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地中美術館(直島)、朝の陽光の下で「睡蓮」を観る試み

 直島(香川県)にある「地中美術館」のファンだ。2018年頃に初めて訪れることができ、2022年は3月からほぼ1カ月おきに来訪している(&する予定)。年パス購入については下記に書いた。

誰もいない時間だったので、SNSによくあるような撮り方を真似。この年パスは本当に美しい

■地中美術館→オランジェリーの予定だった


 パンデミック中の計画では、地中美術館のあとはパリのオランジェリー、オルセー、マルモッタン、といった美術館で、気が済むまでモネ作品を堪能する、としていた。

 だが戦争をしている欧州方面に旅立つのは気が向かず、さらには「東京から香川に行き、高松を拠点にフェリーで美術館に通う」という一連の過程(特に、フェリーに乗って移動する)が、自分にとって一種にセラピーであり、なんとなく必要なのだと気づいた。そんなこんなで、2022年は直島に通おうと決めた。

■原田マハ氏の一文で、朝の「睡蓮」が観たくなった

高松港8:12発のフェリーのデッキ。陽光が神々しい

 キュレーターであり美術関係の著作も多い、原田マハ氏の『モネのあしあと 私の印象派鑑賞術 』(文庫版も出ている)で、原田氏は、モネの大睡蓮が展示されているオランジェリー美術館には、朝いちばん(9時開館)に行くことを勧めている。

 その理由は「モネの睡蓮が展示されている部屋は、天井からうっすらと自然光が入るように設計されており、午前中の光が睡蓮の池をより輝かせ、まるで本物の池のほとりに佇んでいる気分になります」(p118)。また同書p109~111には、朝その部屋を訪れた鑑賞者がどんな反応をするかも描写している。

 こちらでも書いたように、地中美術館の歴史は、ベネッセで直島プロジェクトを担当した、「仕掛け人」である秋元雄史氏の著作『直島誕生』に詳しい。地中美術館は睡蓮の「ための」美術館であり、モネ本人の意思が反映されたオランジェリー美術館をもちろん踏襲している。地下にある展示室にはもちろん、「うっすらと」自然光が射しこむ。

地中美術館入口。「そこまでまっすぐにいきたいのか」と言いたくなるような、どこまでも堅く妥協しない直線の安藤忠雄建築も、非常に見どころのあるアート作品

 つまり、もしかしてオランジェリーで原田氏が体験した「午前中の光が睡蓮の池をより輝かせ、まるで本物の池のほとりに佇んでいる気分に」が、直島でも体験できるのではないか。そんな期待を抱いて、朝一番のフェリーに乗ってみた。

■バスで一番乗りしたものの…

 地中美術館は通常、時間予約制だが、年パスがあると好きな時間に入場できる。瀬戸内国際芸術祭の会期中だったせいか、フェリー到着時間にあわせてバスが出ていた(運賃100円)。

瀬戸内国際芸術祭開催中、フェリーターミナルにある海の駅「なおしま」には情報掲示が
バスの車窓から。通常のバスは海の駅なおしまから「時計回り」に運行し、乗り換えもあるので美術館到着には30分以上を要する。「逆時計回り」に歩くと30分弱で到着するのでいつもは歩くのだけど

 いつもなら寄り道しつつ、30分以上の時間をかけて、ゆっくりと歩いていくのだけど、この日はバスにも乗ってみた。結果、開館の10時よりかなり前に着いてしまい、チケットセンター(年パスの場合も、入場券との交換が必要だ)の前で、読書しながら待たせてもらった。

 館内に入ると、迷わず、睡蓮の部屋へ。うーん…そもそも、フェリーに乗っていたときから感じてはいたのだけど、その日の天候は雨天のあとの晴天でなく、雨天のあとの曇天で。残念ながら、輝かしい陽光が射しこむ睡蓮の池…とはなっていなかった。

 考えてみれば、この天候なのだから予測できたことだ。でも夏にも訪れるチャンスはあるわけで、そのとき再び(晴天を狙って)、朝のフェリーで訪ねてみよう、という新たな楽しみができた。

中庭から見上げる空。館内は一部のみ写真撮影可

■閉館すこし前の、陽の移ろいも捨てがたい

 わたしは睡蓮の前に立つと、(鑑賞しているようよりは、妄想している、といったほうがよい状態になり)、立ち止まったまま気づくと20分くらいが過ぎていた、という状態になる。

 一体何を観ているのだ?という感じなのだが、たぶん、今のわたしは、睡蓮に見入ることで、スイッチが入り→自分の中への情報取り入れと、中での振り分け、というごく私的な作業が始まる(これを絵画鑑賞としてよいのかは、よくわからない)→いかんせん処理能力が非常に低いので、時間を食いますよ、ということなのだろう。

 そんな、半分フリーズした状態で睡蓮に向き合うとき、光に対しては非常に敏感になる。島ということもあってか、展示室に差し込む光は移ろいが激しい。一瞬強い光に照らされたと思えば、再び暗くなる。じーっと一枚の絵を眺めていることは間違いないのだけど、それは、絵の中に入り込み、モネの家の池の水面に反射する光を眺めている、ということになる。

 個人的には、16時前後に鑑賞することが好きで、その理由は館内に人の気配の消えていく時間であることに加え、夕暮れに向けて陽光が明るくなったり陰ったり、の変化によるものだとも感じる。

■予期せぬ素敵なコミュニケーション

地中美術館のキーワードは「光」

「光によって表情を変える、何度観ても飽きないですよね」
 というような言葉だったと思うけれど、館内で(作品の前ではなく)スタッフの方が話しかけてくれた。

 地中美術館は、通常、スタッフが声がけするタイプの美術館でなく、館内は静けさを保っている。ただ、その方は年パスを渡しての入館の際などに何度もアテンドしてくださって顔見知りになっていたのと、またそのとき周囲に人がいなかったので、だと思う。

 予期しておらず、最初は睡蓮のことだとも気づかなかったのだけど、「表情を変える」のところにおおいに反応してしまい、「そうなんですよね!」と思わず返し…。

 詳細はあまり覚えていないが、ひとり旅で、作品についてどころか人と会話をしない状態のなかで、言葉で感想を語る、という経験が新鮮だった。絶妙な声がけと、素敵なコミュニケーションをありがとう。

■光の変遷を感じに、また訪れる


 最後に。印象派の画家たちは、当時最新のチューブ入り絵の具にも後押しされ、アトリエを出て屋外にイーゼルを立て、移ろう光をスピーディに捉えようとした。画家たちが観て描いた風景に、鑑賞者が観る光が重なるのが、そうした作品を鑑賞するときの醍醐味だ。

 諸般の事情で「自然光で作品を観ることが叶わない」ことの多い美術館事情の下で、天窓からの移ろう光でモネの睡蓮を鑑賞できる地中美術館。その環境には、本当に感謝しかない(と、何度でも書いておく)。

 しかも、わたしは個人的に、モネが目を患うなどして作風がどんどん抽象化した、晩年の作品になぜか惹かれてやまない。地中美術館の展示作品は、モネのなかでも好きな作品たちだ。

 次回訪ねる日を、心待ちにしている。


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