見出し画像

何でみんなはそんなに毎日元気なの?

2021年9月26日

京都でしなければならないこと、引っ越しに伴った事務的な連絡作業は一通り片付いた。まだ少しやらなければならないことはあるが、そろそろ引っ越し準備を始めないとまずい。ただなんとなくやる気が出なくて、観れていなかった映画などを観ている。

今年の1月あたりから鬱の症状が出始めてストーリーが難しかったり、展開の早い映画や漫画を苦痛に感じるようになった。この頃は村上春樹の短編ばかり読んでいた気がする。唯一読んでいる漫画ワンピースも最近は惰性で読んでいる感じになりつつあるが新刊が3巻も溜まっていたので、さっき一気読みをした。相変わらずわちゃわちゃしていた。

---------------------------------------------------------------

僕は年末辺りから慢性的な疲れ / 酷い肩凝り / 不眠 / お酒が飲めなくなるなどの症状に悩まされてきたが、自分なりにいろいろと調べたり、診療内科の先生に質問したりした結果、全ての根本に自律神経が関わっていることが分かった。

---------------------------------------------------------------

僕はたまに大型書店へ行って店内を無駄に歩き回って、気になる本があるとぺらぺらと立ち読みして買ったり買わなかったりする。全然興味のなかった本が目に止まったり、その時のトレンドが分かるからけっこう楽しい。平気で2時間はいれてしまうから京都だと駐車代が馬鹿にならない。ここ半年くらいの間はコロナと鬱のダブルパンチでなかなか人のたくさんいる本屋に行く気になれなかったが、今は平日も自由に動けるので久々に大型書店へ足を運んだ。

すると自律神経に関する書籍がたくさん目についた。自律神経に関する新刊、特集、特設ブースなんてものまであった。皆さん自粛続きで精神病んじゃってるの?

僕は昔から自律神経がバグり気味なので、今回鬱になり改めて自律神経の大切さを実感している。結局のところ交感神経と副交感神経の切り替えがスムーズに行えることが大事なのである。ここの切り替えが上手く出来なくなると、眠れなくなったり、疲れが溜まったり、ホルモンバランスが崩れたりと不調をきたす。

自律神経を乱す一番の原因はストレスである。人類最大の敵はコロナではなくストレスだ。ストレスにはワクチンもなければ特効薬もない。常に人々の生活に付き纏い、その身は危険に晒晒されている。上手く付き合っていくしかない。

---------------------------------------------------------------

今となってはだが自律神経について調べて行くことで僕は昔、起立性調節障害だったんだということが分かった。

起立性調節障害とは簡単にいうと自律神経の異常で朝何となく怠かったりする症状である。まあ誰にでもたまにはあるだろうし、頻度の問題なんだと思う。子供に多い症状らしいが、僕の場合は特に小学生の頃、朝お腹が痛かったり、頭が痛かったり、気持ちが悪かったり、鼻血が出たりで、遅刻や欠席がかなり多かった。立ちくらみや貧血にもよくなって何回か倒れた。その頃から何でみんなはそんなに毎日元気なの?と今でも思う。僕が今日はすごく調子が良いなって思える日なんて年に数回あるくらいだ。だいたいデフォルトで少し怠い。

鬱になりかなり回復しているが、最近やけに眠い。なんとなく良い兆候のようにも思うが、そのせいで短時間睡眠を何回かに分けてとるという無職だからこそできる謎の生活リズムになってしまっている。そしてちょっとしたことでもすぐに疲れてしまうことには少し参ってしまっている。

---------------------------------------------------------------

今回初めて鬱になり、自律神経の事も調べて一つ気になった事がある。それは鬱や自律神経異常と発達障害特性との関係性だ。

これは診断を受けた訳ではないが、僕は昔からADHDとHSPっぽいところがある。おそらくグレーゾーンってとこなんじゃないかと思う。苦手なこともたくさんあるし、失敗もたくさんしてきたけど、これも自分というアイデンティティを作り上げてきた一つの要素ではあるから、特に悲観的に考えることもないし、なんとも思っていない。そもそもこの特性がなかったら今とは全く違う人生を歩んでいると断言できる。僕は今のところこの人生に一片の後悔もない。逆に欠陥にこそ人間味が感じてしまう。

しかし、一方で発達障害を個性と大きく括ってしまうことは危うい考えだとも思う。その発達障害の特性がどれだけその人の生活に影響を与えて、その人を苦しめているかによっては”個性”ではなく”障害”として扱うのは当然のことだと思う。当事者たちにとってこの自分を苦しめているものを”障害”として認めてもらえることは確実に救いになっていると思う。

数年前から大人の発達障害というワードをよく耳にするようになったが、これが何を意味するのか自分なりに仮説を立ててみた。

僕は欠陥だらけの人間だから、小学生の頃から何かみんなとは少し違うなと感じていた。

ADHDという言葉を知ったのは社会人になってからだったが、それまでの中学生から大学卒業までの学生期間の間、自分が思ったように事が運ばないとイライラすることに気付いてからは、自己分析と感情の制御 / 相手の気持ちになることをずっと意識してきた。僕の父は昔も今もすぐに大声で怒鳴る人だから、それが嫌だったのと自分も同じ遺伝子を持っているということも僕にそうさせた。その甲斐あってか僕は滅多に怒らないし、他人に対して一歩引いたコミュニケーションを取るようになった。見事な反面教師だ。(父との仲は悪くない。一緒に酒も飲む)

だから僕は過酷な労働環境でも、毎日怒られても上手く受け流すスキルを身につけていた。でもそれには限界があった。

その頃急激に仕事の効率が落ちた。頭の中が散らかっていて何から手をつけたらいいのか分からない感覚だった。それは自分の行動に顕著に現れた。靄がかかったような僕の脳ではとてもクリアな思考はできなくなっていた。

そしてもう一つ音と視界に入る動くものに過敏になった。これに関しては昔から少し敏感な方だったがその比ではなかった。人混みでは気分が悪くなり、車を運転していても周りの車の存在がとても嫌だった。

僕は片付けと優先順位を付けることが苦手で、それでたくさん失敗してきた。それでもなんとかやってきたが、今回はその”なんとかやってきた”ことが全く制御できなくなった感じだった。

これが鬱による症状と言われればそんな気もするが、僕には何かそれだけではない気がした。

鬱病も発達障害もその診断を下す線引きは非常に難しいものだと思う。その診断を下す決定的なものは存在しない。

僕が今回感じたのはストレスによって発達障害の特性が暴走した可能性があるんじゃないかということだ。もしストレスがトリガーとなって今まで出来ていたことが出来なくなるとしたら、大人になってから発達障害であることが発覚するケースにも十分当てはまるのではないだろうか。

もしストレスや自律神経の乱れにより、発達障害の特性が強く出るのなら、ストレスをできる限り取り除き、自律神経を整えれば個人差はあるだろうが、確実に制御できるはずだ。

しかし組織に所属するとなるとその人たちの理解と協力は必須だ。

僕はもっと鬱と発達障害への理解が進み、生きづらさを感じている人が少しでも減れば、社会全体の雰囲気はもう少し良いものになるんじゃないかと思う。ただの理想に過ぎないかもしれないけど、もし僕が組織体を作れるようになれたらそんな気持ちの良い場所でありたいと思う。

そんな片付けと優先順位を付けることが苦手な僕は中途半端に開いた段ボールの山に埋もれて今日も眠りにつく。

---------------------------------------------------------------
工房準備中 @craftsmans_harbor
制作アカウント @object_wood

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?