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【写真】DIC川村記念美術館 ①屋外作品,雨上がりの庭園

 都内では曇り空、時折雨の日。現地の天気は知らなかったけれど「雨の美術館と庭園も、いいかもしれない」と思い、千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館に向かった。再訪だ。

  電車で進むほどに天気は回復し、陽射しが痛いくらいの青空に。

DIC川村記念美術館は、DIC株式会社が関連企業とともに収集してきた美術品を公開する施設です。
20世紀美術に主眼を置いた多彩なコレクション、作品にふさわしい空間づくりを目指した建築、四季折々の変化が楽しめる豊かな自然環境。これら「作品」「建築」「自然」の三要素が調和した美術館として、1990年5月、千葉県佐倉市の総合研究所敷地内にオープンしました。

同上

 以前にも書いたけれど、DIC、旧社名「大日本インキ」といえば、出版まわりで働く人にはおなじみだ。個人的には、DICの小さな色見本を校正紙に貼って印刷所にゲラを戻す作業、は懐かしい。

京成佐倉駅前の、無料送迎バス乗り場

 美術館までは、最寄りの「京成佐倉」、「JR佐倉」駅から無料バスが出ている。上に引用した説明のとおり、同社総合研究所の敷地内にあり、無料バスも社員の方の通勤の足でもあるようなので(つまり、駅からかなりの距離がある)、社内見学に伺う気分になる。

 後述していくが、広大な敷地には研修施設?を思わせる雰囲気もある。ともかく、一般公開してもらえるのは、とてもありがたい。

 30分ほど乗車して、美術館前へ。



飯田善國「動くコスモス」(1968年)

 来訪者が最初に鑑賞することになるのが、ロータリーに設置された、飯田善國「動くコスモス」(1968年、ステンレススチール265.0 × 170.0 × 170.0)だ。

 じっと立ち止まり、また、場所を変えて眺めると、この静かな作品は、ダイナミックな動きを伴っていることに気が付く。空を映り込ませながら、静かに回転していく。まるで、世界を取り込んでいるかのようだ。

 そして、ついこの前で長い時間を過ごしてしまうことになる。



…彼の作品は日本帰国後、パブリック・アートやモニュメントの制作を開始して以後、周囲の様々な風景を映しこむ鏡面ステンレスを多用するようになった。さらにベアリングで回転するステンレス板を用いるようになり、屋外の作品はで回転する、動きのある時間を取り入れた彫刻へと移行した。これによって作品表面がさまざまな風景を受け入れて自然の中に消えてしまう、彫刻の中の自我が自然の動きや風景に任せて解放されるような作品になった。

同上

 ちなみに夕刻には暮れなずむ世界が映り込み、それもまた美しい。

 作品の表面にこれだけクリアに景色が映り込むということは、それだけメンテナンスをきちんと行っているということだろう。

 旅のなかで、打ち捨てられたような状態の屋外アート作品が侘び錆びていくさま(※あえて放置し侘び錆びを狙った作品もあるけれど、おそらく不本意にも)、に遭遇している。それに対して、きちんとした状態が保たれ、管理する人の愛が感じられる作品もある。

 本作は後者だと伝わってくる。


ロータリーから散策路へ

 チケットセンターで開催中の企画展、ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室 のチケットを購入。

佐藤忠良 「緑 」(1989年、 ブロンズ 190.0 × 63.0 × 66.0)

 散策路を進み、美術館へと向かう。


 まず見えてくる建物は、小さなギャラリーだ。

 展示は行われておらず、休憩室として開放されていた。

 研修施設っぽい雰囲気。冷房が効いていて救われる。どこに行っても人混みに遭遇する昨今、がらんとした部屋そのものが、気分を落ち着かせる。

 窓からは、これから行く池の周辺が望める。

 休憩室を出て、散策路を進む。目の前には大きな池。
 そこから振り返ると、休憩室のある建物はこんな感じだ。


ジョエル・シャピロ「無題」(1988-89年)


池。

 その岸辺の芝生に佇むのが、ジョエル・シャピロ「無題」(1988-89年、ブロンズ 330.0 × 180.0 × 210.0)。

 本作は屋外作品らしい大きなものだし、そこからは二者の関係性を(わたしは)感じるところだが、もっと小さなタイプで、かつ単体の「無題」(2013年)とは、直島でも出逢っている。

 こんなふうに、「前にも逢ったね!」という作者、作品が増えていくのは嬉しいことだ。


フランク・ステラ「リュネヴィル」(1994年)

 美術館の隣に設置されており、入館しようと通り過ぎようとする足を止めて、長い間、あちこちから鑑賞したくなるのが、この作品だ。

 ミニマル・アートの先駆者とも呼ばれる、米国のアーティスト、フランク・ステラの「リュネヴィル」(1994年、ステンレススチール、アルミナブロンズ 717.0 × 640.0 × 609.0)。

 1991年、97年には企画展も開かれていたようだ。

マサチューセッツ州ボストン郊外モールデンに生まれ、プリンストン大学で美術史を学んだ[1]。初期にはミニマル・アート風の作品、シンメトリカルな色面構成の「ハード・エッジ英語版)」(色面の輪郭が目立つ作風)風の作品を手がけていたが、80年代以降大きく作風を変え、さまざまな色彩を施された、さまざまな形態の破片・ねじ曲げられた平面・立体物が、大画面に貼り付けられたりそのまま組み合わされて壁面や床に置かれたりした、2次元の枠を超えて炸裂する絵画とも立体ともつかないダイナミックな作品を制作している。川村記念美術館がステラ作品の世界的なコレクションで知られている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


清水九兵衞「朱甲面」(1990年)

 いよいよ入館しようとすると、今度は向かって左側の赤い立体作品が気になってくるだろう。

 清水九兵衞「朱甲面」(1990年、鋳造アルミニウム、ステンレススチール、コンクリート、アクリル 330.0 × 250.0 × 160.0)。

 もう少し大きめの本作は、東京都庁の「第一本庁舎1階外 中央公園側歩道脇」に展示されており、その近くの高層ビルには模型展示もあるため、自分にはおなじみではある。(甲殻類っぽい、昆虫っぽい形と質感は、あまり得意ではないのだが…)。


 ただ、作家が陶芸家から彫刻家になり、このような大作を創り上げていくことを知ると、興味が湧いてくる。昨年が生誕100年だったようだ。

…清水九兵衞/六兵衞は、塚本竹十郎の三男として1922年に名古屋に生まれました。沖縄戦からの復員後、東京藝術大学工芸科鋳金部等で学び、1951年に六代清水六兵衞の養嗣子となり陶芸の道に進みました。陶芸家としての評価が高まる一方で「もの」と周囲の空間に対する関心が深まり、1966年に初めて彫刻作品を発表。1968年に「九兵衞」を名乗り、陶芸制作から離れ、アルミニウムを主な素材とする彫刻家として活動していきます。その作品は、構造と素材、空間などとの親和性(アフィニティ)を追求したもので、日本各地に設置された彫刻からもその創作意識を窺うことができます。

同上


ただ美しい、池と庭園の風景

 入館しようとして、またふと振り向けば、ただ美しい風景が目を捉える。

 アートの世界にたっぷりと浸り、さあ帰ろうと現実に戻るとき、この風景が再び迎え入れてくれる。



建築と企画展、常設展については次回

 美術館の「外」を語るだけで、でだいぶ長くなってきた。

 建築と企画展、そして、今回再訪した目的でもある「ロスコ・ルーム」については、次回述べていこうと思う。



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