう
伝えてくれたようですが
「ばあちゃんちに泊めりゃいいじゃん」の
一点張りだったそうで、
喧嘩になり説得実らず。

祖母は「頼む側の態度じゃないわ!
あんたのかーちゃんは!男がいるからって
子どもが帰れないのおかしいでしょ!」と
私に言ってくるのです。

まあ、そうはそうなんだけど
私に言われてもね....

会社と家族の板挟みになった私は
母親に連絡をしますが嫌そうです。

祖母にそれを伝えると
「子どもが帰ってくるというのに
家もないなんてそれのどこが親だと言うんだ、
なんでもいいから実家帰りなさい」

なにかが吹っ切れたようにして
その地で取るはずだった「欲しい1枚」を
諦めて、私は社長に 「仕事を辞めます。
準備ができ次第帰ります」と伝え
数日かけて準備していたところ
その営業所の上司が事務所にきました。

「社長がこの事務所ごと閉鎖するってさ、
おまえさんが辞めるからって、
実質所長だったってことだな、あっはっはっ
辞めて正解だから元気でやれよ」と
笑ってくれました。

続けてその上司は
「なんでこんなところに来たんだ?って
初日に聞いたのはそういうことだったんだよ」

と伏線を回収しにきたのです。

「気づくのが遅かったです、
お世話になりました」と答えて、
ダンボール3箱になった荷物は
複数個口で輸送会社をつかって
運びはじめ私は手荷物だけで移動します。

あの1枚さえあればこの荷物とも
移動できたのに。


学生のころクラスが同じだった人が
たまたまメッセージをくれました
「いつ帰ってくるんだ?」

私は「今日、これから帰る 仕事を辞めた」
と返事すると
「じゃあ迎えいくわ」と言ってくれて
地元の空港で待ち合わせることに。

そしていざ飛行機に乗り込もうとしたとき、
予約まではスムーズだったものの
行き先の地元空港で、乗客の検査すり抜けが
発生して飛行機が大遅延。

手持ちのお金は飛行機で消え
食べるものもなく
搭乗時間が来たのは約5時間後。
迎えの人は
「仕事残業だったけど飛行機
遅れてるんでしょいまから向かうわ」と
上空と同じくらいの時間をかけて
空港に来てくれました。

会って一言目「荷物それだけ?」
二言目「飯いくべ」

時刻は夜10時を回っていました。

あの1枚がなくても温かく迎え入れてくれて
ラーメンをご馳走になってしまい、
なんだか悪いことをしてる気分になりました。
待たせたうえに情けない。

その1枚を持っている人が
迎えにきてくれることもあるんだと。

先に、空港まで送ってくれた人も
いましたけど、ほぼ他人ですから
公共交通機関みたいなもんですね。


いろいろあったことを話した帰り、
実家まで乗せてくれた後、
中に入ると 私の部屋は空いていませんでした
さらに、寝る場所はありませんでした。

私が実家に帰って初めて寝た場所は
食卓テーブルに付いている
固い木のベンチシート。

翌朝、母親は起きるなり
「布団敷いてやったのに!」と
言ってきました。 

そんなこと言われても、
部屋がないと言われてるわけで
敷いてるなら敷いてると一言いれてくれたら
どうなんだと 腹が立ってしまいました。 

あんまり返すと ヒステリックを起こすので
「だったら先に言ってよ」とだけ返事

母親の彼氏とは「あの時はどうも」と
会話するのみ。だが2人とも、
どうやら私が家に居られるのは嫌そうで
母親は
「さっさと家を見つけて出ていってくれ」と
続けてきます。

「免許取れるまで家いたらダメ?」と
聞きますが ダメだと言います。

帰る場所もない、免許もなく
生きる資格すらも失いかけて
なんとか引っ越しをしました。

でもやっぱり、引っ越せたとはいえ
良いことばっかりではありませんでした。

それから妹と同居することになったのですが、
そいつは外に出て暮らすことが初めてで、
それがアダとなったが数年間暮らし、
苦しくて災難だらけでした。

それから抜け出して
まもなく10年が経とうとする頃。

私はまだあの1枚を手に入れられずにいます。

原付の1枚でも取れれば幅は広がるのに、
手に入れられないのは取得に必要な1万円も
貯められない状況の最中にいるからです。

免許とかよりも、生活に必要な1万円に
なってしまい もどかしい毎日を過ごしています

時給が上がるにつれて首を絞められる
国民と事業者。
そして物価高に追い込まれる貧困層
車の維持管理に危機感を覚える保有層

あの1枚を持っているだけでも良いと
思った世界は想像を絶するものでした。

いま持っているみなさん、
その1枚には価値があります。
価値があるからといって
マウントをとって良いわけではありません。

それにも困っている人がいるという
痛みをわかってくれるとありがたいです。

そして、マウントを取ることによって、
免許の価値は下がらなくても、
人間としての付加価値は下がっていきます。


私はそんな人間にはなりたくありません。
そして、取れたあかつきには
ここに感想でも書いてみようかな。

8400字になるところ、
最後までお読みいただき
ありがとうございました。

お読みいただきありがとうございます。 活動支援にご協力いただきますと 執筆活動、慈善活動、学習などに使われます。 応援よろしくお願いいたします