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【すっぱいブドウ】うまくいかなかったときの心の持ちよう

皆さん、こんにちは♪
童話【すっぱいブドウ】の教訓についてです。

YouTubeで話しております。
(noteでは主に文字起こしです)


皆さんは、うまくいかなかったときどう思いますか。
うまくいくように改善するのか、うまくいかなかった言い訳をして、自分を納得させるのか。

まずは話のおさらいです。

ある日、お腹を空かせた一匹のキツネが森の中で実のついているブドウの木を見つけました。
キツネは、このブドウの実を食べてみたいと思い、手を伸ばし、木から取ろうとします。
しかし、ブドウの木がとても高い!キツネが何度手を伸ばしても、飛び跳ねてみても、ブドウの実に手が届きません。
しばらくして、ブドウの実を取ることができないと思ったキツネは、うらめしそうにブドウの木を見上げながら、「あのブドウはまだ十分に熟していない。酸っぱいブドウの実なんてどうせ欲しくもなんともないや。」とつぶやき、何事もなかったかのようにその場を去って行ってしまいました。

このようなお話だったかと思います。

手に入れたいけど努力しても手が届かないものである場合、価値がないものとすることで、自分の心を守ろうとすることがありますよね。


私が感じたポイント2点を話していきます。
①つ目は、うまくいかなかったときの自分に出会える。
②つ目は、理由づけは前を向く理由にもなる。

①つ目は、うまくいかなかったときの自分に出会える。
うまくいかなかったキツネの行動は無意味であったのか。
うまくいかなかった理由づけをする。これは自分がこれ以上ガッカリしないための予防策ですよね。
やってみて駄目だったとき、それは本当に失敗なのか?
キツネの場合、「ブドウが取れなかった」という真実が知れてよかったと思うんですよね。それは、改善の見込みがあるなら改善して、あらゆる方法で試みればいいですよね。

そもそもそこまでしてブドウを食べてみたかったかどうかは、取れなかった事実を踏まえて決めればいいかと思います。
「ブドウが取れなかった」状況は、キツネが取ろうと行動したから体感できた、キツネだけの宝ものだと思います。ブドウを取ろうと試みないというのは、自分がいかに行動に起こさないか、ずうっと同じ世界にいることのようにも思います。

結果はともかく、行動してみる、しないの選択によって、体感した自分に出会うのか、何もしなかった自分に出会うのかだと思います。ほんの少しかもしれないが、成長した新しい自分に出会えるのは、行動した自分だけです。


私もYouTubeを見聞きしているときと、自分が発信する側をやってみて、ユーチューバーさんの見方が変わりました。毎日更新している方のすごさ、企画、撮影、編集などの工程があることを思い知りました。
結果はともかく、自分が行動することで世界が広がると私自身、体感しています。

②つ目は、理由づけは前を向く理由にもなる。
うまくいかなかったときに理由をつけるなんてかっこ悪いとか、屁理屈だと言ったり、負け惜しみという声もあるかもしれません。
この物語には書かれていませんが、キツネはブドウのほかに、自分が手に入りやすい食べ物を見つけるでしょう。いつまでもブドウに執着していたら食べ物にはありつけません。理由づけをして次に行くかという感じですかね。そう思うと、理由を探して自分を納得させることは、そんな悪いことでもなさそうですよね。

これは、恋愛においてありそうだなと思いました。
好きな人に告白して振られた。
「ほかに好きな人がいるのかもしれない」
「その気のあるような素振りをする魔性な女かもしれない」
などと理由をつけて、次に向けて進もうとすることは前向きですよね。
振られてもなお、しつこくしつこくアプローチをしたり、待ち伏せなんてしたら、女性からしたらストーカーのようで恐怖すら覚えますよね。

自分が前を向くための理由づけは、自分の未来をつくっていくためにいいことなのかなと思います。


ということで、今回は童話【すっぱいブドウ】についてでした。
欲しいものが手に入らなかったとき、結果が伴わなかったとき、あなたはどうしていますか。

私が感じた2点について話してみました。
①つ目は、うまくいかなかったときの自分に出会える。
②つ目は、理由づけは前を向く理由にもなる。

ということでした。


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